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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第四章 ノヴス・ドミヌス

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邂逅の時 7

 視界は白く、小さな舟の舳先が朧気に見えていた——


 霧に包まれた川を流れるこの小舟。一体どこへと向かっているのだろう……揺れに身を任せながら、直人は水面を覗く。


 美しく透き通った川だ。引き寄せられるように、手を差し入れてみれば、爽やかな冷たさが、心まで洗われるようだ。


 しばらくそうしていると、川に差し入れた指先から、血のようなものが流れ出す。忽ち、赤黒く染まり始める川。直人は驚いて手を引き抜くが、その手から溢れ出す血の流れは、抑え込んでも止まる事はなく、垂れ落ちた小舟の底からも滲み出す。美しい川は、みるみるうちにどす黒く濁ってゆく。


 ……なんて事を‼︎ 汚してしまった! ……


 焦って慄き、体勢を崩した直人の背に、樽のようなバケツが当たる。直人は、無我夢中でバケツを手に取ると、川の汚れを掬いとって、小舟へと流し込み始めた。


 ……綺麗に! 綺麗にしなきゃ‼︎ ……


 何度も何度も、汲み取っては小舟に流す。


 ……オレが、オレが汚してしまった‼︎ オレのせいで‼︎ ……


 あっという間に直人の足元は赤黒い水で満たされ、舟は少しずつ沈み込んでゆく。それにも気づかず、直人はひたすら作業を続ける——



 ****


 海は荒れ、大地は裂け、暗雲に雷鳴が轟く。終末の世界に残された島に押し寄せた群衆は、皆、天を仰ぎ、救いを求めて手を伸ばす。


 その先に、五本のケーブル、上昇してゆく乗り物、はるか上空の巨大な天体か、人工衛星ようなもの。


「これって……」「……ああ、軌道エレベーター……『オービタル・エデン』か?」映し出された映像に、カミラとアランが真っ先に声を上げた。


「おそらく、そうだろう」藤川は頷く。


 IMC中央の卓状モニター上にホログラム投影された映像に、皆の視線は釘付けだ。


「え、何? 何?」ミッションカプセルから戻ったサニは、浮かび上がっているホログラムに目を丸める。


「あ、それよ、それ! ワンジナの塔‼︎ そいつだったんだわ‼︎」サニは映像近くへ駆け寄った。


「やはりな……」と藤川。


「ねぇ、これは?」サニが訊ねる。


「昨日のミッションで<アマテラス>に記録されたデータに残っていた。『黄金の女神』のサブリミナルの断片だ」答えたのはアルベルトだった。


「サニが見たものも、それと同じってことか?」とティム。


「つまり……『黄金の女神』のサブリミナルの出所も……」「<リーベルタース>のワープ転送の送り先も……」マイケルとサラが続ける。


「同じってこと⁉︎」サニは叫ぶ。


「そう、全てはここに繋がる」藤川は、補助杖をホログラム投影された映像に向ける。


「軌道エレベーター・オービタルエデン! ここが、『黄金の女神』ノヴス・ドミヌスの本拠地! そう見ていいだろう!」


 IMCの一同、情報を共有するオセアニア支部の皆に衝撃が走る。


 オービタルエデン。それは人類の次の時代、本格的な宇宙進出への足がかりとなる希望の象徴だ。それが、ノヴス・ドミヌスの本拠地だとは。にわかに信じられない、いや、信じたくない話だ。


『……オービタル……エデン……だとすると、この座標のオーバーフローは?』と、モーガン。


「おそらく、これだ」藤川は、予め用意していた資料を展開する。美しい、純白の衣装をたなびかせた女性が舞い踊っているプロモーション映像のようだ。


「こいつは……」とティム。見覚えがある映像だ。


『ネクサス・アルカディア……』ライラは眉を顰める。


『オービタル・エデンの中枢ブロック余剰次元に新たに新設される、大容量ヴァーチャルネット通信サーバーですね。あそこはまだ、ヴァーチャルネット上に存在していない……つまり、仮想の次元座標を可変設定にして、理論上極大としてるから……』『おい、クリバヤシ! 何言ってるかわからん!』『す、すみません! つまり座標がオーバーフローした事自体が、ネクサス・アルカディアである、何よりの証拠って事ですよ‼︎』


 藤川は大きく頷く。


「黄金の女神は、ネクサス・アルカディアにいる。我々は、女神のサブリミナルを止めるため、インナースペースから、ネクサス・アルカディアへのアクセスを目指す!」



 ****


 ……綺麗に! 綺麗にしなきゃ‼︎ ……オレの……オレのせいで……こんな……


 赤黒い水を舟に流し込もうとする直人の肩を、誰かがそっと掴む。直人は、思わず動きを止めて振り返った。


 ……そんな事をしていたら、沈んでしまうよ……


 ……あなたは……古屋さん? ……


 古屋は穏やかな笑みを浮かべ、小舟の腰掛けに座り、対面に座るよう促した。直人は、力が抜けたようにして腰を下ろす。気づけば、膝下あたりまで溜まった赤黒い水が、自身の足にまとわりついていた。


 ……君が、全てを背負う必要はないよ……こうして、君に救われた者だっているんだ……


 古屋は、舟に溜まった赤黒い水を手にしていたワイングラスで汲み取る。


 ……苦しみも……悲しみも……ない方が幸せかもしれない……でも……僕の人生は……これで良かったと思っている……いや、やっと今、そう思えるようになった……


 ……全て必要なんだ……この、ワインの熟成のようにね……


 古屋は一口、ワイングラスに汲んだ『ワイン』を飲む。そしてグラスを離すと、そっと直人に差し出した。


 ……どうかね、一杯。ワインは人を幸せにする飲み物さ……


 恐る恐る、グラスへと手を伸ばす直人。


 グラスに指先が触れそうになった時、ハッとなってその手を引っ込め、俯く。古屋は、朗らかな笑みを湛えたまま、直人を見つめていた——


 ****


「ネクサス・アルカディアを目指す……」マイケルは、目を見開いた。


 藤川の宣言は、方針はともかく、方法がまるで見えない。皆は唖然となり、暫くして、ざわつき始める。


「待て、皆、静かに!」東が立ち上がって言う。


「ったってよ! いったいどうするつもりだ?」ロバートは困惑して、肩をすくめた。


「鍵は、<リーベルタース>だ」藤川は迷いなく言い切る。一同は、口を閉じ、藤川に耳を傾ける。


「送信先の座標が特定できなくとも、<リーベルタース>は、未だデータの転送を続けている。この送信に乗れば、インナースペースから<アマテラス>で突入可能だ。アル、月ミッションで<アマテラス>に取り付けた次元コミュニケーター。あれはまだ使えるな?」「ああ、ずっと付けっぱなしだ。そうか、あれでワープ座標はとれるか! だが、<リーベルタース>側から通信しないことには、なぁ……」アルベルトは腕を組み、長く垂らした顎髭を二、三度撫でて頭を捻る。


「おい、<リーベルタース>は、NUBIに占拠されている。まさか、NUSA支部に乗り込んで、奪還する気か?」マイケルは、立ち上がって声を荒げた。


「無理よ! 支部はNUBIの部隊で固められていたわ! とても<リーベルタース>の格納庫まで辿り着けやしない!」サラもマイケルに続いて立ち上がる。


 IMCに気重な空気が垂れ込めてくる。皆、俯いて首を捻るばかりだ。


「……あっ……」しばらく考え込んでいたティムが顔を上げる。


「要は、<リーベルタース>にさえ辿りつけりゃいい訳だ……うん、いけるかも……」ぶつぶつと独り言を呟くティムに、皆の視線が集まる。


「なんだ、ティム。考えがあるなら言ってみろ」マイケルは棘のある口調でティムを促す。ティムはゆっくりと立ち上がった。


「へへっ。兄貴。いい仕事してくれたぜ」「は?」


「<テメノス>だよ! アレが今、ここに来てるのはまさに天啓!」


「どういうこと、ティム?」サラは眉を顰める。ティムは、得意げな笑みを浮かべ、一同を見渡す。


「それこそ、ワープだよ。ワープするのさ!」



 ****


 直人はしばらく、俯いたままだった。古屋はワイングラスを下ろし、静かに天を仰ぐ。


 その時、微かに霧に紛れて、優しげな声が聞こえてくる。歌声のようだ……導かれるように、直人は顔を上げた。


 ……この歌は……


 だんだんと、歌の輪郭がはっきりと聞こえてくる。


 ……良い歌だ……僕も夢の中で聞いた……


 古屋は、直人に視線を戻して言う。


 ……君の、大好きな歌なんだろう? ……


 直人は小さく頷いた。


 ……あなたの支えがあるから……か……いいじゃないか……そうやって、支えられても……人間、一人じゃ……辛い時もある……誰かと幸せになったっていいんだよ……


 ハッとなって古屋を見つめる直人。古屋はワイングラスを再び差し出した。霧が薄まり、頭上から日の光が、グラスの中へと注がれワインをルビーのように輝かせる。


 直人がグラスを受け取り、ワインを口に含んだ時。


 日差しが全てを包み込み、古屋の笑顔はその中に消えていく。最後まで手元に残ったグラスを見つめていると、次第に視界が開けて来た——


 療養棟の部屋。手元のグラスと入れ替わり、誰かの手が重なってみえる。手の先を目で追っていけば、突っ伏した亜夢が静かな寝息を立てていた。直人は、小さく微笑んで、窓の外を見る。


 秋晴れの空が広がっている。直人は安らぎを感じながら、しばらく空を眺めていた。


 すると、ノックの後に部屋のドアが開く。


「なおとぉ〜……」寝ぼけた亜夢が、重ねた手でしっかりと直人の手を握るのを、ティムとサニはしかと、目撃した。


「お、お邪魔しましたぁ〜〜」直人と目があったサニは、ニタニタとした笑みを浮かべ、開けたドアをゆっくりと閉めかける。


 ハッと目を覚ました亜夢。真っ先に見えたのは、握りしめている直人の手。振り返れば、ドアから覗くサニとティムのニヤケ顔。その後ろには、知らない二人の顔も見えた。よくわからない熱が顔に急に昇ってきて、亜夢は手を振り解いて、アタフタと立ち上がると、とドアのほうへと駆けだす。


「ち、ちち、違うのぉ‼︎ もう‼︎」と叫んで、亜夢は閉めかかったドアを強引に開けた。


 ティムとサニは顔をニヤケさせたまま。一緒についてきたマイケルとサラも、微笑ましく見つめている。


「違って? 何が違うのぉ?」と意地悪く問うサニ。


「だ、だ、だって! 『こいびと』だから、一緒にいるの! いつも一緒にいるのは『こいびと』なのぉ‼︎」亜夢の顔は真っ赤だ。


「はぁ? おまえ、意味わかっていってる?」とティム。


「えっ⁉︎ えーと、『こい』は、『好き』! だからぁ! 『こいびと』は、『好きな人』! 亜夢、なおと、好き‼︎ だから『こいびと』‼︎」


 ティムとサニは苦笑い。マイケルとサラは、翻訳機がさらにおかしい翻訳をしたのか、腹を抱えている。


「はは、亜夢にはそれでもいいかもね。よかったね、セ〜ンパーイ」サニは冷かして言う。「ははっ……」直人は、困ったような笑みを浮かべるしかない。


「ん? サニ‼︎ 今、なんか笑った‼︎ えっ、何‼︎ もう、わかんなぁい‼︎」


「ふふ……かわいい」サラは呟いて、急にマイケルと手を繋いでみたくなった。気づいたマイケルは、澄ました顔で、こっそりと応える。


 ……幸せ……


 亜夢を微笑ましく見つめる直人の胸に、夢の中で古屋が残した言葉が、ふと過る。その瞬間、亜夢の背後から窺う視線をふと感じた。


 ……アムネリア? ……


 寂しげに微笑む彼女の気配は、すぐに消えた。


「ナオ、作戦が決まったぜ」ティムは真顔に戻って切り出す。


「ちょ、ちょっと、ティム! センパイには言わないって!」とサニ。マイケル、サラも怪訝にティムを窺う。


「センパイの体調回復が最優先だから、今回はって、所長に言われたじゃない」サニはティムに耳打ちする。


「ああ、けど……戦うべき時に戦えないってのは、漢(おとこ)にとっては、一番こたえるもんさ。だろ? 兄貴」マイケルに目配せするティム。


「……ああ、そうだな」マイケルの心にレニーとの最後のレースが湧き上がる。サラは何も言わずにマイケルを見つめた。


「ティム……作戦って?」


 真剣な眼差しになる直人に、サニも何も言えない。亜夢は、心配そうに直人とティムの顔を交互に見つめた。


「あの『黄金の女神(クソ女神)』退治さ。イケるか?」


「ああ、もちろんだ!」直人の瞳に迷いはない。


「そうくると、思ったぜ」


「なおと!」亜夢は振り返って直人をしっかりと見つめる。


「大丈夫! あたしも行く! なおとは、あたしが守るから!」


 顔を赤らめたまま、亜夢は叫んで、直人の部屋から勢いよく飛び出していった。

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