予兆 1
視界が開けてくると、自分を心配そうに覗き込む、よく似た二人の顔が並んでいた。
「……真世……お母さん……」
「ママ! ……よかった……」「実世……」
西に傾きかけた日差しに、ほのかに赤く色づく自室で、実世は目を覚ました。真世、そして実世の母親である貴美子がほっと漏らすため息は、同時だった。
「心配したんだよ……このまま、目が覚めなかったら……あたし……」
真世の顔に、ようやく笑顔が戻る。インナーミッション終了直後、実世の状況の連絡を受けた真世は、長期療養棟の母の元へ駆けつけていた。
「ごめんね……真世……」
実世は、そっと娘を寄せると、彼女の頭の後ろを二、三度撫でてやった。
「……不思議な夢を見てたわ……」
真世の気持ちが落ち着いてきた頃合いに、実世は何かを思い出すようにして、話し始めた。
「……真っ赤に燃える火の鳥と……龍? ……そう、龍よ……」
「火の鳥と、龍は……ずっと離れ離れで……とても会いたがっていた……」
真世は、身体をぴくりと震わせて、母の話に反応する。母の語る夢は、ミッションで見ていた光景、そのままではないか……
「その二人が、再び巡り会い……楽しそうに踊るの……いいなぁ、って思いながら見ていたら……」
「子供達に、どうしようもなく会いたくなって……そこで目が覚めた……」
そこまで言うと、実世は、優しげな微笑みで真世を見つめる。
「……ふふ……あながち、夢じゃないかも……」
思い出したように、真世は掌に光形成される通信端末ディスプレイを広げ、二、三度、タップしてニュースページを開く。実世と貴美子は、その記事を覗き込む。
真世が母の目覚めを療養棟の食堂で待つ間、テレビで見かけたニュースだった。
その記事のタイトルは、こうある。
『中国の大空に、鳳凰と龍が出現か?』
真世が、そのページを見せながら、スクロールしていくと、まるで巨大な鳳凰と龍が、絡み合いながら、空高く昇って行くような雲の映像が、夏の青空に浮かんでいた。
「まぁ……」「見事ね……」
あまりにはっきりとした雲の形に、実世も貴美子も、感嘆のため息を漏らしていた。
不意に入り口をノックする音が聞こえ、真世は、どうぞ、と訪ね人の入室を促す。
「おや、お目覚めでしたか?」
落ち着き払った神取が、部屋へと入ってきた。
「神取先生、あの……ありがとうございます」
真世は、腰掛けから立ち上がって、会釈して礼を述べる。
「私からも礼を言うわ」神取の研修を受け入れた、附属病院の医院長である貴美子まで、揃って頭を下げるので、さすがの神取も、やや狼狽してみせた。
「いえいえ。院長まで。当然のことをしたまでです」
確かにそのとおりではある。日中、医師らは、皆、病院棟の方に行ってしまうため、療養棟の留守を預かる神取が、患者の容態急変に初動対応する事になるのだから。
入居者の容態急変という事態は、少ないとはいえ、療養棟の留守を神取に任せ切っているということは、医師らが、すっかり神取の腕に信頼を置いているのであろうと、真世は思った。
「実世さん、体力がだいぶ落ちているようですよ。ゆっくり休んでください。それから、お食事も、できるだけ」
神取は、淡々と実世のバイタルモニターを確認しながら言った。
「はいはい。神取先生、最近、口うるさくて。お母さんより、ずっと母親みたいなのよ。ふふふ」「まあ!」
実世は、柔らかい笑みを浮かべ、実の母が目を丸くしているのを面白がっている。
「ちょっと、ママ! すみません、先生」真世は、まるで躾のなっていない我が子の物言いを詫びるように、ペコペコと頭を下げた。
「ははは」神取は、腰を落として実世の顔色、口腔、目の周りなど一通り健康状態を確認しながら、乾いた笑いを立てた。そうしている間に、神取の心に直接、響いてくる声が聞こえる。
……旦那様……神子の件……お話が……
真世の心に取り憑かせた、女式神、彩女の声だと、神取はすぐにわかる。
……うむ……後ほど聞こう……
……へぇ……
一通りの健康観察を終えると、神取はすっと立ち上がる。
「……まぁ大丈夫でしょう。それでは、私はこれで」
そう言うと、神取はさっさと部屋の出入口へと向かう。
「あ、ほ、本当に、ありがとうございました」
真世の、深々と頭を下げた謝意を背中で受け止めながら、神取は、無言のまま部屋を後にした。
****
数日後——
「China支部は、本日、仙水の危険性を公表、配水業務の一時停止に踏み切りました。今後は、賈主任研究員を中心に、品質安全向上委員会を設置し、改善にあたっていくそうです」東は、手元のタブレットに視線を落としながら、淡々と報告する。
インナーミッションの事後処理、患者らへのアフターケアなどひと段落し、IN-PSID本部のミーティングルームでは、本部の幹部らが集まり、今回のChina支部との共同インナーミッションの総括、及び今後の方針会議が設けられていた。
「よく判断したな、容」重く呟く藤川に、その場の一同も深く頷いた。
「ミッション対象者の経過は?」藤川は、東に次の報告を促す。
手元のタブレットをスクロールして、東は報告を続けた。
「それも報告が来ています。対象者の回復状況は、皆、概ね良好……ん?」
東は怪訝そうに眉を顰めている。
「どうした、東くん?」
「いや、……ただ、一人だけ」
「回復しなかったのか?」技術部長、アルベルトが問いただす。
「い、いえ。北京軍立病院の患者の一人ですが……ミッション後の経過報告もなく、ただ即日、退院と……」「退院? ミッション後、最低でも三日は、経過観察が必要と、取り決めているはずよ」貴美子が声を上げた。
「ええ、ですが……あ、容支部長のコメントがあります。『軍事機密扱いのため、経過観察不要』……カルテも抹消されてしまったようです」答える東も困惑を隠せない。
「軍事機密とされれば、容も追求できんだろうな……その患者は特定できているのか?」再び、アルベルトが問う。
「はい。中東PSI戦争への従軍経験がある兵士のようです。ですが、特筆するような記録は……」「あるいは……改竄されたか? 軍事機密となれば、それくらいやるだろうな」背もたれにもたれ掛かりながら、アルベルトは、呆れたように言い放つ。
「軍病院……やはり……インナーミッションの軍事転用を……」「無いとは、言えんだろうなぁ……」
先進技術は、古来、戦争の道具とされるのが、世の常だ。その懸念が、皆の胸の内に垂れ込める。
藤川は、その空気を断ち切るように、さっと立ち上がった。その場の一同の視線が、藤川に集まる。
「……中民軍の目的はわからんが、詮索に時間を割く必要もあるまい。我々には、まだまだこなさねばならぬ課題が山積みだ……」
皆は、静かに頷き、再び議題に集中する。
****
同刻。北京近郊、『真中華解放戦線』施設——
現民主化体制を良しとせず、再び独裁をもって、中華覇道の実現を成そうという武装組織『真中華解放戦線』。旧世紀の遺跡のような雑居ビルの地下、彼らの潜伏拠点の一つに、あの北京軍立病院医院長が姿を見せる。
外観とは裏腹に、施設内は小綺麗に整備された部屋をハイテク機材が埋める。医院長が、ガラス張りのブースの前に立つと、照明が灯り、ブースの中が浮かび上がった。
拘束され、車椅子に座らされている、刈り上げの若い男は、項垂れたまま、何かを呟いていた。
『……恐怖を……絶望を…………恐怖を……』
「IN-PSIDの機密情報は結局手に入らず、残ったのは、アイツらが押し付けていったこの男のみ……だが……思わぬ収穫となったか……よし、始めろ」
「はっ!」
医療技師らしき男が、ブース内のロボットアームを操作し、項垂れた刈り上げの男に、何やら液体を注射して行く。
「仙水で調整した生理食塩水を投与しています。……ご覧ください」
『……お、それを……ぜっ……うっぐっ……が、あああ、がは……あああ……』
たちまち、男の喉笛に横一文字の傷のようなものが浮き出して大きな割れ目を作ると、そこから一つ、二つと、この世のものか、否か、胎児の頭ほどの大きさの水泡が、次々と浮かび上がる。たまらず、大きく反り返った男の顕になった首周りに、八つの新たな顔が現れる。
『おそれよ……絶望せよ……』生まれ出た八つの首は、何やら念仏のように絶えず呟いている。
「これは……神か……それとも……あぅ!?」
医院長は、突然、身体を身震いさせ、その場に膝を折る。医療技師、その他、同室のものも、同じように膝まづかずにはいられない。
「おお……おおおお……おそれは、力! 国の礎! 貴方様こそ……真なる中華の王……」
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「……今回の結果を受け、China支部は、世界へ向けたインナーミッションの公示と、PSIクラフト量産型二隻の追加建造許可を求めてきています」IN-PSID本部の会議は、続いていた。
「量産型の追加とは……ずいぶん、大きく出たな」アルベルトは小笑いしながら言った。
「Chinaブロックの人口と、PSIシンドロームの拡大状況を考慮した上での事だろう。片山くん、精査の上、委員会へ申請処理を頼む」
「はい」 IN-PSID本部副所長、片山は抑揚のない返事で、所長、藤川の指示を受け入れる。
「インナーミッションも……いよいよ、公表するのね、コウ?」不安気な表情を見せながら、そう言う妻、貴美子に、藤川は静かに、だが、力強く頷いた。
「ガイア・ソウルが確かであるなら、地球全体に関わる課題だ。打てる手立ては、多いに越したことはない」
藤川の言葉に、アルベルトは眉を顰める。
「だが、未知の先進技術だ。世間様には、どう映るものかねぇ」
「PSIテクノロジーそのものへの不信から、我々、IN-PSIDへの風当たりも未だに根強い。……抵抗は避けられないでしょうね」東も顔を硬らせる。
「いずれは、通らねばならぬ道……か」 貴美子は静かに呟いていた。
「技術は、単に技術だ。毒とするか、薬とするか……それは使う者次第」言いながら、藤川は窓辺へと向かう。夏の日差しに煌めく日本海が、窓の先に見える。藤川は、その水平線の彼方を見つめながらもう一度、口を開いた。
「なに……"希望"は、確実に育っているよ」
****
『次! 対[エレメンタル]防御戦! シミュレーションナンバー十五、[共工]! スタート!』
<天仙娘娘>ブリッジに凛とした容の声が響く。
「来ます! 総員、精神防御しつつ、ダイレクト接続で全周仙術波発動です。今日こそ、目標スコア、クリアしますよ!」「わかってるヨ」
劉、楊は、慣れた手付きで自身のPSIハーモナイズ調整作業を進める。
「ハァ〜〜これ気持ち悪くて嫌ぁい」わざわざ、皆に聞こえるように呟く智愛。
「智愛、集中……」「はぁい〜」
正面を向いたまま嗜める静に、智愛のシートユニットがゆっくりと近づく。
「あっ!?」静が気づいた時には、智愛がシートをピッタリと横につけ、餌をねだる猫のように擦り寄ってくる。
「……ねぇ、静……今日は、どこ行こっか?」小声で甘えた声を出す智愛。
「こ……こら、よせ!」思わず、静は大声を漏らし、取り憑く智愛を引き離そうとした。
『智愛! 静! 何やってんの! 二人とも! 同調率、下がってるわよ!』通信モニターに映る容の、刺々しい声音がブリッジを揺らす。
「は、はいぃ!」智愛、静は、そそくさと自分の作業に戻った。
「ヒヒヒ……」
一方でブリッジ隅に寄ったシートユニットの上で、明明はモゾモゾと蠢いめいている。
「ん? なに……」劉は、鼻腔をくすぐる異様な臭いに眉を顰めた。
「ちょ……なんか臭うヨ?」鼻を腕で覆い、ブリッジを見回す楊。
「あ〜、また明明!」「明明!」智愛と静の視線が背に刺さり、明明は振り向く。あの赤い物体を手にした明明の口元が、忙しなく動いていた。
「……ち、違うんだ! こ、これは、とっておきの秘策で!」鼻を摘んだ皆の責める視線に、あたふたと明明は弁明する。
『明明!』両目を吊り上げていた容は、ふと何かに気づく。
『……って……ん?』
「あれれぇ〜? 精神防御率十二パーセント上昇? どぉう言うこと??」智愛もPSI-Link状況モニターを覗き込み、怪訝な表情を浮かべた。
「よっしゃあ!」明明は、嬉々として立ち上がり、ガッツポーズを作り、手にした、袋に入った『赤いもの』を皆に見せ付ける。
「どうよ、特性辣条ニンニク入り! 魔除け効果、的中じゃんか!」
「い、いや……ドラキュラじゃねぇし……」鼻を摘んだままの静の顔は、ひきつっている。
「ど、どおりで……ひ……酷い匂い……ネ……」楊は頭がクラクラしてきた。時間を追うごとに、臭いの濃度が増している。
「ジ、智愛! 換気システム全開! 急ぎなさい」
「やってますってぇ〜〜」
『もう、あんたって娘はぁ! 明明!』
『楊姐、ご、ごめんなさい! でも、ほら精神防御はバッチリ!』『何言ってんの! 同調率、だだ下がりヨ! アンタのソレ、ただ皆の集中力削ってるだけネ! すぐに片付けなさぁい!!』
「ふぅ……ったく……」
通信モニター越しの茶番劇に、容は頭を抱えた。
「ふふ、麗ちゃんの手を焼かせるなんて……」
雨桐は、そんな友の様子を微笑ましく見つめながら、にこやかに笑っている。
自分を救った、インナーノーツを一目見たいと言うので、容は特別にChina支部IMCへの入室を許可していたが……あまり見せれたものではない。
「あー、それ、あんたが言う?? 学費に仙水! ここの世話も!」容は、語気を強めて言った。作ったような容の真顔に、雨桐は、ぷっと噴いてしまう。
「……えっとぉ……ごめんなさい……」言いながら、雨桐の笑みは次第に消えてゆく。
「……仙水も……止めたんだもんね……」雨桐は、俯いて言った。容は、屈んで雨桐の顔を覗き込み、彼女の額を指で弾いた。
「痛!」思わず顔を上げ、額を抑える雨桐。容のジト目が、彼女を正面から見据えている。
「辛気臭いぞ、雨桐」「……」
容は、ニンマリと笑を浮かべ、身体を起こす。
「あんたが身体張って、教えてくれたんだから。応えないわけにいかないでしょ」再び<天仙娘娘>の騒がしいブリッジを見つめながら、素気なく言った。
「……でも…………難しいよ。いつ再開できるか……もしかしたら、このまま……」
雨桐も、<天仙娘娘>の映像の方へと視線を戻す。
「わかってる。奇蹟は、そう簡単に起こりはしない……けれど、一歩一歩進んでいけば、いつかは必ず」
「……大丈夫よ、雨桐! 貴女と一緒なら!」
笑顔を作ってみせる容の瞳と、雨桐の瞳が交差する。
「麗ちゃん……」
「……うん」雨桐は、小さく頷いていた。




