表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第二章 月と夢と精霊と
64/256

空音 4

 同刻。IN-PSID所内、PSIシンドローム長期療養棟——

 

「全く、エゲツない事をしますね、我らの飼い主は」

 

 入室するなり神取は、その部屋の新しい入居者三人に向かって言葉を投げかけた。

 

 二人の男が、ベッドから跳ね上がって身構え、やや反応が遅れた女が一人、彼らに続いて起き上がった。

 

 三人は寄り合い、何かを警戒するように、身を固くしている。

 

「……大丈夫。ここの結界は、なかなか優秀です」神取は不敵な笑みを浮かべながら言う。

 

 彼らの飼い主(・・・)である御所の風辰衆、そしてその配下、夢見衆は、その霊力をもって、どれほど離れようとも監視の目を光らせる事が可能だ。三人が、それを警戒している事は、神取には手に取るようにわかった。

 

「ふふ、だから(・・・)こそ、貴方達が送り込まれたのでしょう?」

 

 神取の言葉に、三人のうちの一人が手振りで警戒を解かせた。入居登録は、兄妹弟としている。手振りをした男は『長兄』と言う事だ。

 

「担当医は誤魔化していましたが、はっきり言って、最悪です。貴方達の症状は」

 

 手にしたタブレットに表示されたカルテに目を通しながら、神取は言った。

 

 三人の名前は、黒羽兵吾、黒羽皆子、黒羽陣也となっている。勿論、偽名ではあるが、なんの捻りもないそのままの名前に、神取は苦笑せずにはいられない。

 

「ええ。わかっていますよ、神取先生(・・)。で、残された時間は?」静かに微笑んだ長兄の男、兵吾が問う。

 

「ここに居れば、幾らかの延命は可能だ。しかし、保って一年、早ければ半年。そんなところです」

 

 三人は特に落胆した様子もなく、淡々と神取の言葉を受け入れている。

 

 兵吾の瞳は、光を失い、神取のやや後方をぼんやりと見つめているように見える。カルテによれば、彼は視力を失っているらしい。

 

 一方、皆子と名乗っている妹は、神取の口元に注視していた。彼女は聴覚を失い、唇の動きを読んでいるようだ。

 

 弟、陣也は、神取に視線を合わせ、言葉を聞き取っている。だが、彼は声を失っている。

 

 それ以外にも、身体の各部にもそれぞれ、急性PSIシンドロームの症状であろう、細胞変異を抱えているという有様だった。

 

「十分です。その時間があれば、貴方を見張り、必要なら神子を強奪する事も……」兵吾は、平坦な口調で言うと、小さく微笑んだ。

 

「良いのですか? そんな事、私に話しても」

 

 神取は口元に笑いを浮かべながらも、その眼光は鋭い。

 

「構いませんよ。どうせ、その程度の事、貴方が気付かないワケもない」

 

 神取は、空いているベッドに腰を下ろし、兵吾を見つめる。

 

「……ふふ。大方、あの尼僧の差金、といったところか?」

 

 皆子、陣也は、ハッと息を呑んだ。反して、兵吾は、落ち着き払ったまま、返答する。

 

「ええ。あの方は、貴方を殊の外、警戒しているようだ」

 

 一時の静寂が、部屋を包む。

 

「……で、どうしますか? あなた方は。命じられたとおり、私を探りますか?」

 

 口を開いた神取の切れ長の両目が、兵吾を見据えた。

 

「ええ。あなたの素行は、逐一報告しますよ。ですが……」

 

 兵吾は、やや身を前に乗り出して続ける。

 

「我々には貴方に借りがある。残りの時間……せめてその借りだけでも返したい」

 

 兵吾の光を失った瞳が、微かに煌めいたように神取には見えた。皆子、陣也も兵吾に倣い、真摯な眼差しを神取に向けている。

 

「兵……」

 

「貴方が、御所の意志とは異なる目的で動いていることは察しがつく。貴方は、何を為そうと……」

 

 兵吾こと、烏衆、兵。視覚を奪われ、肉体崩壊の定めを受け入れた彼からは、かつての燻銀にギラつくナイフのような殺気は消え去っている。

 

 神取は、しばし瞑目し、再び目を開いて三人を見据えた。

 

「……三宝神器……」

 

 三人は、ハッとなって息を呑む。

 

「どうして……それを?」

 

 兵の声は震えている。皆、陣もまた身体を硬直させ、唇を戦慄かせていた。構わず、神取は続ける。

 

「兵、皆、陣。貴方達、何を見ましたか? あそこで……」

 

 

 ****

 

 伸びやかな青空、草原を行く風を想起させるような爽やかな旋律。それでいて、弦楽四重奏にピアノを加えた、シューマンのピアノ五重奏曲は、室内楽でありながら、ドイツロマン派の重厚な響きを感じさせる。

 

 シューマンが愛した妻、クララ。彼女に献呈されたというこの曲の第一楽章は、クララとの結婚生活の幸福感をそのままに込めたかのような、前半の提示部を駆け抜け、次第に翳りある展開部へと移ってゆく。

 

 その部屋の窓からは、夜の衣を纏う海が見える。波間に誘われた、もう時期、満月を迎える月影が細やかに揺蕩い、ピアノソロが紡ぎ出す、八分音符の細やかな調べにおり重なる。

 

 真世は、幾分慎重ながら、クララのために書かれたであろう、難易度の高いパッセージを完璧にこなしてゆく。

 

 直人はその巧みさに聞き惚れながら、ピアノの旋律に重なり合う、チェロ、ビオラのオブリガートに、ファーストバイオリンと共に、音を重ねる。

 

「……?」

 

 ハーモニーの気持ち悪さを感じて、直人は演奏仲間たちを見回した。チェロを担当する藤川も顔をあげ、ファーストバイオリンのカミラは、眉を顰めていた。

 

 再び、音程を変え同様のフレーズが繰り返される。さっきよりもハーモニーが濁る。

 

「えっ……?」思わず直人は、弾くのを止める。同じく止めた藤川と目が合う。

 

「止め、止め止め! ストップ!」

 

 カミラが弓を二、三振って声を上げると、ピアノの真世と、ビオラのサニも手を止めた。

 

「何なの、この音程! もう一回!」カミラは、眉を吊り上げたまま、厳しい口調で言った。カミラはインナーミッション時より、アンサンブルを仕切っている時の方が、キツいのではないかと直人は思う。

 

 直人は背筋を伸ばして椅子に座り直し、藤川は、こそっとチェロのチューニングを確認するフリをしていた。

 

「ビオラ! サニ、ちょっとふざけてるの? さっきからずっと音程、おかしいわ!」

 

 サニが注意を受けるのは珍しい。思わず直人は、サニへと視線を送る。

 

「えっええ? ちゃんとやってる!」抗議するような口調で、サニは反論した。

 

「所長、すみません。今のところ、チェロとビオラで。あ、真世も一緒に」

 

「うむ、よく聞いて合わせて」藤川は努めて優しくサニに言った。

 

「は、はい……」

 

 サニが渋々、ビオラを構え直すと、藤川のアインザッツでカミラが指摘した箇所を真世、藤川、サニの三人が演奏し直す。

 

 やはりハーモニーが揃っていない。

 

「……ほら、そこ!」カミラが空かさず指摘する。三人は、その声に演奏を止めた。

 

「えっ……だって……チェロが低いから……」慌てて言い訳するサニ。藤川は、困惑し、眉を寄せる。

 

「いいえ、チェロはピアノと合ってる」

 

 カミラは言い切った。

 

「あれ……じゃあ…………」

 

 言いながらサニは、無造作に楽器を床に置くと、耳に手を当てた。

 

「……聞こえる……チェロじゃなかった……またあの音……」

 

 唸る低音が、頭の中で鳴り響く。時折、ビートを刻むような音を伴いながら、より鮮明に聞こえ出したその音は、サニの全身を揺さぶり始めた。

 

 サニが音に抗って耳を押さえつけるほど、音はサニの体の中で反響する。

 

「何……何なのよ! この音……嫌……嫌ぁあああ!」「サニ⁉︎」

 

 急に取り乱し始めたサニに、皆は血相を変え、椅子から立ち上がっていた。

 

 音が高揚するほど、サニの視界は歪んでゆく。

 

「やだ……止めて……何なのよ……嫌……」

 

「サニ‼︎」

 

 耳を塞いだままのサニは、前のめりに椅子から崩れ落ち、そのまま床に倒れ込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ