クリティカル・パス 3
IN-PSID EU暫定本部、現地時刻、午後四時——
ドーム状の空間に広がりきった、ホログラムの大樹の幹から一本の太い枝へと向かって伸びる光の筋。その筋を追っていくと、いくつか枝分かれをした先の大きな分岐点で、光点が明滅している。
ハンナは一人、その光点を見上げていた。扉が開く音の後、ゆったりと、重みのある足音が近づいてくる。ウォーロックだと、ハンナにはすぐにわかった。
「そろそろ、答えは出たかな? ハンナ」
ウォーロックの問いに、ハンナは背を向けたまま、無言で答える。構わずウォーロックは足を進め、ハンナの隣に立ち、彼女の肩に太い腕を回そうとした。
ハンナはスッと身を離し、ウォーロックの方へと向く。ウォーロックは、面白くなさそうな苦笑を浮かべ、大樹の枝を見上げた。
「キミもわかっているはずだ。このユグドラシルは、今後、世界を導く指標。EU支部が独占すべきものではない。いいかげん、国連の管理を受け入れてくれ」
ハンナは何も答えず、もう一度、ユグドラシルの光点を見上げた。人類は、大きな運命の岐路に立っている……そう意識するほど、ハンナは、なぜか古い記憶を思い出していた。
「覚えてる? あの、『EASO (EU時空間研究機構)』でPSIの可能性を夢中になって追いかけていたわね、私たち。あの頃、こんな未来を予測する技術が実現するなんて、想像もつかなかった……」「ああ。これを成し遂げたのは、キミだ」「あなたのアイディアがあってこそよ。とても人が思いもつかないようなアイディアをいくつも……」
ウォーロックは首を振って俯く。横顔を向けたままのウォーロックを、ハンナはまっすぐ見つめた。
「ウォーロック……友人として聞くわ。あなたは誰?」
ウォーロックはギョッと目を丸める。
「いったい……何をしようとしているの?」
ウォーロックは、ゆっくりと顔を上げ、ハンナを見つめ返す。
「ガイアソウル変動……もはや、一刻も猶予がないことはキミも承知しているはずだ。だが、人類は生き延びねばならぬ……たとえどのような手段をとったとしても。何かを犠牲にしようとも」
ハンナは息を飲んだ。
「……悪いようにはしない。そう、言っただろう……『キミ』には」ウォーロックは、ハンナに背を向け、出入口へと足を運ぶ。
「いい返事を待っている……」
ウォーロックは部屋を後にする。
「ウォーロック……」小さく震える声で、ハンナは呟いていた。
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一晩明けたIN-PSID日本本部は、朝から忙しなく動き始めている。
IMCでは、ティム、マイケルらを中心に『<リーベルタース>奪還作戦』が練り上げられていた。その一方で、藤川、東、アルベルト、カミラ、アランは、<アマテラス>のネクサス・アルカディアへの突入と、黄金の女神のサブリミナルパルス無効化シミュレーションを繰り返す。
その間、藤川の要請で、極秘に<リーベルタース>のワープ転送を再観測している<クナピピ>のシドレアに、サニは再び接続して状況監視にあたる。
作戦の要となる<テメノス>の準備が整い、<アマテラス>は、整備に余念がない。各々が、出来ることに最善を尽くしていた。
サニがシドレアから得た情報により、<リーベルタース>のワープ転送量が次第に落ちてきていることを掴む。解析の結果、おそらくその転送作業は、この日の夕刻頃には、停止する見込みだ。それは、ネクサス・アルカディアへのヴァーチャルネットデータ移行が完了することを意味する。
「つまり、その時までに作戦を決行しなければ、おそらく、ネクサス・アルカディア中枢へのアクセスチャンスは二度とない!」アルベルトは言い切った。
IMCに集う一同に緊張が走る。
「だが、<リーベルタース>を奪還できないことには」とマイケル。奪還作戦は、ほぼ完成している。あとは決行のタイミングだ。
「出来るだけ隙をつきたいところだけど……NUSA支部の状況がわからないからなぁ……こればっかりは」と頭を掻くティム。
「そんなの、やっぱり夜襲に限るでしょ!」とサラはあっけらかんと言う。
「おい、サラ! そう簡単に……」「わからない、マイケル? NUBIの連中は、夜、仕掛けてきた。つまり、そういうことよ」とサラは微笑む。マイケルとティムは眉を寄せて顔を見合わせる。
「サラの言うことは一理ある」と藤川。
「どのみち、タイムリミットは近い。可能性にかけよう」
「では、作戦開始時刻は、NUSA現地時間で二十二時、日本時間、十五時で、いかがでしょう?」東が提案する。
「良い頃合いだろう。東くん、関係者へ通達。皆はそれまで、しっかり英気を養っておいてくれ」
藤川は、ちょうど昼時になったのを見計らい、皆を一旦、解散させた。
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療養棟ICU区画内、検査処置室で、直人は身体スキャニング装置に入れられている。コントロールブースでは、貴美子が、浮かび上がる直人の身体ホログラムを真剣な眼差しで見つめていた。
「どうですか? 貴美子先生」カミラが訊ねる。IMCを出て、カミラとアランは直人の状況を確認しに来ていた。その後ろで、亜夢と真世が心配気に様子を窺っている。
「……良い……とはいえないわね。もう少し、安静が必要ではあるけど……」『先生、もう、動けます! 行かせてください!』貴美子の言葉を遮って、装置のマイクを通した直人の声がブースに響く。
「ずっとあの調子なのよ」貴美子は苦笑いを浮かべた。
「……サブリミナルの排除には……場合によってはPSI波動砲の使用も……」と小声でカミラに言うアラン。「ええ……ナオには加わってほしいところだけど……」眉を顰めるカミラ。真世は、二人の会話を聞きながら、貴美子の様子を窺っている。
「貴美子! カミラ! なおとは、大丈夫! あたしが、ぜったい守るから‼︎」亜夢は、迷いなく言い切った。貴美子、カミラ、アランの三人は、呆気に取られたような表情で亜夢を見つめ、真世は開きかけた口を閉ざし、俯く。
「ふふ、亜夢。どうやって直人を守ってくれるのかしら?」貴美子は少し意地悪そうな口ぶりで訊ねる。
「えっ⁉︎ んー、そ、それはぁ〜〜……えーとぉ……」頭を捻る亜夢に、貴美子は思わず吹き出す。
「……負けたわ。私だって……直人の気持ちを尊重してあげたい。今回は出動を認めます」
亜夢の顔が、ぱぁっと明るくなっていく。カミラ、アランは複雑な笑みを浮かべていた。
「なおと! 行っていいって!」亜夢は、マイクに向かって大声で言った。
『あ、ありがとうございます、先生』
「ただし! あの『浄化技』だけは、絶対に禁止よ! またやったら、今度こそ、身体がもたなくなるかもしれないわ。カミラ、もし直人がやりそうになったら、何がなんでも止めること!」
「わかりました」カミラは頷いて答えた。
貴美子は、加えて体調の悪化を感じたらすぐに<アマテラス>の救護カプセルに入ること、ミッション後はまた、療養棟に戻ることを条件に加え、直人は承諾する。
「ナオ、作戦開始は一五〇〇だ。それまでIMCに上がってくれ」『了解です、副長』
「なおと! じゃあ、行こう‼︎」と、亜夢は検査装置の直人に向かって駆け出す。
「えっ? まだ、時間あるわよ」と呼び止めるカミラに向かって、「ごは〜〜ん!」亜夢は返し、ベッドから起き上がったばかりの、直人の腕を引く。
「ダァメ‼︎」厳しい貴美子の声が飛び、亜夢は肩をびくつかせた。
「直人はまだ、食べられるほどじゃないのよ。出動まで点滴と安静! わかった⁉︎」
「えぇ〜……」亜夢は、眉を垂れ、直人と貴美子の顔を交互に見る。
「あ、亜夢、私と食べに行こう? ねっ?」真世の提案に、亜夢は渋々頷いた。しゅんとなって、直人の腕を離し、後ろ髪を引かれるようにしながら、亜夢は戻っていく。
「亜夢、必ず行くから。また、後で」と声をかける直人に、亜夢は振り返って小さく頷いた。その様子を真世は、表情も無くじっと見ている。
「真世、貴女もミッション中の、直人の具合、しっかり見守るのよ。何かあったらすぐに知らせて」そう言って、貴美子は微笑みかける。
「う、うん……」真世は、ぎこちなく頷いて直人をチラリと見ると、亜夢を促して、カミラ、アランと共に退出していった。
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「それじゃあ、カミラ。オレは<アマテラス>に……また後でな」
療養棟の食堂へと向かった亜夢と真世と別れ、IN-PSID本部、中央区画地下まで来たところで、アランは、そそくさと専用エレベーターへ向かおうとする。
「食事は?」怪訝気に、カミラが呼び止めた。
「な、中で済ませる。これまでにない作戦だ。オペレーション・アルゴリズム生成に、時間がかかりそうだからな」
「そう……そうね……でも……」カミラは伏せ目がちに言って、アランとの距離を詰める。アランの頭ひとつ分くらい下から見上げるカミラに、アランは生唾を飲み込み、視線を逸らす。
「……貴方……最近、私を避けてない?」
「き、気のせいだろ……」
視線を泳がせるアランにカミラは思わず吹き出した。
「もう……はい、これ」そう言ってカミラは、珍しく持ち歩いていたバッグから、小綺麗にラッピングした包みを渡した。
「ミッション前に食事、きちんと摂るのよ。それはデザートにでもして」
「えっ……と、クッキー?」「ピエルニキ。この間、作ったの。渡しそこなってたから」カミラはそう言って、悪戯げな笑みを浮かべた。
「あ、ああ。ありが……とう……」カミラは、カチコチに固まったアランの顔をしばらく見上げていたかったが、アランの呼吸が止まりそうなので、一歩下がってあげた。
慌てて呼吸を整えるアラン。カミラは、クスクスと笑いながら「あと、これ」と、バッグから何かを取り出す。
「この間の誕生日、祝えなかったから……替わりって言ったらなんだけど」
カミラがちょうど療養中の八月二十六日。アランは、誕生日を迎えていた。毎年、カミラは、ささやかな贈り物する一方で、悪夢と化してしまった自分の誕生日を祝われるのを拒んでいた。そのため、アランの誕生日は、いつからか、二人で生きてきたことを記念する日、という位置付けになっていた。
「これ。貴方に持ってて……いえ、お返しするわ」
左手にそっと置かれたものに、アランはハッと息を呑む。
「これは……お前がずっと持っていた……」
それは、古い木製のロザリオだ。
「もう……私には、ご加護がなくても大丈夫。貴方のお養父さまの大切な形見よ。貴方が持っているべきだわ」
「カミラ……」「お養父さまが、今度は貴方を見守ってくれる」
「養父……」アランは受け取ったロザリオを固く握りしめた。
「黄金の女神は強大よ。何があるかわからない……でも、必ず、生きて帰りましょう! うぅんん、私は、インナーノーツの隊長。皆をこの世に連れて帰る責任がある! アラン! また、私に力を貸してちょうだい!」
右手の可愛らしくラッピングされたピエルニキ、そして左手の、カミラを経て戻ってきた養父のロザリオを交互に見つめ、アランは苦笑し、カミラの目をしっかりと見つめる。
「当たり前じゃないか。オレはお前の副長だ」少し照れくさそうにアランは微笑む。
「ありがとう、アラン」カミラは、アランの肩に手をおいて、微笑み返す。
アランは、そろそろ行くと、カミラに背を向ける。カミラは、そのアランの広い背を、しばらく見送っていた。
今は……これでいい……二人は、互いにそう呟いたような気がしていた。




