レインボーサーペント 6
「……PSIバリア……損耗率四十パーセント……」
直人が、サニの魂を追って、PSI-Linkダイレクト接続に入ってから、二十分程が経過している。
<アマテラス>ブリッジの緊迫は、ひしひしと高まっていた。
「なおと……早く帰ってきてぇ……なおとぉ!」
亜夢は胸騒ぎを覚えていた。眠るように、シートにもたれた直人の、PSI-Linkインターフェースモジュールに乗せた左手に、そっと自分の手を重ねてみようとする。
亜夢を拒むようにピシッと、小さな何かが砕ける音がした。亜夢は音を発した、直人の手首の方へと視線を落とす。よく見れば、彼の手首にかけたシュシュの幾つかのビーズに、細かいヒビが浮かんでいた。
「なおと⁉︎」
……い、いいよ……サニ……それで、キミの気が済むなら……
直人は、覚悟を決め、瞳を閉じて両手を広げ、虹蛇の歯牙を待つ。ビートを刻むディジュリドゥの音が昂り、虹蛇は舞うように首を持ち上げた。
……それで……キミが……‥救われるなら……借りは……返せるから……
虹蛇の大口が一気に落下し、直人を包み込む——
またしても、深い闇の中だ。まるで、泥の中にでも埋もれていくかのような、周辺と混じり合う感覚の中で、かろうじて自分と認識できるところを意識して、取り戻していく。時も、空間も入り混じったこの、集合無意識の渚で、いつまで、『自分』を保てるのだろうか?
……あっ……
サニが覆い被さるように、目の前にいた。いつか見たシチュエーションのようだと、直人が思った瞬間、そこは、あの見慣れたIN-PSID本部のスタッフ用医務室に変わる。
二人の記憶が、この空間を作り出しているのだろう。
検査ベッドに横たわったまま、周辺空間に飲み込まれつつある直人。覆い被さっているサニは、直人の溶けゆく様をじっと見つめている。
サニは、いつものユニフォームのインナー姿だが、その顔には、虹色のグラデーションが、浮かび上がっていた。
……サニ……
獲物を見下ろすかのように、直人を凝視する見開いたままのサニの瞳は、瞳孔が開き、深い闇へと続いている。
埋もれていく意識の中、直人は、そっと、サニの背に両腕を回した。表情もないサニを、優しく包み込み、そのまま胸元へと抱き寄せる。
サニは、僅かに動揺して、瞬きする。肌に、赤や橙の色味が差してくる。
…………な、何? ……どういう……つもり……
サニの声に、直人は安堵の笑みを浮かべ、彼女を抱きしめる腕と感じている部位に、残された力を込める。
……わから……ない……ただ、キミが……求めているのは……こう……いう事……だったのかなって……
なんとか、形を取り戻した手で、サニの頭を撫でてやる。まるで、我が子のように……
……バカ……このまま、アタシに呑まれる……気……
言いながら、サニは次第に穏やかな表情を取り戻し、直人に身を預ける。
……ファビオさん……なら……本当の……父親なら……
…………きっと……こう……する……
直人は、既にどこまでが自分で、どこからが抱きしめているサニなのか、区別がつかなくなっていた。自分を失う不安、しかし、それ以上に、何かもっと大きな存在と一つになっていく、安らぎの両方が、波となって直人の意識に迫ってくる。
…………そう……だろ……父さん……
……‼︎ ……
直人が溶け込んだ周辺に、直人の父、直哉の残した記憶の世界へと臨んだ、一月ほど前のミッションの光景が溢れ出す。
『……たとえ……集合無意識の一端となろうとも……私の……魂は……
……いつも……お前と共に……
……強く……生きろ……
……直人……愛している……』
直人の魂に深く刻まれていた、直哉の最期の言葉——ミッションを通して、サニも共に聴いたその言葉が、泉のように湧き上がり、自分を抱きしめている直人の腕を伝って、温かいものが込み上げてくるのを、サニは感じ取っていた。
…………そう……そうだったんだ……センパイに感じてた、この温かさ……
……自分の命に変えても……子を守ろうとする親心……それをセンパイも……
……だから欲しかった! ……羨ましかった! ……
…………サニ……愛は……ある……キミが……気づいていないだけ……
意識だけのはずの体の内側に、力強く脈打つビートをサニは感じ始めていた。ビートと共に、あの、何処からか湧き上がってくる音が拡がる。
……ディジュリドゥ? ……
……パパ……パパなの? ……
ディジュリドゥの音とビートをベースに、サニの音楽が重なっていく。
…………まさか……
ライブハウスでの情景が、ふと浮かぶ。
歌い終わったサニに、飲み物を差し出した男がいた。喉の渇きに、何気に手を伸ばした時、強烈な耳鳴りがして、断ったことがあった。その直後、ケビンが激しく男を追い払った。聞けば、ドラッグのバイヤーが、薬を盛る手口だと言う。
あの時、自分を躊躇させたのは、この音だったのだろうか?
……あの時は……アタシを守って……
マルティーニのリキュールを呑ませようとした男の影が、不愉快なBGMの歪む音と共にふと現れる。
……あの時も……
……今も……
サニを包んでいた虹色の揺らぎが薄らいでゆく。サニは、現世で、『今』を生きる身体そのものの実感を、取り戻し始めていた。
ディジュリドゥの響きが、全身をめぐる血液と、絶えず循環する呼吸を活性化させているのを感じる。音は、自らの命の息吹と共にあったのだ。
……アタシを見守っていたというの……パパ! ……
……そうだよ……ファビオさんの想い……キミなら……うぅ……
もはや周辺との境界をほぼ失いかけている直人の、絞り出すような声だけが聞こえる。
……セ、センパイ! えっ……何⁉︎ ……
……何なの⁉︎ コレは⁉︎ ……
直人と思っていた、その相手は、虹色のグラデーションに色づく、ウネウネと動く何かの形のなり損ねだった。
……エレメンタル⁉︎ ……あっ⁉︎ ……
『それ』はサニをもまだ、諦めてはいない。
肉体感覚を取り戻しつつあるサニの意識体に、蔦のように絡みついて、直人共々、飲み込み始めた。
……い、いやよ! このままじゃ、アタシもセンパイも! エレメンタルに……⁉︎ ……
崩れゆく直人の形を、必死に掴む。虹色に混ざり合う、『それ』の中に、硬く角のある感触を感じ、引き上げる。
……こ、コレは、亜夢の⁉︎ ……
かろうじて、形を残す直人の左手首に、青く光るビーズの宝玉。虹色のカオスの中で、何にも混ざり合うことなく、清廉な泉のように青く輝く玉の中に、決して消える事のない灯火が宿っていた——
……お願い‼︎ ……
サニは、直人の左手を取り、青き玉の輝きに祈りを込める。
『……!』「あっ⁉︎」
アムネリア、亜夢は揃って顔を上げた。
…………助けて‼︎ …………
声が聞こえる。直人の、この船の大切な仲間の声が。
『参ります。亜夢、貴女も』
「う、うん‼︎」
……死なせない! ……死んじゃいけないよ! ……センパイは! ……ナオトォ‼︎ ……
青き玉が弾け、荒ぶる水流が、注ぎ込む。虹色の泥土から、直人とサニを秩序の洪水が洗い出す。そこへ飛び込む、不死鳥の羽ばたきが、二人が取り戻した精神の形を焼き固める。
……ナオト‼︎ ……
……サニ‼︎ ……
二人は、取り戻した互いの魂を確かめるように、抱擁しあう。
個のある精神の交感——泥の中で、感覚を奪われ、無秩序に溶け合うのではない、確かな音と音の響き合い——ハーモニーの如き、響き合いが生まれる。
人がなぜ、人という形を持って、形ある世界に生まれくるのか……二人が、その意味の端緒に触れた気がした瞬間。
……あ、ああ! あああ〜‼︎ ……
……亜夢! ……
頭上を見上げれば、鳳凰が二人の抱擁を見下ろし、燃え盛る火炎を撒き散らしながら、ぐるぐると飛び回っている。
サニは、抱擁を解き、直人を突き放す。
……あ、亜夢、ありがとう! お陰でなんとか戻れそう……
サニが取り繕うように言っているうちに、火炎の形が、みるみるうちに見慣れた亜夢の顔を形造り、眉を吊り上げる。
……サァニィ〜〜‼︎ ……
……な、何⁉︎ まだ、やる気⁉︎ ……
キャットファイトの二回戦をやろうというのか、亜夢はサニを睨みつけ、サニは、身構えた。
……や、やめろ! 亜夢、サニ! こんな事、してる場合じゃ……
直人は、二人の間に立ち、止めに入る。
……ううぅうう〜〜……
亜夢を作る火炎が、あちこちで燃え盛る。
……あ、亜夢……や、やめ……
……亜夢もぉ‼︎ ……
……あ、あああ⁉︎ ……わぁあああ‼︎ ……
直人の胸元に、燃え盛る炎の塊の如き、亜夢が飛び込できた。
……ナッ!……セ、センパイ‼︎ ……
熱い、熱すぎる。
焼かれる……これが、死か……
直人は、今度こそ、自身の魂が失われる事を覚悟した。瞬間——
頭上から大瀑布の激流が襲いかかる。一瞬にして、直人の魂に、冷や水の如き感覚が突き刺さり、亜夢の炎は、瞬時に鎮火されていた。
三人が、ずぶ濡れの感覚に包まれ、唖然となっていると、水の流れが一箇所にまとまり、アムネリアを形作った。
……さあ、帰りますよ……
アムネリアは、表情一つ動かす事なく、冷ややかに言う。
……あ、ああ……そうだった……
三人は、宥められた子供達のように、落ち着きを取り戻す。
……戻ろう……サニ、亜夢……
呆然と言う直人に、サニと亜夢は小さく頷いた。
……我が船へと導きます……あなた達は先に……
直人、そして亜夢は、精神の目を瞑り、肉体の感覚へと意識を向ける。二人の形は、空間の中へと溶け込むように消えて行った。
……さあ、貴女も……
……はいはい……と、面倒くさげにサニはゆっくりと立ち上がり、同様に<クナピピ>に残る肉体へと意識を向ける。
……サニ……
アムネリアが不意に呼びかけたので、サニの意識は、その声の方へと向く。
背を向けたアムネリアの姿が見える。
……今……貴女方が見せたものは……
……我が感じた……貴女のなおとへの想いは……
……これが……コイ? ……なのでしょうか? ……貴女が教えてくれた……
サニは、肩をすくめ、微笑を浮かべる。
……さあ、どうかしら? ……
……アタシ、恋なんて、とうに忘れた女だから……
……けど……悪くないかもね……
アムネリアは、その言葉に振り向いた。不敵な笑みを作り、サニは、再び精神を肉体へと指向する。
……恋ってのは、人から教えられるもんじゃない……そう感じたなら、そういう事よ……感じるままでいいんじゃない? ……もう一人のアンタ……亜夢みたいにさ……
……我は、人を知りたい……人の思いを……もっと多く……もっと深く……
……はぁ? 何言ってんの? アンタは人よ……他に何なの? ……
……我が……人? ……
……少なくとも、アタシ達にとってはね! ……
サニは、今度は表情を緩めた笑みを向けた。
……さぁ、送ってちょうだい! ……
アムネリアは、小さく頷き、<クナピピ>への帰路を示す。サニは、そのイメージに乗るようにして、肉体へと意識を戻していった。
……我は……人……
アムネリアは、三人の戻った先の中空を見上げ呟くと、そっと瞳を閉じる。
アムネリアを形は気嵐のようになって、静かに舞い上がっていった。




