帰郷 3
深く……長く……身体の奥底、いや大地の中心から湧き上がる。ディジュリドゥは、絶え間なく、通奏低音のように、音を鳴り響かせている。
ディジュリドゥの柱に絡みついた虹が、水面に流れ込んだ火山噴出物の流れを吸い上げながら、天空の月へと、昇っていく。
火山の幻影は、いつしか消え水面にファビオの悲哀に満ちた顔が戻り、虹は次第に蛇の形を顕した。
ディジュリドゥは、鼻で空気を吸いながら、同時に口から吐き出す循環呼吸によって、絶え間なく演奏する。この呼吸のように、蛇は、天空で雲を作り、雨を降らせ新たな虹を産む。天と地を巡る水と大気の巡り——循環こそが、生命の、大自然の理……
水面のファビオの両目が開かれる。哀しみと、決意を宿した青き瞳が照り輝くと、ディジュリドゥの柱が、次第に何かの影を帯びてくる。同時に再び、水面にファビオの記憶らしきものが映し出されてくる——
砂埃舞う、赤茶けた大地の上に、この地には不自然な、長大な有刺鉄線のバリケードが張り巡らされている。バリケードの『向こう側』には、『プラント建設阻止』『聖地奪還』などのプラカードが、行列を作っているのが見えた。
行列の中には、伝統的な音楽とそれに合わせて踊るアボリジナル達の姿もある。それに気づいた『視界』は下に落ち、足元を映し出す。気にするな、と隣のスーツ姿の男が声をかけてきた。胸元には、政府関係者を示すID証が見える。その他にも、周りには、身なりの良い男女が数人、共にいる。彼らが手にするのは、これから建設されるプラントの構想図やら建設用地に関する資料のようだ。
バリケードの入り口に近づくと、反対運動グループの人だかりと、警備隊が睨み合っている。
人だかりの向こうには、プラント建設反対グループの仮設テントが立ち並び、シュプレヒコールや歌声が聞こえてくる。歌は反対運動グループのライブパフォーマンスであろう。その歌声に、視界がサッとそちらへ移動した。
お腹の膨らんだ、赤いマタニティワンピースに身を包んだその歌い手は、視界の主を認めて、歌を切り上げ、駆け寄ってきた。すぐに警備隊が、彼女を遮る。
『どういうことなの!? あなたが、何で!!』ロワナだ。ロワナの叫びに、ファビオは何も答えられず、目を背ける。彼女の後ろには、親交あったアボリジナルの人々が続く。
『今まで一緒にやって来たのに? なぜ!?』『答えろ、ファビオ!』
『……すまない……』ファビオの消え入る様な一言、騒然とするその場の声に、記憶の水面は、闇へと還り、ディジュリドゥが纏う影は、重厚な建造物の様な姿を次第に見せ始めていた。
「ファビオ……あれから貴方は戻らなかった……」
オセアニア支部IMCでミッションを見守るロワナは、目を潤ませ、よろける様にして、ティアナの半身に縋る。ティアナは、震えるロワナの肩をそっと抱き寄せ、子供を慰める母の様にゆっくりと撫でてやった。
『ロワナ! どうして!?』ファビオの記憶の声がまた聞こえ始める。
その記憶の鏡を覆い隠す様に、巨大な建造物の影が、水面に伸びてくる。
『何も言わずに、出て行くなんて。この子を父親を知らない子にする気かい?』そう言って、哀しげな笑みを見せる、水面に映るロワナの顔も、建造物の影に飲み込まれていった。
『ロワナ……これには』『いいよ。アタシ達の……タメなんだろう? アタシは、アンタを信じてる』
『……ありがとう……ロワナ』
「パパ……パパ……どうして……」ファビオの裏切り、そのファビオと共に生きることを決めた母……母から聞いた話を目の当たりにしたサニは、小さく震えていた。「サニ……」アイリーンは、通信モニターに映るサニを見つめながら、道中での会話を思い返していた。
声が聞こえなくなる頃、<アマテラス>と<クナピピ>の目の前に、ついにその構造物は、全容を顕す。
「これは……」送られてくる映像に、東は顔を強張らせる。
ちょうどディジュリドゥと同じような、ラッパ状に広がった構造部は天に仰ぎ、それを支える円柱の柱は、真っ直ぐに水面を貫いている。円柱の柱には、物質化粒子加速器の螺旋構造が見て取れる。型はやや古いが、それがPSI電力プラントの発電主要部である事は、皆の目には明らかだった。
物質化粒子加速器をなぞる様に、ディジュリドゥに絡みついていた蛇が、プラント円柱を駆け巡る。プラントは、激しい雷光をあたりに散りばめ始めた。
モーガンが静かに口を開く。
『オーストラリア初の、そして最期のPSI発電プラント……』
蛇は狂った様に、柱を伝って天へと昇る。それに伴って、蛇に連なる水面は荒れ狂い、プラントの足場を崩し始めた。
『二十年前の世界同時多発地震の影響を受けて、崩壊した。オーストラリアは、地震の直接的被害は少なかったが、このプラントは、龍脈の次元結節点と結論づけられた、四十年ほど前に湧き出た泉を利用しており、それが災いしたとみられている。無人試運転の段階で、人災はなく、被害も現場周辺に留まったのは、不幸中の幸いであったが……現場は今も封鎖されている状態だ』
モーガンの言葉と重なるように、激しい雷光を散らしながら、プラント建造物は、足元から泉の中に沈み込んでいく。
ファビオの記憶に残る会話が、再び音声となって聞こえてくる。
『キミの調査では、プラント建設には問題ない土地であったはず! 何故こんなことに!』
『申し訳……ありません。全て、私の責任です』
『キミは、元々、建設には反対していたそうじゃないか? もしや、こうなる事を望んでいたのでは?』『そ、そんな事はない! 安全を一番に考慮し、かつ効果的なポイントを……』
『もういい。キミはクビだ』『学会にも、然るべき措置を……』
『……わかり……ました……』




