クリティカル・パス 2
『上杉さん、東側検問の撤収も完了。南側もデモ隊の撤収終わり次第、引き上げできます』
「了解です。葛城くん」IN-PSID所長室のソファに腰掛けた上杉は、通信端末に向かって短く答える。上杉は、早瀬と入れ替わるようにして、撤収の挨拶に藤川を訪ねて来ていた。
上杉は、テーブルに出された紅茶のカップを手に取って、対面に座る藤川と貴美子へと視線を向ける。
「藤川所長、お聞きのとおり我々も間も無く引き上げます。まだまだ、安心できる状況ではありませんが……」そう言って上杉は、紅茶を口に含む。ダージリン・ファーストフラッシュであろうか? 春を感じさせるような爽やかな風味に、ホッと一息つけるような安らぎを覚える。上杉は、紅茶を淹れた貴美子にカップを向けて微笑む。
「仕方あるまい。捜査本部の意向とあっては。もともと異例の警護活動だ。ここまでしてくれて、感謝している」藤川は、手にしていたコーヒーカップを口に運ぶ。
「所轄の署に掛け合って、この辺りのパトロールの強化と、数は少ないですがアンドロイドを三体、警護に回してもらえるようにしました」
「本当にありがとう、上杉くん」
藤川は、ソーサーに戻したカップの、コーヒーの液面をじっと見つめたまま、口を閉ざした。
「……動くのですか?」上杉は、鋭い眼差しで藤川を見つめる。
「うむ。『黄金の女神』は、PSID、PSI特性災害という認識だ。我々が解消せねばなるまい。場合によっては、超法規的な処置になるやもしれぬが……」藤川は苦々しい笑みを浮かべた。
「……我々警察の範疇は、あくまでこの現実世界。ですがヴァーチャルネット深く、ましてや人の深層心理は未生の領域。法で縛る事は難しい。だからこそ、IN-PSIDが必要とされる。少なくとも、私はそう認識しています」
上杉は、昨日、藤川から聞いたガイアソウル変動による大災厄の可能性を思い返していた。不要な混乱を避けるため、世界への公表を抑えているIN-PSIDの判断は正しい。そして、その解決の第一線に立つのもやはりIN-PSIDをおいて他に無いことも、上杉は確信していた。
「水織川のこと、そして直人のこと……我々に罪が無いとは言えない。サブリミナルに突き動かされているとはいえ、世論の言い分もわかる。それでも……我々には、やらねばならぬ事がある」
「……藤川所長、あの事故に関しては、あなた方は、十分過ぎるほど責任をとられています。とはいえ不満や悲しみ、恨みが残るのは当然の事……むしろそれを煽り立てる方が、悪質極まりない犯罪。デマの拡散抑止や、新たな犯罪への予防を、サイバーセキュリティ課などに働きかけてみるつもりです」
では、そろそろと、上杉は腰を上げる。藤川と貴美子も立ち上がり、もう一度、感謝を伝えた。上杉は、見送りを断り、一礼して退室してゆく。
「……いい人ね、上杉さん」と、貴美子。
「ああ……」藤川は、上杉が出て行ったドアを、しばらくじっと見つめていた。
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「……いよいよ……明日……ワールド様……」
ひざまづいた女司祭は、祭壇の先の暗闇の中で、脈動のように明滅する黄金色の光を仰ぎ見て、それからゆっくりと立ち上がった。
振り返り祭壇の下を見下ろせば、タロットカードを模した、十四の絵柄のホログラムがずらりと並んでいる。
「ワールド様に従う、ドミヌスらよ。我らが待ち望んだ時が目前に迫った! ワールド様のご神威は、世界の隅々にまで浸透。国も宗教も超え、世界は今、ワールド様の元に一つとなろうとしている」
女司祭は手をかざし、天球の空間に、ホログラムのスクリーンをいくつも表示した。黄金の女神をめぐる、世界各地の動きのようだ。
多数派宗教団体トップが、ヴァーチャルネットを介したサミットを開催。黄金の女神への帰依し、統一宗教的な枠組みを考え始めている。
国連では、女神の示した大災厄の可能性を念頭に、国家連合ブロックの代表らがその対策を議論する。最悪の場合、人類存続のため、宇宙への避難へと言及。その避難の中核となるのが、まさにオービタル・エデンだと、EUブロックの代表が発言する。避難できるのは限られた人間だけだ。とても世界の皆が納得できるようなことではない、とユーラシア連合ブロックの代表が反論する。だからこそ、世界的な意識統制が必要なのだとEUの代表が切り出す。騒然となる議場。EU代表は続ける。世界は、今、黄金の女神へと緩やかに、しかし確実に、纏まろうとしている。この潮流を最大限に活かさない手はない、と。
他のスクリーンには、チャイナ、バビロニア、ユーラシアなど、世界各地に置かれたIN-PSID支部、あるいは関連施設への抗議活動の激化が映し出される。バーチャルネットには、反IN-PSIDを掲げる活動団体が幾つもフォーラムを立ち上げ、女神の敵、人類の敵と流布している。
『もう世界のおよそ四割が、ご神威を受け入れちゃってるのよぉ〜。明日、ワールド様が覚醒してぇ、ヴァーチャルネットの全てを掌握したらぁ、統合は一気に加速するわぁ』魔術師のカードがくるくると回りながら浮揚して発言した。続いて月のカードが浮かび上がる。
『オービタル・エデンにはすでに、科学者などの有識者を優先的に引き上げています。彼らは、シュバリエ博士のチームにより、デジタルソウル化を進め、ワールド様を支えるネクサス・アルカディアの知性となって、定着を始めています』
スクリーンの映像が切り替わり、場内のドミヌス達から感嘆の声が漏れる。
ネクサス・アルカディアに構築された、自然あふれる大地に抱かれるように、古代ギリシャのアクロポリスのような都市部が見える。そこでは、子どもらが走り回り、大人達は談笑し、知識人や科学者らは広場に集まり、フォログラムの資料を広げて議論を重ねている。まさにそこは叡智の楽園——一方で、暗く、くり抜いた岩盤を補強しただけの、地下道のようなところを、幾つものコンテナが流れてゆく。焼け爛れ、奇怪に捻じ曲がり、苦悶の表情を浮かべた人体の成れの果ての姿が、その中に見えていた。コンテナの行き着く先は、巨大な球体の設備。そこから無数の配管やチューブ、ケーブル状のものがあたり一面に、蜘蛛の巣のように張り巡らされ、球体は、何かの呼吸に連動するかのように、緑の妖光を明滅させている。
『ご覧のとおり、オービタル・エデンにおけるデジタルソウル化は成功しております。ですが、人類が種としての存続を図るには、多種多様な人間のデータが不可欠。来る大災厄に備え、一人でも多くの救済こそ我々の使命……』
月のカードは、新たな画面に資料を投影しながら続けた。
『……ワールド様の覚醒により、地上でもデジタルソウル化を進めるべく、準備を進めております』
女司祭は、祭壇上で一歩、前へと進み出た。
「聞け、ドミヌスらよ! このプロジェクト・ノアは、ガイアソウルの大変動に備え計画された。しかし! これは『逃げ』ではない!」
女司祭は力強く声を張り上げる。
「ネクサス・アルカディア、そしてデジタルソウル。その全てを束ねるワールド様。まさにこれは、人類の進化なのだ‼︎ ついに我らは、地球という古き神の呪縛を自ら断ち切る時が来た! ワールド様のもと、我らは、選ばれし人類を正しく導かねばならぬ! ドミヌスらよ! それこそが、我らの使命と心得よ‼︎」
女司祭は、手にした大型の本|(タロットカード女司祭が所持するもの。ユダヤの律法を納めたトーラーと言われている)を開げ両手で掲げた。
開かれた空白のページに大きく、『Novus Dominus』と記されてゆく。
「我らの誓いを! ワールド様に‼︎ ノヴス・ドミヌス‼︎」
『ノヴス・ドミヌス! ノヴス・ドミヌス!』——何度と、その言葉が繰り返されていた。




