レインボーサーペント 5
目に染みるスモッグと思わず咽ぶ匂いに、直人は困惑していた。酒と人の汗の匂いがそれに拍車をかけ、熱気と絶叫、笑い声、罵声に混じって、何かの音楽が聴こえている。
……サニ! ……サニ、どこだ⁉︎ ……
突然放り込まれた空間は、今度は直人の知らない世界だ。自分は、そこに居る誰か、になっているのだろうか?
とにかく物凄い煙の量だ。喉の違和感に、思わず咳き込む。
……キャハハ! だっらしなぁい〜。こんな煙くらいで……
今度は、青か紫か……そんな色味を帯びたサニが、傍にいた。
……サ、サニ⁉︎ なんだ、ここ? それに、この煙……
……タバコよ、ターバーコ。ま、闇だけどね。普通に生きてたら、縁がないのも無理ないね……
……こ、これが……タバコ……ゲェホ……聞いた、ことはあるけど……なんなんだよ、これ! ……
……前時代の遺物? 闇でも相当な値打ちものなんだけど。金を積んでも欲しい人がいるのね。中毒性高いみたいよ〜。センパイもどう? 金ならほら……
……な、なにこれ? ……
数枚のメダルと紙の薄汚れたカードを渡される。前時代の映像資料で見た事がある。コインと紙幣、いわゆる『現金』、というモノだろうか?
……チップよ。ここだけで使える……
……売人ならそこら辺に。あ、でも、ドラッグのバイヤーもいるから気をつけて。アハハハハ……
……いい、遠慮しとく。サニも吸うの? ……
……試してみたけど、喉痛めるからやめた。それにアタシは酒の方が……ね……
……喉? ……
……歌うのよ! ここじゃ、アタシ、ボーカルだから! ……見て! ……
サニの指差した方を見上げる。人混みと煙でわからなかったが、どうもライブハウスのようだ。
バンドの奏でる激情的なロックのリズムと歓声の只中に、アコースティックギターを掻き鳴らしながらマイクに向かう、サニらしき少女の姿が見える。
……この声……サニ? ……
十代の少女の見た目とは裏腹に、ハスキーで低めの声が、大音量で掻き鳴らされるバンドの音の中で唸る。オーストラリア訛りの強い英語の歌詞は、ほとんど理解できない。しかし、嵐の中を耐え凌ぐ、草花のようなイメージが、ありありと浮かんでくる。
ライブハウスの殆どの客が、サニの歌に釘付けになっている。騒然となっていたホールが、今は音楽以外の音はない。客は、皆、聴き入っているのだ。
…………凄い……
……どう、聞き惚れるっしょ。アタシの歌。ちなみに作詞作曲もアタシよ。ふふ……
いつの間にか、空いたテーブルで、ショートグラスを傾けているサニ。サニに勧められるまま、直人は、その席に着く。
……サニは音楽の才能、あるとは思ってたけど……何だ、この魂の底から震えてくるような音楽は……
……アタシもわからない……なんか、感情が昂ったり、逆に落ち込んだりすると、突然、湧いてくるんだ……それをケビンがアレンジして……こうやってステージで歌ってた……
……家出してから、一年くらいはこんな生活続いてて、ケビンとずっと音楽続けて、生きていくんだって……思ってたんだけどね……アタシが妊娠して……
……えっ⁉︎ ……
……あ⁉︎ ……そこは見てなかったっけ? ……
サニは、開き直ったように、自分の過去を直人に打ち明けた。比較的、穏やかな、でも平凡な普通の十代を過ごしてきた直人にとって、サニの十代は、あまりにも過激で衝撃的であった。直人は、あんぐりと口を開いたまま、しばし固まっている。
……ふふ、軽蔑する? ……碌でもないティーンエージャーよね、まったく……
……そ、そんな風には……
……ふふ……まぁ、どう思ってくれてもいいよ、センパイには、何でもぶちまけられそうだから……
……なんなんだよ、オレは……
……さぁ、わかんない……
音楽は、さらに熱を帯びている。ワンコーラス終えたサニへ、聴衆が賛辞の拍手や歓声を盛大に送っていた。
……ケビンが、アタシを捨てたのは、妊娠の事だけじゃない……アタシに嫉妬してた……アタシの音楽に……
直人は、ステージ中央でドラムを演奏している長髪、髭面の男に視線を向ける。その男がケビン、この当時のサニのパートナーという事だ。この時、三十代前半くらい。ずいぶんと年の離れたパートナーだと、直人は思う。
サニの母、ロワナが連れてきた、父親候補三人目。水商売がてら、ジャズシンガーとして生計を立てていた母のバンドで、何度かドラマーとして参加したのがきっかけだったと、サニは言う。母の影響で音楽は小さい頃から、歌や鍵盤には親しんでいたが、ケビンは、サニの才能に早くから気づき、サニに音楽の手解きをした。いわば、音楽の師匠でもある。
……まぁ……嫉妬したくなる気持ちも……わからなくはない……
直人もまた、ピアノ講師である母の勧めで、音楽の道を一時は志した。だが、残念ながら早いうちに自分の才能の限界を感じたものだ。サニの天性の才能に、自分も嫉妬しなかったかと言えば、嘘になる。
……はん、そういうとこ、男ってちっさいよねぇ……見栄とかプライドとか……アタシは、ケビンの才能にも、惚れてたのにさ……
……子供ができたって、知った時……ホントは嬉しかった……これで、ケビンも、もう一度、愛してくれる……ケビンが本当のパパに……本当の家族になれると思ったのに……
……それなのに……
青みを帯びた目の前のサニの身体は、次第に藍、そして濃い紫へと変化していく。
……あのクズは……アタシを捨てた……
……サニ⁉︎ ……
紫は、益々黒みを帯び、ライブハウスの情景と共に、闇の中へと溶け込んでいった。
……愛なんて……ない……幻想よ……
……皆、アタシの音楽と、カラダを欲しがる……
……それが、男、それが……人間……
直人を包み込む闇の空間が蠢き出す。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……闇の中で仄かに色づく虹色のグラデーションが、直人の周囲をぐるぐると廻り、螺旋を描き始める。
……アタシは惜しみなく与えた……
…………なのに、男達は……人は……奪うだけ……
虹の螺旋は、次第に明瞭な形となって、次第に直人を締め上げるように、迫ってくる。
……蛇⁉︎ これは……虹蛇か⁉︎ ……サニ! 呑まれるな‼︎ ……
直人は、必死に呼びかけた。
……ママも……騙されて……あんな裏切り者のパパなんかに……固執して……損な人生……
……あんな惨めな生き方……うんざりなのよ! ……
不意に、あのディジュリドゥの音が聞こえる。
……また、この音⁉︎ ……
……だから……アタシは、アタシはぁ! ……
……男を利用して……喰って生きるって決めたの! ……
…….…サニ! だめだ! 戻れなくなる! ……
虹の螺旋は、アボリジナルの壁画からそのまま抜き出たような、平面的な頭部を描き、直人の頭上に迫る。見上げれば、大きく開かれた口内に、鋭い歯列が見える。獲物を貫く喜びを待ち侘びるかのように、虹色のグラデーションの彩りが、歯列の表面で踊っていた。
……センパイ……ふふふ……
……アタシの一部に……なりなさい……
……サニ‼︎ ……
……センパイの持ってるモノ、アタシにちょうだい‼︎ ……




