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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第二章 月と夢と精霊と
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浜辺の狂詩曲 1

「ふぅ……こんなとこかな……」

 

 バーベルをラックに戻し、ティムはゆっくりとベンチから身を起こす。

 

 西陽が差し込む、夏のスポーツジム。じっとりとした熱気が、ほてった両肩を包み込み、ティムは不快に顔を歪める。無造作に、ドリンクボトルに手をやったその先に、明らかにジムの空気とは異なる、異様な熱源を感知し、ティムは思わず顔を上げた。

 

 黒いタンクトップに身を包んだ、大柄のその熱源は、バツの悪そうに微笑む。濃い目のメイクで、女顔を作ってはいるが、硬く肥大化した筋肉と骨格は、『彼女』の生まれついての性を隠しきれない。

 

「あ、ど……どうもティムさん。久しぶりね」

 

 ()が、はにかんだ顔つきで話しかけてきた。

 

「あ、ああ、どうも。ここんとこ、忙しくて」

 

「あ、そうだったの。コース、変更されたみたいだったから……」

 

 窺い見てくる彼(女)の視線から逃げるようにして、ティムは、ドリンクボトルのストローに口をつけ、視線を泳がせた。

 

「え、あ、ああ……時間合わなくなってさ。コーチもこの時間帯に?」

 

「え? あ、いや、シフトの交代よ。今日、担当のコ、急に熱出したとか」

 

 言いながら、()は、もじもじと腰をゆする。

 

「な、なるほど。そりゃ大変……んじゃ、俺はそろそろ」

 

 ティムは、手早く使った機材の清掃を済ませると、手荷物をまとめて立ち上がった。

 

「あ、あらそう……もうちょっとゆっくりしていけば? 見てあげるわよ」「き、今日はもう、十分。んじゃ!」「そう、残念」

 

 ティムは早足にトレーニングルームの出入り口へと向かう。

 

「お疲れぇ……」筋肉で盛り上がった両肩を落とし、()は力なく呟く。その声を後ろに微かに聞きながらドアに手をかけた時、ティムは冷たく刺さる針のような気配を背中に感じ、振り返った。

 

 カウンターの受付に立つ若い男が、入室して来た女性会員らを笑顔で迎えていた。

 

 

 ****

 

 日没の残光と、夜の闇が、日本海を茜と深緑のマーブルに染めあげる頃。

 

 IN-PSID本部附属病院に隣接するアトラクションホールに、シューマンのピアノ五重奏曲第一楽章が鳴り響く。その最終音に向けて、五人の奏者の音が、乱れることなく駆け抜ける。

 

 第二バイオリン——直人、ビオラ——サニ、チェロ——藤川、そしてピアノ——真世は、第一バイオリン、カミラのアインザッツに呼吸を合わせ、皆で最後の一音を弾ききった。

 

 一同揃って、満足気な笑みを浮かべ、楽器を下ろす。

 

「いいじゃない、サニ」カミラは珍しく、真っ先にサニを褒める。

 

「音色も変わったね。主張はありながら、それでいて溶け込む。ビオラらしい音になったよ」カミラに続けて、直人が言う。藤川、真世も頷いて同意する。

 

「えへっ。アタシ、ずっとロックばっかだったでしょ? 正直、クラシックは弾いててもしっくりこなかったんだけど……こうやってハーモニーみんなで作るのも、いいモノね!」ビオラを横倒しに、ギターのようにして構え、弦を指で弾きながら、サニは笑顔を見せた。

 

 窓の外はすっかり暗くなっている。藤川が、今日の練習の終了を告げ、皆で挨拶を交わすと、各々片付けに入った。

 

「お疲れ様。それじゃ、私はお先に……」ホールに備え付けのグランドピアノを手早く片付けた真世は、いち早く帰り支度を整えていた。

 

「あ、うん。お疲れ様」「お疲れ、真世さん!」真世は、直人とサニの返事に、軽く手振りを返し、足早に退室する。

 

「カミラ、少しいいか? いくつか、打ち合わせしたいのでな。ちょっと付き合ってくれ」

 

 楽器を片づけかけていたカミラに、藤川が声をかけている。

 

「ええ、良いですよ。どこからやります?」「それじゃあ、ベートーヴェンの方を……まずは……」

 

「ひゃ〜、こんだけ練習したのにまだ? 所長も熱心ねぇ〜」サニは舌を巻く。

 

「本当に音楽が好きな人だから。じゃ、お先します」片付け終わった直人は、のんびりとビオラをケースにしまっているサニを横目に、真世の出て行ったドアの方へ足を進める。

 

「あ、待ってよぉ!」サニが引き止めるので、直人は足を止めた。

 

 

 ****

 

 ホールを出た真世は、長期療養棟へと続く病院棟を、一人、足早に進む。馴染みの場所でも、夜は何かの気配を感じさせる。それが、真世の背中を押す。

 

 病院棟のロビーまで来た時、真世はふと、練習の合間に、皆に出した飲み物や菓子類をそのままにしてきてしまったのを思い出していた。療養棟の母が気になっていたとはいえ、時々、そそっかしく忘れ事をしてしまう自分の癖に、やだやだ、と愚痴りながら、踵を返す。

 

 

「ね、センパイ。ちょっとイイ?」直人と揃ってホールを出たとこで、サニは声をかけた。

 

 ホール棟のエントランスに置かれたベンチに、二人は並んで腰をおろす。しばらくの沈黙に、直人は横目でサニを窺う。微かに微笑んでいるように見えた。

 

「この間は、ありがとね。助けに来てくれて」サニが唐突に話し始めたので、直人は咄嗟に正面を見つめ直した。

 

「と……当然だろ。仲間だし、それに、前はサニが助けてくれた」「うん。それでも、ありがと」

 

「あ、ああ……なんか、調子狂うな。サニに、そんな素直に言われると……」「そうだね、アタシも、なんか変な気分……でも、悪くないよ、こういうのも」

 

「そ、そうか……そうだね」「うん……」

 

 いつもの小悪魔のような雰囲気をすっかり消しているサニに、居心地の悪さと、微かに高鳴る胸の鼓動を、直人は感じていた。

 

「センパイ……さ。付き合って……みる? ……アタシと」「えっ……」

 

 思わずサニの方へと顔を向け、直人は目を丸めた。サニは何食わぬ顔のまま、前を見続けている。その横顔に見惚れていると、サニは上目遣いで覗き込んでくる。

 

「えええ?? っと、その……」

 

 直人は、意味もなく身体を揺さぶって、視線を泳がす。その姿に、サニは吹き出さずにはいられない。

 

「やだ、冗談よ。そんなに動揺してさ。ふふふ」「えっ??」

 

 

 真世は小走りにホール棟に戻ってきた。人の話し声が聞こえてくる。サニ、それに直人の声だと気づくと、真世は反射的に通路の影に身を隠す。

 

 隠れる必要なんてないのに。何やってんだろうと思いながらも、真世は、二人の会話にそば耳を立てていた。

 

「賞味期限切れ……よね。わかってる。でもさ、今のアタシだったら……あの時、センパイのこと、受け入れられたかもって……」

 

 言葉を詰まらせる直人を、サニはまじまじと見つめ、再び口を開く。

 

「……終わりにしよう、アタシ達の関係」

 

 サニは、曇りの無い笑顔を直人に向けていた。

第二章前編(サニ編)の主要キャラクターをイラスト化しました。

よかったらご覧ください!


https://www.pixiv.net/artworks/112355779

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