邂逅の時 3
「古屋さん……すまなかった……俺が、焚き付けなきゃ、こんなことには……」
一晩明けて、古屋は穏やかな目覚めを迎え、療養棟の一室へと移されていた。これから一週間ほど、ここで暮らすことになる。真世から知らせを受け取った早瀬は、すぐに駆けつけていた。
「……なぁに……おかげで、ここに来る前より具合もいい。何より今、不思議と、とても幸せな気分なんだ」
「そ……そうか……」
ベッドに横になったまま、古屋は早瀬を見つめ、静かに微笑んだ。
「俺……何もわかっちゃいなかった……古屋さんが、何に苦しんで……何を悔いていたのか……なのに、自分と同じだと思い込んで……反PSI運動だって……古屋さん……ほんとうは……」
古屋は首を横に振る。
「PSIの過剰利用は危険……その認識は変わらない。これまで、皆と活動してきて、そのことはよくわかってる。それに、ここに来て、自分がこうなって……さらに認識を深めたよ。でもね……そのことを一番わかってるのは、あの人なんだ」
「あの人?」
「君のお義父さん……ここの所長さんだ。さっき見舞いに来てくれてね、少し話をした。いや、話さなくても、すでに僕はわかっていた気がする。あの人は、僕らと同じだったんだ」
「俺たちと……同じ……」
「君も……もう、わかってるんだろう、みっちゃん」
開いた窓から、秋の爽やかな風が二人の間を通り抜ける。
古屋の澄んだ眼差しに見つめられ、早瀬は、何か言いたげにしていたが、口籠もり俯く。
「インナーミッション……と言うそうだね。僕を救ってくれたのは。眠っていた僕には、夢を見ていたようにしか思えないのだけど……でもね、確かに逢えたんだ。陽樹と、明子に。インナースペースには魂が生き続ける。それは、本当のことだったんだ。二人は、ずっと、僕のそばにいて……」
古屋は、微笑みながら軽く目を閉じる。
「こうやって、想いを馳せれば……いつでも逢える……二人に……」
「…………」
しばらくの沈黙の後、古屋は静かに目を開く。
「……けど……もうこの手で……彼らに触れることはできない。言葉を交わすことはできない」
震える両手を上げて、じっと見つめながら話す古屋の声に、一抹の淋しさが滲む。
「……それが、この世。この世の厳然たる掟……つい忘れがちになるけど……人と人とが、共に居られる時間は、本当にわずかなものなんだよ。みっちゃん……その人と会える時を、一緒にいれる時を……大切にな」
ハッと息を呑み、早瀬は突き動かされたように立ち上がる。古屋は、早瀬を優し気な眼差しで見上げていた。
「古屋さん……ありがとう……」
早瀬はそのまま、足早に古屋の部屋を出て行った。古屋は、その後ろ姿を見送りながら、風に微睡へと誘われてゆく。
「真世ちゃん、ねぇ、亜夢ちゃんは?」「んー? お見舞い……かなぁ?」「えー、昨日も遊べなかったのにぃ〜〜」
早瀬が廊下に出ると、真世は小学生くらいの女の子達数人に囲まれていた。
「じゃあ、真世ちゃん、一緒にゲームしよ!」「ご、ごめんね、ちょっと今は……あっ」真世は早瀬に気づいて顔を上げた。
「なんだ、待っていたのか?」と早瀬。
「えっ? ……あ、まぁ……」
そうしていると、滞在中の子供たちの保護者らがやって来て、すみません、などと言いながら彼女らを連れて行く。親たちが一緒に遊ぶ提案をするも、子供たちは、嫌だ、とか、子供たち同士で遊ぶと言って、どこかへ駆けていく。
すっかり親がいる生活に慣れたせいか、子供は薄情なものだ……親たちは、呆れた顔で笑い合っている。早瀬は、そんな親子を苦笑混じりに見ていた。
「……実世に……会わせてくれるか?」
「……うん」
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『だ〜〜か〜〜らぁ〜〜』
星々の映し出される天球の空間に、ホログラムのタロットカードが、クルクルと回転しながら躍り出る。
『あの老人会の仕業よぉ〜〜。ウチのコ達も頑張ってるんだけどねぇ。日本は、あのジィ様達の本拠地。二千年以上に渡って巣食ってきたアイツらの根城を崩すには、チョイ、パワー不足なのよねぇ〜〜』
現れたカードは、まるで身悶えするかのように、描かれた『魔術師』の図象を捩らせる。
『<テメノス>に関しては、日本政府にも手配要請を出していたが……巡視船が捕捉したタイミングで、揉み消されてしまった。国連の救助船扱いで、悠々と津軽海峡を横断中だ。ご丁寧に、日本の領海域に招き入れてな』
『戦車』のカードの、冷徹な物言いの中にも苛立ちが混じる。
「極東の老人どもめ……あくまで、我々に抗うか」中央の舞台のような高所に立つ『女司祭』は、親指の爪を口に押し当て、二、三度噛む。
『うむ。あちらも、我々には気づいているようだ。その意思表示と見て良かろうな』そう発言したのは『月』のカードだ。
『まぁ、いいんじゃなぁ〜い? どうせ、あの船は、行き場無くして、日本に助けを求めて逃げてっただけじゃない。気にすること、ない、なぁい』
『うむ……あと二日。それで世界は変わる。今更、IN-PSIDごときに、何もできはすまい』と戦車。
「侮りは禁物だ。あらゆる可能性に備え、万全を期すのだ。ワールド様に、無様な世界を捧げるようなことがあってはならないのだから」
『承知』『うむ』『ん? ……あ、えぇ、ええ。わかってますってぇ〜』
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午前中の陽気に誘われ、実世が、ふと目を覚ました時、部屋の入り口のドアが開くと、真世がそこに立っていた。
「真世……」
実世は、電動ベッドの背もたれを起こしながら、部屋に入って来ない真世を怪訝気に見つめる。
「どうしたの? 入ってら……」
部屋に入ってきたのは、真世ではなく、白髪の長身の男だった。実世は大きく目を見開いて、息を飲む。
シワが刻まれ、骨ばっているが、俯き気味になって自分を見つめるその顔を、実世は確かに憶えている。
「充……さん……」
「実世……」
二人は見つめ合ったまま、それ以上、言葉が出ない。真世は、部屋に入ることなく静かにドアを閉めた。
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「なおと……」
今朝方、ICUから療養棟の個室に戻された直人に、亜夢は、ずっと付き添っている。直人の症状は、一時的な物質化が、食道や胃、腸などを傷つけたらしく、吐血は治まったが、しばらくは食事ができない。身体中に現れた物質化は、皮下組織を傷つけ、体のあちこちに痛々しい内出血の跡が見える。安静と、心理的ストレスの軽減のため鎮静剤を投与され、点滴に繋がれて眠り続けている姿は、痛ましい。
点滴を受けるベッドの上に出された手に、亜夢がそっと、自分の手を重ねた。
亜夢の身体の胸のあたりが温かい。まるで闇夜を照らす、灯火のよう……その熱は、真っ直ぐ、重ねた手を通して直人へと流れ込んでゆく……
ただ、直向きに。そう、亜夢は、ただ生きたいと願った想いから、生まれ出でた魂。その純粋なまでの生きる力を、直人に分け与えようとしている——
ざわり、と体内で何かが蠢いたような気がして、亜夢はハッと息を飲む。
……亜夢…………もう一人の我……
…………なぜ、あなたはそこまで………
……貴女の……その温もりが……我をも温める……
……貴女の熱が……我を騒めかせる……
……これは……いったい……
…………これが………人間…………
自身の身体の中で囁く声は、亜夢には届かない。
亜夢は、直人に重ねた手をそっと離し、じっと直人の寝顔を見つめると、静かに部屋を後にした。
****
静かな沈黙が、二人を隔てていた二十年という歳月の重みとなって、部屋の空気を沈めてゆく。
立ち尽くした早瀬。そして、ベッドの上で微動だにせず、彼をずっと見つめ続ける実世。
実世は思い出す。三女の出産が迫る中、一人育児に追われ、帰らぬ早瀬を諦め、共に四年ほど過ごしたマンションの部屋を出た、あの日を……
早瀬は思い出す。妻と娘の去った、その部屋に残った、たった一枚の実家に帰ると告げるメモ。
身重の体で、頼りたい時に、不在な夫……
PSIテクノロジー全盛期に、危険性を訴え、政策を批判する記事は売れもしない……
そばにいて欲しかった……
支えて欲しかった……
互いに言葉にならない、溜め込み続けてきた想いが、空気の中へと発散していけば、喜ばしい日々の思い出も浮かび上がってくる。
夏生……夏生まれだから夏生……
……そんな安直な名前でよかったのか?
それでも、貴方が一生懸命考えてくれた名前だから……
真世……真世は、貴方によく似てる……
……そ、そうか? ……
…………真世……お父さんがつけてくれた名前…………真実の真………
……真実………
……幸せ……か……
…………ええ、もちろん……
水織川研究所に訪れた時から、受付として応対する実世に惹かれていた。
早瀬のギラついた眼差しの中に、真実を追い求める真摯な意志に気づいた時、心が揺れ動いた……
人目を忍んで繰り返した逢瀬……
父母に告げる事なく、早瀬についていったあの日……
沈黙の中に二人の想い出が駆け巡る。
「すまな……かった……すまなかった!」早瀬の口から出た言葉は、たったそれだけだった。実世は、震える両腕を精一杯伸ばし、微笑む。
「おかえり……なさい……あなた」
早瀬の両眼に溜め込まれていた涙が、頬を伝って溢れ落ちる。フラフラと足を進める早瀬。
二人はしっかりと抱擁し合う。早瀬の嗚咽は止まらない。
父の嗚咽をドア越しに聞きながら、真世は目尻を祓い、顔を上げる。穏やかな笑みを浮かべ、真世はその場をあとにした。




