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纏うもの

知っている景色でも時と場合によってがらりと印象が変わる。


例えば昼と夜では見え方が変わるし、一人でふらりと訪れた場合と誰かと明確な目的を持ってやってきた場合とでもまた変わる。


最寄り駅前には、高架下に複数の飲食店が並んでいた。


一紗はほとんど外食をしないので、これまでそれらの店舗に気が付かなかった。


また、駅の真向かいに入っている総合スーパーで食料品や日用品を買う場合も、在宅勤務の昼休みや休日の日中に利用していたので、夜になってから駅前を訪れることもなかった。


見慣れているはずのなんてことない駅前の風景。


今は夜の闇と街が纏う灯りのコントラストが美しかった。


(なんだか少し幻想的だな…)


昼と夜との時間的な違いに加えて今は――。


一紗は隣を歩く武田をこっそりと見上げる。


長身の武田と成人女性としては平均的な身長の一紗とでは、そもそもの脚の長さが違うはずなのだが、恐らく武田が歩幅を合わせてくれているのだろう。


高架下に並んだ飲食店のうち、赤い提灯と「くし」と書かれた暖簾を出している店の前で武田が足を止めた。


「ここですか?」


店から漂う肉が焼ける香ばしい匂いに目を輝かせながら、一紗は武田に問いかけた。


「…あーそうなんすけど」


一方の武田は歯切れが悪い。


どうしたのだろうか。


首をかしげる一紗に、武田は続けた。


「やっぱり別の店にします?」


「えっ? なんでですか?」


「いや、勢いで連れてきちゃいましたけど、オシャレでもなんでもない串焼き居酒屋だし、服が汚れちゃったり臭いがついちゃったりするよなって」


申し訳なさそうに言う武田に、一紗は目を丸くした。


確かに今日の一紗は小綺麗に見える装いをしているものの、アイテム自体は安価がウリのアパレルチェーン店で購入したものに過ぎない。


「全然気にしないでください。汚れたり臭いがついちゃったりしても、上も下も洗濯機でザバザバ洗える素材なんで」


「大丈夫っすか?」


なおも気にしている風の武田に、一紗は続けた。


「そりゃこの格好している時に登山やキャンプみたいなアウトドアに連れて来られたりしたら困っちゃいますけど。でも飲食店に行くのは日常生活なので。日常生活の中での汚れとかも許せないなら最初からその服は着るなって感じですし」


「それはまあ確かに…」


「それに!」


一紗は両手で拳を握りしめて力説する。


「このいい匂いをかいじゃったからもう口が完全に串なんです串! お腹もペコペコだし今から別のお店を探す余裕も無いです!」


一紗の勢いに気圧されていた武田が、くしゃりと笑った。


「わかりました。じゃあここにしましょう。味は保証するんで期待しててください」


* * *


「乾杯しますか」


運ばれてきたグラスを片手に武田が言った。


「何にですか?」


「1週間の頑張りに」


「ふふっ。そうですね。じゃあ――」


「「乾杯」」


一紗と武田は運ばれてきたジョッキを小さく合わせて微笑みあった。


とはいっても2人ともジョッキの中身はウーロン茶なのだが。


成人して数年経ったが、一紗にはお酒を飲む習慣がない。


甘いものなら飲めないこともないのだが、ビールの美味しさがまだ理解できない。


そもそも酒を飲むとすぐに赤くなってしまうので、体質的にあまりアルコールに強くないのだと思う。


なので、先ほども店に入り、カウンター席に通され、まずは飲み物をとなった時に迷わずウーロン茶を選んだのだった。


それを見て「じゃあ俺もウーロンで」と言う武田に、自分のことは気にしなくてもいいからアルコールを飲みたかったら飲んでくれと言ったのだが「いや、明日また資格の勉強をしたいんで酒はやめときます」とサラリと言われてしまった。


(気を、使ってくれたんだろうなぁ…)


よく冷えた濃いめのウーロン茶を飲みながら、武田のさりげない気遣いに心の中で感謝した。


串を焼くいい匂いと薄い煙が漂う店内は、週末ということもあり仕事帰りのサラリーマンで賑わっている。


壁に貼られている手書きのメニューやレトロなポスターが、いかにも居酒屋という雰囲気だった。


きょろきょろと周りを見渡していると武田が口を開いた。


「仕事帰りに飯行くってなったらこういう雰囲気の店ばっかなんすよね。作業着だから」


どことなく気まずそうである。


先ほどから薄々感じていたことだが、今日の武田はほんの少しだけ様子がおかしい。


「作業着、だから?」


「うーん」と武田が頭を掻く。


「作業着だとスーツに比べて『汚れてそう』とか『オシャレじゃない』とか『キツそうな仕事』って思われることも多いんですよね。この仕事を選んだことは全然後悔してないんですけど」


一紗は驚きでぱちくりと目を開いた。


そして、武田の態度に関して、先ほどから感じていた違和感の正体を察した。


世の中には色々な人間がいる。


これまでに仕事時の服装について、人から何か言われたり嫌な思いをしたことがあったのだろう。


(スーツだからとか作業着だからとか考えたこともなかったな)


現在、スーツに相当するオフィスカジュアルを纏っている身で、軽々しく慰めのような言葉をかけるのは違うような気がする。


だから一紗は自分が思ったことをそのまま伝えた。


「スーツがいいとか作業着が悪いとか考えたことがなかったです。極端な例えですけど――」


そこまで言って一紗はゴトンとジョッキを置いた。


「プロのスポーツ選手だって仕事着はスーツじゃなくてユニフォームじゃないですか。それに対して『汚れてそう』とか『オシャレじゃない』とか『キツそうな仕事』って言われてるのなんてあまり見ないし」


「…それはまあ確かにそうっすね」


「私は職種によって適した服装が違うだけっていう認識です。電気工事士さんがスーツで現場作業してたらおかしいし、スポーツ選手がスーツで試合に出てたら変だよねってだけの話な気がします」


少し踏み込み過ぎただろうか。


隣に視線を移すと、武田は何かを考え込むような様子だったが、次の瞬間に両手で顔を覆い肩を震わせた。


「…武田さん?」


「…いや、ごめんなさい。野球選手がスーツで野球してるところとか、サッカー選手がスーツでサッカーしてるところを想像したらツボに入っちゃって」


どうやら笑っていたらしい。


(ちょっとでも元気になってくれたなら良かったかな)


そう思いながらジョッキのウーロン茶をもう一口飲んだところで。


「お待たせしましたー!」


お待ちかねの串焼きがやってきた。


「わ…!」


一紗は思わず歓声を上げた。


大皿には、鳥もも、豚バラ、牛の肩ロースのたれ味の串焼きの他に、つくね、長ねぎ、アスパラ、トマトの串がそれぞれ2本ずつ盛り付けられており、湯気を立てている。


「冷めないうちに食いましょう」


武田の言葉に頷き、一紗はまず豚バラに手を伸ばした。


脂が乗った柔らかい肉に、香ばしくコクがあるタレが良く絡み、一口食べただけで口の中に旨味が広がった。


「ん~~~っ!!」


美味しさに思わず悶絶してしまう。


「これですこれ! 求めていたのはこのお肉です!!」


「それなら良かったです」


一紗の反応を見て安心した様子の武田が、鳥ももに手を伸ばして歯で挟み、一気に二切れを串から外した。


「うん、美味い」


満面の笑みを浮かべて、ウーロン茶を喉に流し込んでいる。


喉仏が上下する様子が目に入り、一紗は思わずドキッとしてしまった。


慌てて目をそらし、長ねぎに手を伸ばしながら口を開く。


「そういえば武田さん、私も資格の勉強を始めたんです」


「そうなんですか?」


「はい。前に武田さんが資格の勉強をしてるって聞いた時に、凄いなと思って。私も見習って何か勉強したくなっちゃいました」


武田の表情が緩む。


心なしか少し嬉しそうだった。


「なんの資格か聞いてもいいっすか?」


「簿記です」


アスパラの串を食べようとしていた武田が首を傾げた。


「簿記? エンジニアが?」


「そうです。エンジニアと簿記って一見関係がないように見えるんですけど、うちの会社が扱ってるのって会計のシステムなんで。プログラミングとかみたいなITの知識はもちろん必要なんですけど、その他にそのシステムが使われる場所の業務知識もあるのとないのでは全然変わってくるんです」


一紗はジョッキのウーロン茶を一口飲んで続ける。


「例えばですけど、バレーボールの大会の結果を纏めるシステムを作るってなったら、『3セット取らないと勝ちにならない』とか『1セットは25点取らないといけない』とか『デュースになった場合は2点差ついてないといけない』とか基本的なルールが分かってないと仕様が間違ったりしてても気づけなかったりしますから」


「なるほどな…。確かにそれだと会計のシステムなら簿記になるわけだ」


「はい。これまで何となくで理解してたんですけど、簿記の勉強を始めたことでシステムが出力する帳票とかに関する解像度が格段に変わってきたので、勉強してよかったなって」


「そうなんですね。じゃあお互い頑張りましょう」


そう言って武田が持ち上げたジョッキをこちらに向けてきたので、一紗は自分のジョッキを軽く合わせた。


「ところで末藤さんって結構スポーツ見るんすか?」


「チケット取って会場まで行ったりするほどガチではないんですけど、TVでやってる大会とかは結構見ます」


「だから例え話にスポーツが多いのか」


「武田さんは見るんですか?」


「俺も末藤さんとおんなじ感じっすね。大きな大会はTVで見ます」


そこから、今開催されているあるスポーツの大会、休日には何をしているのか、お互いの出身地や家族構成…と話題は尽きずに移り変わっていった。


* * *


「本当にすみません、全部出してもらっちゃって…」


帰り道にて、一紗は改めて武田にお礼を言う。


それに対して、武田は穏やかに笑った。


「今日…まあもう日付は変わってますけど…は急に俺から誘ったんで。本当に気にしないでください」


会話が盛り上がり、殊の外長居してしまったのだが、そろそろ0時なので店を出ようとなった時、一紗が清算のため金額を確認しようとしたら、既に伝票が無くなっていたのである。


「出ましょう。もう支払いは終わってます」


さらりとそう言った武田に、先ほどトイレに行くため席を外したタイミングで武田が支払いを済ませてくれたということに気が付いた。


慌てて「半分出します」と言ったのだが「俺の方が食った量も飲んだ量も多いんで」とか「俺から誘って付き合ってもらったんで」とかわされてしまい今に至るのである。


(外見だけじゃなく内面まで男前なんて反則じゃない!?)


圧倒的な男前具合を見せつけられ、よく分からない敗北感のようなものを感じながら、一紗は少し拗ねたように口を開いた。


「…武田さん、絶対モテますよね」


「まあ、それなりには」


「うわ…否定しない」


とは言っても、武田は下手な俳優やモデルより整った容姿をしているし、ここまで接した中で明らかにおかしな言動なども特になく人柄も常識的である。


加えて、自分の仕事に対して真面目に向き合い、自分を高めようと自発的に勉強するようなところもある。


このスペックでモテないはずはないので「いや、全然そんなことないっすよ」と言われる方が返って嫌味だ。


「まあ、今は相手がいないんすけどね。だから夕飯を誰かと食うのも久しぶりで楽しかったです」


「あ、わかります。私も一人暮らしを始めてからずっと一人ご飯ばっかりだったので、久しぶりに誰かとゆっくりご飯を食べました」


武田がじっと一紗を見つめてくる。


一拍の後、彼は意を決したように口を開いた。


「時々、またこんな風に飯行きませんか? もちろん末藤さんがよければ、ですけど」


思いがけない言葉に一紗は目を見開いたが、次の瞬間。


「行きます!」


考える間もなく反射的に口から出た言葉に、一紗本人も驚いた。


武田もまた力強い即答に少々驚いた様子だったが、どこか安心したように表情を綻ばせた。


「えっと…人とご飯を食べるの楽しいし、これまであまり外食もして来なかったんで、お店を開拓するのも面白そうですよね」


若干言い訳がましくなってしまうのは、照れ隠しであることは一紗本人にも自覚があった。


「この辺り、意外と美味い店がいっぱいあるのでよければ次の機会に案内します。それと――」


武田がボトムのポケットからスマホを取り出す。


「連絡先交換させてもらっていいっすか?」


「そうですよね。連絡先を知ってた方がいいですよね」


一紗もまたスマホを取り出した。


その後は、無事連絡先を交換し、マンションまで他愛の無い会話をしながら歩き、お互いの家の前で「じゃあこれで」と別れた。


その夜、一紗はなかなか寝付くことができなかった。


(…なんか、子供の頃に遠足の前の日に寝付けなかった時みたいな感じだな…)


なお、寝付きが遅かったため見事に寝坊してしまい、翌日が土曜日だったことに心底ホッとしたのはまた別の話である。

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