サニ・マティーニ 3
サニとロワナは、IMCの隅に設けられた、休憩ブースに通されていた。<アマテラス>によるインナーミッションまで、あと一時間弱。それまで無言の母と二人、ここで待つのは、間が持ちそうにない。
ドリンクサーバーで淹れたカフェラテも、底がつき始めていた。サニは、適当に頭に浮かんだ言葉を口に出してみる。
「……た、隊長さんも難儀よね。よりによってパパなんかとか変わるから……」
ドリンクカップから口を離した母が、サニにジトッとした視線を向けてきた。
「ほんっと、他人巻き込むのが好きな人よ、あの人は」構わずサニは、言葉を思うままに吐き出す。
「サニ、アンタまだそんなこと……」ロワナは椅子から腰を浮かせる。
「当然よ。でも、このまま死なせたりしない。あの世から引きずり戻して、一生、研究サンプルにしてやるんだから!」「いい加減にしな! サニ!」
テーブルに身を乗り出して、サニの胸元を掴み上げると、ロワナは開いた右手を頭上高く持ち上げた。
「……なに、何よ! ぶつの? また、あの時みたいに!」語気を荒げるサニに、ロワナは歯を噛み締め、身を固くする。二人の時が、一瞬にして『あの時』へと巻き戻されてゆく。
およそ六年前——
「アンタたち……何を……やって……」
不意に開いたドア。青ざめた顔のまま、荷物を落とす帰宅した母……その姿に、サニは掛け布団を手繰り寄せ、あられもない身を隠す。
「……マ……ママ……」
「ロ、ロワナ! ち、違う、これは! ……」ほんのさっきまで、自分に覆い被さり、甘い言葉を囁いていた半裸の男は、慄いて身を後ろに逸らせながら口走る。
「何が違うってんだい!」ロワナは大股で部屋へと踏み込むと、男の首を鷲掴みにして締め上げる。男は、その腕を振り解こうと、必死に抵抗し、サニも母の腕を押さえながら叫んだ。
「だから! だから、違うの! これは!」「はぁ⁉︎ 何が違うってんだい⁉︎」
怒りにかまけて、ロワナはサニをベッドから振り落とす。
「ママが! ママが悪いんだよ‼︎ こうなったのは‼︎」
娘は涙を浮かべて訴える。ロワナは、男を突き倒すと、サニの方へと向かう。サニは手当たり次第のもので身体を隠しながら、ジリジリと部屋の隅へと追い詰められた。
「ケビンはずっと、寂しかったんだよ。ママが愛してくれないって。もう出ていくって言うから……だから……こうすれば、出ていかないし、パパにもなってくれるって……」
「お黙り‼︎」容赦のない平手が、サニの頬を打つ。
「痛っ!」
「ロ、ロワナ! 止めろ! がわっ!」
止めに入ったケビンの鳩尾に、ロワナの肘鉄が食い込み、ケビンは蹲った。
「娘を手篭めにする父親なんか、いらんわ‼︎ さっさと出ていきやがれ‼︎」
蹲るケビンを、踏みつけるような蹴りが、追い討ちをかける。たまらずケビンは、自分の服を掴み、部屋の出入り口へと逃げ出す。
「うっつつ……ちっ! 金蔓にもならねぇ、てめぇみてぇなババァ、こっちから願い下げだぜ! 出て行ってやらぁ!」
「ケビン!」「……あばよ、サニ」
「待って‼︎」サニの叫びは、ケビンが乱暴に閉めたドアの音に掻き消された。
「ろくでなし! 二度と戻ってくんなぁ‼︎」
ロワナは手当たり次第に拾い上げたモノを、ケビンが去ったドアに投げつける。
「やめて! もうやめてよ‼︎」
母の腕にしがみついて、サニは溢れる涙も構わずに叫ぶ。
「全部! 全部、ママのせいよ! ジョンも、ディックも、みんなママのせいでいなくなっちゃった!」
その言葉にロワナは硬直し、ゆっくりと振り向く。眉を吊り上げ、鬼女のような形相で娘を睨み付ける。
「お前、まさか……あいつらとも……」
「………ケ、ケビンは、ケビンは、ほ、ほんとうに……パパになってくれたかもしれないのに……」サニの戦慄く唇から、想いのたけが溢れ落ちる。
鬼女の浅黒い頬が、赤く色づき、飛び出さんばかりの眼球は、血走っている。布一枚、身を守るモノを持たない娘を壁に押し付け、ロワナは、再び、平手を宙高く持ち上げた。
「サニ‼︎ この、バカ娘が‼︎」
やや湿った、皮膚を打つ音が部屋に響き渡る。
「ったい! ……止め! ……止めて‼︎」
娘の涙ながらの訴えは、母の耳には届かない。
「うるさい‼︎」「っつ!」
また一つ、また一つ……頬を打つ音だけが、重ねられてゆく——
「すまん……サニ……」ロワナは急に脱力し、サニを解放すると椅子にへたり込んだ。
「……血の気が多いのは、相変わらずね、ママ」
ロワナは、ドリンクカップを一気に傾け、残った飲み物を飲み干すと、深く息を吐き出した。
「……まあ、アレで、ウチ出て行く決心が固まったけどね」サニも椅子に座り直すと、淡々と言った。
「ほんと、すまなかったよ。あの頃は生活を回すことだけで手一杯で。お前の事も気にかけてられなかった……けど、あの翌年、お前が突然家出して、ひどく狼狽したもんさ」
「……探しもしなかったくせに」サニは、再びカップを手に取って揺すり、カフェラテの残りを弄ぶ。
「捜索願いは出したさ。けど、まともに取り合っちゃもらえない。アタシらアボリジナルは……」
「一応、心配はしてくれたんだ……」
「当たり前だろ、娘だもんね。まさか、あのケビンと一緒だったとは、あの時は思いもしなかったよ」
ロワナの言葉に、サニは顔を上げた。母はじっとサニを見つめている。
「ぷっ……バッカみたい」「何がさ?」
「アタシが……かな」そう言うと、サニはカフェラテの残りを飲み干し、カップを静かにテーブルに置いた。
「……一つだけ、ママは正しかったよ」
サニは、神妙な面持ちを作ってみせる。
「ん?」ロワナは怪訝そうにサニを覗き込んだ。
「ケビンはさ……やっぱ最っっ低のクズヤローだった、てこと」
言い放ってドヤ顔を決めるサニに、目を丸くしたロワナの頬が急に綻んだ。
「ぷっ……なんだ、今更かい? 気づくの遅すぎだろ」「だね。ふふ……」「くくっ」
女二人は暫し、屈託のない笑いを立てていた。何年ぶりだろう……母とこうして、笑い合って話したのは。サニはそう思った。
「……大きくなったな。サニ」すっかり緩んだ顔で、ロワナはサニをマジマジと見つめる。
「はぁ? 二年前から身長、そう変わらないけどなぁ……」頭上に手をかざし、サニは戯けて見せる。
「バカ、そういう意味じゃない。クズ男に騙されて家飛び出してったコが、今やインナーノーツの隊員とは……ったく、不思議なもんさねぇ」母はしみじみと言った。
「ま、確かにね」「アンタの家出がなきゃ、IN-PSIDと関わる事もなきゃ、今の私の生活(ロワナはIN-PSIDオセアニア支部で職を世話してもらい、療養棟のヘルパーとして働きながら、ここで暮らしている)も、ファビオの面倒見てもらえる事もなかった。アンタにはこれでも感謝してるんだよ」
「ママ……」
「……ファビオは……アンタのパパは……どうなっちまうのかねぇ」
ロワナが休憩ブースの窓越しに見えるIMCを見やれば、スタッフらが、インナーミッションの準備に忙しなく動いている。先程までの笑みを不安の影が覆い隠していく。
ロワナの震える右手に、そっと手を添えると、サニは母に向かって言って聞かせるように、ゆっくりと語りかける。
「……もうじき、アタシの仲間達がくる。そしたら必ず、パパを連れ帰るから」
「サニ……」「わかってる。ママには、あの人しかいないんだもんね。大丈夫、アタシに任せて」
ロワナは、左手をサニの手に重ね、大きな瞳でサニをしばらく見つめて口を開く。
「ああ、お願いだよ」
そうしている間に、先程の日本人好青年が休憩ブースに駆け込んできた。
「……あ、マルティーニさん!」
ただならぬ様子に、サニは思わず腰を上げる。
「⁉︎ どうしましたか? ……えっと……」
「栗林です! ってそうじゃなくって! ファビオさんが!」「えっ⁉︎」




