クリティカル・パス 1
「やっぱり……行くのね……」
「あぁ……」
視線を合わせようとしない真世に、早瀬は小さな苦笑で答えた。人気の少ない、鳥海まほろば駅のホールは、次第に橙に染まり始めている。
改札に置かれていた検問では、警備の警察官らが忙しなく動き、撤収作業を進めている。東京方面行き列車の到着二〇分前をホームのインフォメーションパネルが示していた。
「……古屋さんを、よろしく頼む……それから……実世のことを……」
「ええ、心配ないわ」真世は、呟くように答えた——
三〇分ほど前。IN-PSID本部ロビーで、帰り支度を整えた早瀬を藤川、貴美子、東、そして真世が見送る。
「東さん、所長……お、義父さん。チェックしてもらった原稿は、戻ったらすぐにでも」
早瀬は、IN-PSIDの真実を伝えるべく、一晩で記事をまとめ、帰り際のこの一時間ほどで、内容に問題ないか、藤川と東に確認を求めていた。
「早瀬くん、君がそのような記事をまとめてくれたことは、とても嬉しい。だが……」藤川と東は、顔を見合わせ眉を顰める。
「先程も言いましたが、この街の外は、サブリミナルの猛威が吹き荒れている。そんなところに、その原稿を出すのは……ましてやヴァーチャルネット上になど……」東は、すっかり澱みの消えた早瀬の瞳をじっと見つめて言った。
「へへ……注目を集められるかは、微妙ですがね、やるだけやってみますよ」早瀬は、自嘲したような笑みを浮かべた。
「注目されない……で済むなら、まだいい。下手をすれば、君に危害が及ぶかもしれんのだぞ」藤川の言葉に、貴美子と真世は顔を曇らせる。
「……とはいえ、ここじゃヴァーチャルネットにもロクにアクセスできませんしね。それに、俺が焚き付けてしまった人たちにも、真実を伝えていかなきゃいけねぇ……直接会って、頭下げて回りますよ。はは……」屈託のない笑みを浮かべる早瀬に、東も藤川もそれ以上、言葉が出ない。
「……ママは?」真世が呟く。
「ママのことは? ……やっと会えたのに……ママのそばにいてあげないの?」
「真世……」早瀬は、じっと見つめてくる娘の、大きな黒い瞳が揺らめくのに気づいて、頭の後ろを掻く。
「……実世はわかってくれた。二〇年前、俺は確かに実世とお前たちから逃げた。でも、今度は違う。実世は、送り出してくれたんだ……いってらっしゃい、と」早瀬は、真世の肩に手を置き、しっかりと見つめて言う。
「また、ここに帰ってくる。実世と、待っていてくれるか?」
真世は小さく頷くいた。
「……くれぐれも、気をつけて」藤川は、握手の手を差し出し、早瀬は「はい」、とその手に応える。貴美子、そして東とも握手を交わし、皆に一礼すると、早瀬は外へと足を向けた。
「……駅まで、送るわ」真世は、立ち去る父の後を小走りについて行った——
「彼には……悪いことをした……」早瀬は言う。
「彼?」「風間、直人くんだ。あの投稿の訂正もするつもりだ」
ハッとなって真世は顔を上げる。
「彼は懸命に戦っていた……そして、俺に思い出させてくれた。大切にすべきことはなんなのか。譲れないものはなんなのか、を」
早瀬は、窓に見えてきた夕日をじっと見つめていた。
「今……世界は、黄金の女神への盲信的な全体主義に突き進んでいる。俺の書いたもので抗えることなんか、たかが知れてるかもしれない。だが、たとえわずかな力でも、今、ここで抗わなければ! 俺は本当にただの三流記者だ。真世、俺は、俺の戦場で戦う。実世や真世、お前たちに胸を張れる記者に、ならないとな」
照れくさそうに言う父に、真世は俯いて何か言いたげにしている。
「はは、心配してくれてるのか?」早瀬は、茶化すように言い、真世の頭をポンポンとした。真世は思わず、顔を背ける。
「あ……当たり前じゃない! ……お、お父さん……なんだから」
小さく肩を震わせる真世。娘を見つめる早瀬の目は優しい。
「お父さん……そう呼ばれるのが……こんなに、温かいものだったとはなぁ……」
早瀬はふと気づく。背を向けた真世が肩にかけているハンドバッグに、うさぎらしきマスコットのぬいぐるみが付いているのを。古くなって傷み、薄汚れたぬいぐるみは、大人びたハンドバッグには、お世辞にも似合っているとはいえない。ずいぶんと子供じみたものを……と思いながら眺めていると、古い記憶が微かに蘇って来る。
「真世……お前……まだ、そんなものを……」背を向けたままの娘の後ろで、早瀬は呟きながら、眼頭をおさえていた。
「ありがとう、真世……」
早瀬が言葉を失ったその時。
「真世姐!」
真世と早瀬は、声のする方へと向く。若い二人の女が駆け寄ってくる。
「もう、急に駅まで来いって! それで、会わせたい人って?」真世の髪をやや短めにして、キリッとした顔立ちにした雰囲気の、幾分ボーイッシュな女が声を尖らせて言う。もう一人の童顔の女は、息を切らせていた。
「おっ、おい……真世……まさか……」早瀬は、息を呑んで目を丸めた。
「せっかく来たのに、会わないで行くわけにいかないでしょ。妹達よ。夏生、そして優衣。ほら、二人とも挨拶しなさい」真世は、まるで保護者のような口調で言う。
「あ、挨拶って。誰、このオッさん……」夏生は、不機嫌さを隠さずに言う。
「……真世姐……もしかして……この人……」優衣は、ぽわんと、目の前の男を見つめている。
「そうよ、優衣。お父さんよ。私たちの」
「えっ……えええっ??」夏生の目と口が大きく開く。優衣は、ぽわんとしたまま、じっと父と呼ばれた男を見つめ続けている。
「夏生……大きくなって……それに、君は……ユイか……実世に、いい名前もらったなぁ」早瀬は、思わず目を隠して、溢れ出すものを咄嗟に拭う。
「はは。見ず知らずのおっさんを、突然……父親と言われても、困るよな」苦笑を浮かべていると、列車到着十分前を告げる放送が、改札ホールに鳴り響いた。
「親父として……何もしてやれなかったが……会えてよかった。三人とも、幸せになるんだぞ」
ぎこちなく頷く夏生と優衣。早瀬は、それじゃあ、と改札の方へと向かう。
「お父さん!」真世は声をかけた。早瀬は、立ち止まって振り向く。
「必ず……必ず帰ってきて‼︎ ママと、待ってるから‼︎」
「ああ……また来る。約束だ」「うん……」
早瀬はもう一度、娘達を見回し、微笑むと背を向け改札向こうへと去って行いった。三人の姉妹は、その背が見えなくなるまで、見送り続けていた。




