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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第四章 ノヴス・ドミヌス

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邂逅の時 2

「……陽樹…………明子…………」


 小さな呟きが口から漏れ、気がつくと視界がぼんやり広がってきた。バイタル反応を知らせる無機質な音声サインが繰り返される、照明の落とされた個室。一人、ベッドに横たわっているようだ。


 呼吸器に点滴、手足に取り付けられたセンサー類……古屋は、だんだんとデモの最中に意識を失ったことを朧げに自覚し始めた。同時に、今の今まで、何か夢を見ていたような気がする。


 苦悩に満ちたワインの海に溺れそうになった時、亡き妻と息子の声に救われた——


 ……ワインは人を幸せにする飲み物……


 ……………作ってくれ、みんなを幸せに、そして、親父も幸せにするワインを……


 その声の残響が胸に響いている。


「……お前たち…………ずっと……一緒に…………」


 古屋の薄く開いた両の瞳から涙がこぼれ落ちる。


 ……古屋さん! ……


 残響に混じって、夢の中で自分を呼び続けていた声が聞こえる。息子、陽樹の声かと思ったが……ふと、その声の気配を無意識に感じ、個室の壁へと視線を向ける。


 壁の向こうに誰かいる。きっと、その声の主なのだろう……古屋は、そう感じていた。


「……ありが……とう…………」


 呟き、微笑みながら、古屋は再び眠りにつく——



 同じ頃。古屋に続くようにして体調を崩し、IN-PSIDの救急などで手当てを受けていたデモ参加者らも、皆、回復し始め、各々の宿泊場所などへと戻っていく。


 古屋が倒れたのをきっかけに、デモ隊もすっかり活気を失い、鳥海まほろば市は、静かな夕刻を取り戻していた。


「明らかに、マルドゥク・ウォールの成果ですよ」メガネのブリッジを押し上げながら、松永は得意げに言う。


 一連の騒動の対策本部となっていたIN-PSID本部内『PSIテクノロジー安全対策課』では、状況の変化を受けて、関係者のミーティングが設けられていた。藤川所長、片山副所長(現対策本部長)、東インナーミッションチーフ、セキュリティ対策担当松永、及び関係スタッフ、そして検問も落ち着きを見せ始めたため、現場指揮にあたっていた上杉もミーティングに足を運んでいる。


「デモの方は、今日は早々に切り上げて、大人しくしている様子です。すでに解散した団体も半分ほど……結界領域内では、サブリミナルの効果も薄まる。彼らの士気が明らかに下がってきているのは、現場にいてもよくわかります」と上杉。その言葉に、松永だけでなく、対策チーム皆の表情も明るくなる。


「上杉くん。君たちにも世話になった。おかげで、市民、デモ隊、双方とも大きな被害も無く済んだ……本当に良かった……」藤川は上杉に向かって頭を下げた。


「とりあえずは……といったところでしょうか? まだ、油断はできません。結界から一歩、外へ出れば、女神のサブリミナルが席巻しています。出所も、首謀者もまだわかっていない……」


 上杉の発言に、束の間の喜びは陰りを見せる。


「広域のサイバー捜査はどうなのですか? こちらからも、可能な限り情報提供していますが……」片山が質問を投げかける。


「……一向に進んでないようですね。警察も、サブリミナルに対する防衛措置をとりながらの作業ですが……やはりすでに、影響も出始めており……技術面も去ることながら、警察官とて人……ですからね」「……ううむ……」藤川は、腕を組んで押し黙る。


「それに……この件、警察だけでなく日本政府内部にも、色々とあるようで……」


 上杉の含みある物言いに、皆は顔を上げた。


「サブリミナル解析自体、どうも政府、いや、もっと上の方からの圧力もかかっている様子で」「圧力?」東が問い返す。


「おそらく国連筋でしょう。カトリック教会が黄金の女神の神性を一部認める声明を出したのは、皆さんご存知ですね? それを皮切りにカトリック教会だけでなく、プロテスタント、イスラム、ユダヤ、仏教……あらゆる世界の主要宗教が、女神の世界統一神性を認め合おうという動きが出てきている。どうも、そうした方面から懸念があるようで……」


「しゅ、宗教ですと⁉︎ よ、よりによって、そんな非科学的な‼︎」滑り落ちそうになるメガネを押さえながら、松永がいきり立つ。


「ええ。ですが考えてもみてください。我々人類の争いの歴史は、ほぼ資源の奪い合い、そして、宗教対立です。資源問題は、PSIテクノロジーの進展で飛躍的な解決を見ています。ですが、宗教対立は未だ根深い。たとえ得体の知れない女神であろうと、その神性の元、あらゆる宗教が一つになろうとしている……」


「……むしろ、女神を受け入れたほうが、争いを無くし、世界を一つにしていける……と……」東は、呟きながら、藤川の発した、『新たなる神の創造』という言葉を思い返さずにはいられなかった。


「そういうことです」と上杉。


「もう疑いようはないだろう。新たなる秩序……ノヴス・ドミヌス。彼らの狙いがそこにあることは」


 藤川ははっきりと結論づけた。


「……じゃあ、なんですか? 我々は、このまま悪者扱いですか? ……まぁ、別に構いませんけどね」松永は不敵な笑みのまま腰を落とし、メガネのブリッジに指を当てる。


「ふん、ウォールには、サブリミナルに絡んで、面白いデータもとれている。実験サンプルとしては、実に興味深い……くくっ」


 不謹慎な発言、とも思っていないのであろう。松永にチームの一同は困惑顔だ。藤川も、苦笑を禁じ得ない。


「……頼もしいな、松永くんは。だが、私もこのまま、終わる気はないよ」


 藤川は、席から立ち上がる。


「人の社会は、まとまろうとすればするほど、外敵を作る。そして、外敵を失えば、今度は内側の弱いものへと敵意が向かう。そうやって、次から次へと敵を作り最後は自らも喰らう羽目になる……こんな形で、急いた世界の統合など……歪みしか残さない」


 藤川が見つめる対策課の壁面に並ぶモニターには、黄金の女神と、刻々と変化しつつある世界の情勢、マルドゥク・ウォールの稼働状況を示すモニター、避難者らへの支援スケジュールなど、あらゆる情報がマルチに表示されている。


「……それに、女神のサブリミナルは、個人が無意識に抱える苦悩や傷に働きかけ、場合によってはPSIシンドロームを引き起こす。先程のミッションで、そのことは明らかだ」藤川は、皆に向き直る。


「黄金の女神……これはPSI特性災害、PSIDだ。我々IN-PSIDには、これを解消する使命がある」


 一同は、藤川の決意に頷いて同意を示した。


「警察としてのコメントは差し控えますが……私個人としては、所長のご判断を指示します」藤川と視線が合った上杉が発言する。


「……それに……どうもこの国には、まだ女神に従うつもりはないという、強い力が働いているような気がします」


「……どういうことですか?」東は怪訝気に顔を顰めた。


「先程の宗教界の話ですが、どうも我が国の神道界隈は女神への反応を濁している様子で。神道界と政財界の結びつきは強い。警察内部にも影響してましてね」


「なんと、ナンセンス! 政教分離が原則ではないのですか? くくっ……」松永は皮肉たっぷりだ。


「耳が痛いところですが……まあ、今回は、それが味方してくれたところもあります。我々がこうして警備に来れたのも……」


「なるほど……女神に与しない力……か……」藤川は、補助杖に体重を乗せて思案する。


「おそらく……神道界だけではなく、その背後にこそ、この国を動かす、なんらかの力が働いている……そう見てるのだな、上杉くん?」藤川の問いかけに、上杉は微笑で答えた。


「その……力ある何者かが、私たちの味方してくれていると?」片山は、首を傾げる。


「……そうとは言い切れないだろうな……たまたま、我々と利害が一致しただけかもしれん。いずれにせよ、アテには出来まい」一同は、表情を固くしたまま頷き、おおよそ、状況整理ができたと判断した片山の合図でミーティングを閉じる。


「藤川所長、一つだけ、よろしいですか?」


 皆、席を立つ中、上杉が藤川に声をかける。藤川は、席に戻り、他の皆の退席を促した。


「何かな?」


「引き留めてすみません。女神のサブリミナル……アレのいう来るべき大災厄について。藤川所長は会見で『巨大PSIDの可能性は、ある』とおっしゃられました。可能性を常に仮定して備える。それはそのとおりです。ですが……私の見立てでは、予言の発信者は、大災厄について、なんらかの根拠……あるいは、確信を得ている……そんな気がしてなりません。所長、IN-PSIDは、実際にはどう、考えておられますか?」


 席に残った東、そして片山の顔が、幾分、険しくなるのを上杉は見逃さない。


「……ああ、いえ。答えられない話なら結構。ただ、その前提があるのと、ないのとでは、この騒動も……ひょっとしたら……我々が追いかけてきた『オモトワ』事件の真相も……見えるものが変わってきそうな予感がありまして……まぁ、刑事のカン、ってやつです」


「うぅむ……上杉くん。君の言うことにも一理あるな。……よろしい」


 松永や対策課のスタッフらは、自分たちの席に戻り、各々の作業にかかっている。藤川は、ゆっくりと腰を上げた。


「場所を変えよう」

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