空音 3
東は説明を続ける。
「詳しい話は、また日が近くなってからになるが、向こうからの要請でな。なんでも、月にかかる重力が極大となる新月のタイミングを狙う必要があるらしい。ところで、月にアメリカが管理するPSIシンドローム療養施設があるのは知っているな?」
ティムはハッとなって顔を上げた。
「え、ええ。二十年前の世界同時多発地震以降、PSI利用がまだ僅かな月環境における、PSIシンドロームの症状改善効果を期待されて設立されたと聞いていますが……」カミラが答える。
「うむ。だが実際には、さほどの成果は無く、入所できるのも月へ渡航できる富裕層や、宇宙事業関連者など、ごく限られた者達だけだ。今や、月面ホテルなどと言われている」言いながら東は、施設の写真や沿革などの基本情報をモニターに展開した。
「そこが、今度のミッション対象だと?」腕組みをしたアランが、確認する。
「そういう事だ。月はPSI利用開発が発展途上ではあるが、ここ最近、入所者のPSIシンドロームの症状悪化、PSI現象化らしき怪異現象の目撃などの報告が増加している。この調査、及び解消がミッションの目的だ」
東の説明に被せるように、ティムが唐突に口を開く。
「[サナトリウム・ルナ・フィリア]……あそこは政府関係者も多く滞在している。大方、そこら辺のお偉いさんからの要請だろ?」
「知ったような物言いね、ティム。あぁ、そういえば貴方、月に居たのよね?」ティムが、IN-PSIDの付属大学に進学する直前まで、3年ほど月で暮らしていたという話は、インナーノーツ結成当初、本人の口から訊いたことがある。その事をカミラは思い出した。
「昔の話さ。けど、あそこまで、どうやって行くんだい? インナースペースは、確かに空間を超越できるけど、その為には現象界側からの精密な座標測定も必要になる。あ、まさか、<イワクラ>を月に運ぼうなんて話じゃないよな?」
「無論だ」藤川はティムの問いに大きく頷き、東に説明を促した。
「月への移動には、アメリカ支部が開発したPSIクラフト<リーベルタース>を使う。リーベルタースは、インナースペースを利用した空間跳躍、俗に言う、ワープ航法を実現した機体だ」
「何? ワープだって?」ティムは、驚きを隠せない。否、ティムだけではない。インナーノーツの一同は皆、彼と同じ顔をしていた。
「うむ。すでに太平洋海中でのテストを数十回重ね、実用段階に入っている」
藤川が言うのと同時に、東は、<リーベルダース>の資料を卓状モニターに展開する。資料中に大きく示された<リーベルタース>の四面図と立体フォログラムイメージに皆の注目が集まる。中央の船体構造には、<アマテラス>の面影があるが、デルタ翼に近い形状と二枚の垂直尾翼を持ち、ジェット戦闘機と見紛うばかりだ。その一方で船体下部は、丸身を帯びた水上船や潜水艦を彷彿とさせる構造を有している。どうやら、<リーベルタース>は、インナースペースだけでなく、現象界の空、海などの通常空間でも、ある程度活動する事を想定した作りをしているらしいことは、インナーノーツの皆も、フォログラムの形状から読み取れた。
「マジかよ」ティムは、展開された資料に目を丸めながら呟いた。
「<リーベルタース>とアメリカ支部の管制システム、<イワクラ>を連携させて<アマテラス>を月へ運ぶ計画だ」
「凄えな。ワープが実用化されたとなれば、オレのオヤジ、仕事あがったりかもな」ティムの脳裏に、現役で宇宙貨物船の船長を務めている父親が浮かび、皮肉めいた笑いを浮かべた。
「しかし、ワープ航法の開発など、PSIクラフトの範疇を超えているのでは?」
カミラの疑問は尤もだ。藤川は、一つ頷くと、疑問に答える。
「PSIクラフトは、インナースペース、PSIテクノロジーの最先端だ。PSIクラフトの開発によってもたらされる技術革新には、各国政府の関心も高い」
「逆に言えば、そんな付加価値でもないと、なかなか予算も付きにくいのが現実だ」アルベルトが亜夢のデータを見守ったまま、口を挟む。技術部長である彼が言うと、妙に説得力がある。皆、深く頷いていた。
「ま、そんな理由も一つだが……<リーベルタース>だけでなく、各支部ではそれぞれ特徴的な付加機能を有するフネを開発している」
藤川は、良い機会だとばかりに、機密サーバーにアクセスし、資料を展開してゆく。インナーノーツの皆は息を呑む。
「わぉ……」「これは……」「すごい……」
藤川が広げた資料は、国連のPSID・PSIシンドローム拡散防止計画に基づく、PSIクラフト建造計画の一覧だ。樹形図のように世界各地のIN-PSIDで建造されるPSIクラフトの開発系譜が連なっている。
日本本部の<アマテラス>をスタートに、二股に枝分かれし、一方は、<アマテラス>直系となる『先行開発第二世代型』とされ、アメリカ支部の<リーベルタース>、EU支部の<ノルン>が連なり、もう一方の『第三世代』は、さらに二つに枝分かれし、一方は、China支部の次世代量産ベース<天仙娘娘>と、それに続く量産機の系譜、もう一方は、次世代発展開発試験機ラインナップとされ、オセアニア支部の<クナピピ>、神聖バビロニア支部の<イシュタル>、エジプト支部の<イシス>、インド支部の<ラクシュミー>などが連なっている。
第二世代型、及び<天仙娘娘>までは、おおよそ<アマテラス>をベースとしており、形状も類似した特徴を有するが、第三世代は、多種多様のデザイン様式となっており、それだけでも、インナーノーツの一同は、見入られずにはいられない。
「とりわけ……」口を開きながら藤川は、その第三世代のPSIクラフト群から、一隻をピックアップし、立体フォログラムに投影した。
「……我々としてはオセアニアで開発している、この<クナピピ>に注目している」
まるで樹木か、はたまた花の花弁のような形状を有する<クナピピ>は、第三世代機の中でも独特のフォルムを描いている。
「<クナピピ>は、インナースペース深淵、集合無意識の探索に主眼を置いた機体だ。我々が今、アムネリア・亜夢の能力に頼って、何とか掴み取っている集合無意識の情報……これが完成すれば、その解明に大きく寄与する筈。ミッションにおいても、インナースペース情報の集積ターミナルとして機能し、他のPSIクラフトに随伴する事で、ミッション支援機としての活躍も期待されている」
「集合無意識……そうか、これが完成すればガイアソウルの解析も……」藤川の説明の意図するところを、アランは頷いて理解した。
「そういう事だ。この機体だけは、完成を急がれていてな、すでに、有人のシステム調整とテストも並行して進めている。来月にはロールアウトの予定だ」
「そういえば、サニの親父さんが、システム開発の協力者として参加してるとか、聞いたなぁ?」拠点間の開発情報共有で、アルベルトは、そんな話を耳にしていた。
「そうなの?」カミラが問う。
「え? ……あ、そういえば……」
サニは日本に渡る直前、IN-PSIDオセアニア支部に少しの間いた頃、父親が何かの研究対象になる事への同意を求められたのを思い出す。それが、この<クナピピ>開発に繋がっていたとは、今の今まで知らなかった。
「ですが所長。進捗報告によると、そのシステム開発が難航しているらしく……遅れが出始めているようです」東は、硬い表情で報告する。
「遅れ? どの程度の?」藤川は眉を顰めた。
「現在、船は完成してますが、システムに関しては三週間遅れとのことです」「そうか……東くん。あれは、今後のインナーミッションを左右する。オセアニアとの情報共有を密に進めてくれ。アル、技術的なサポートで、こちらでできそうなことがあれば……」
藤川、東、アルベルトがオセアニア支部との、今後の対応をめぐって、打ち合わせを進めている。どうでもいいと思いながら、サニは聞き流していた。だんだんとその三人の声が混ざり合っていく。
「……うぅん……あれ? ……」
低く唸るあの風のような音が、耳の奥で鳴り響き、頭を揺さぶる感覚に、サニは思わず耳を塞いで、身を屈める。
「サニ?」サニの様子に気づいた直人が、すぐに声をかける。
「ん、どうした?」様子に気づいた東の視線がサニへと向くと、皆の注意も一度に彼女へと注がれる。
皆の視線に気づくと同時に音は抜けてゆく。
「…………な、なんでも……ない」
サニは、呆然としながら、耳に当てた両手を垂れさげた。




