ヴィニフィカシオン 8
「なんだぁ? 何もねぇじゃねぇか!」
ティムは正面モニター、そして左右のモニターも見回すがあたり一面、濁りと深みのあるワインレッドの世界。小さな気泡が時折見えるくらいだ。
『発酵が終わったワイン……そういうことか……』藤川は呟いた。
『胃の余剰次元は、このワインで満杯よ! 結界が破れて、一度に物質化したら……』貴美子が声を震わせた。いってみれば胃に時限爆弾がセットされているようなものだ。
『……苦しみ……悲しみ……』
ブリッジに入り込む声音。
「出たな、クソ女神!」ティムはあたりを窺う。
『怨み……憎しみ……』
「サニ! 全周スキャン! アランはPSIバリアへの干渉に備えて!」「了解‼︎」
通信を通して、<アマテラス>の見聞きするものを共有するIMC一同の緊張も高まる。
「古屋さん……死んじゃいけない……あんたは……」早瀬は、俯いて祈るように呟いていた。
本来の父はこういう人だったのかもしれない——真世はそう思いながら、父の願いに重ねてインナーノーツに希望を託す。
『……二〇年の苦悩の発酵……』
泡が何かに反応して、チリチリと金色の粒子となってあちこちで広がる。サニは、レーダー版に波紋のように広がる収束反応を追いかける。
「PSIパルス照合! 黄金の女神、座標1ー3……うぅんん……えっと、2ー1ー……」
『……これこそ……あなたの理想のワイン……怒りと……絶望に身を委ね……』
「ち、違った‼︎ ……あぁん‼︎ もう‼︎ ダメ‼︎ 収束しない‼︎」
<アマテラス>の周辺、全方位に泡沫となって現れては消える黄金の女神の気配は、一向に捉えることができない。
「アムネリア⁉︎」
カミラに助けを求められるアムネリアも首を横に振る。
『赤き海の全てに、あのモノの気配が満ちている……どこにでもいて、どこにもいない……』
「いっそ! PSIブラスターで一帯、薙ぎ払ってしまえば‼︎ 隊長‼︎」ティムが、たまらず具申する。
「ダメよ、こんな実体が定まらないような相手をブラスターで射かけても雲を撃つようなもの! こっちが消耗するだけよ!」「ならPSI波動砲で‼︎」ティムは苛立ち、やけっぱちに叫ぶ。
「バカ‼︎ そんなことをしたら患者の身体ごと吹っ飛ばすぞ!」——
通信モニターから簡易医務室にも、ブリッジの混乱が伝わってくる。亜夢は不安気にモニター向こうの様子を伺っていた。
『……亜夢……』カプセル内マイクが、直人の声を拾っている。亜夢は、ガラス越しの直人を覗き込んだ。
『……すぐに……ブリッジに……』
「えっ?」きょとんとなって亜夢は直人の顔をじっと見つめる。
『……お、俺の代わりに……PSIブラスターを……』
「亜夢……あ、あたしが⁉︎」
直人はゆっくり頷く。
『……だ、大丈夫……女神がどこにいるか……オレにはわかる……PSI-Linkシステムで誘導するから……亜夢……』
直人は真剣な眼差しで見つめてくる。
『キミに……なら……できる……頼む……』
亜夢は、生唾を飲み込み、大きく頷いた。
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「仕方ない……同調率セイフティ閾値を一時解除、限界まで同調率を高め、女神を収束させる!」カミラは覚悟を決めて、顔を上げた。
「正気か⁉︎ 奴のサブリミナルをまともにシステムに呼び込むことになる‼︎ オレたちもタダじゃ済まないぞ‼︎」アランは、カミラに振り向き、目を見開いて反論する。
「しかし、このままじゃ、みすみす患者を死なせることになるわ! 他に方法はある⁉︎」
反論しようとして、アランは声を詰まらせる。残り時間は五分に差し掛かろうとしていた。
「一瞬でいい! 女神の尻尾さえ掴めれば……」カミラの言葉を遮って、ブリッジのドアが開き、誰かが駆け込んでくる。
「亜夢⁉︎」目を丸めるサニの前を駆け抜け、亜夢は、そのまま前列の直人の席に迷わず滑り込む。カミラ、アラン、そしてIMCで見守る皆も亜夢の動向に目を見張り、ブリッジ中央に浮き立つホログラムのアムネリアは、ただ静かに見守っている。
「な、何やろうってんだ⁉︎ 亜夢!」隣席のティムは、目を白黒させながら早口で訊く。
「直人の手伝い‼︎ あいつをやっつける‼︎ ……って、えっとぉ……」
キョロキョロと直人の席のコンソールを眺め回す亜夢。アムネリアはふと気づいて、システムに働きかける。すると、直人の席のPSI-Linkモジュールが淡く翡翠色に輝き出した。
「あ! コレか‼︎」亜夢が勢いよくモジュールに左手を置くのを見て、アムネリアは小さく微笑んだ。
「あ、亜夢⁉︎ 勝手なことは!」『大丈夫……』カミラの注意を遮ったのは、アムネリアだった。
『……やらせてみて……カミラ。あの、二人に』「ふ、二人?」
きょとんとなるカミラをそのままに、アムネリアもまた、PSI-Linkシステムに深く集中してゆく。
……なおと……あなたの感じるもの……あなたに見えるもの…………亜夢に繋ぎます……
……ああ、ありがとう、アムネリア……
PSI-Linkシステムを通して、直人の操作イメージを受け取った亜夢は、的確にPSIブラスターの準備を進める。ティムもサニも、その様子を口を開けて見守っていた。
「……うん! わかった‼︎ ティム! 下よ‼︎ 船を下に向けて‼︎」
「えっ⁉︎」「ティム、下げ舵九〇! 亜夢の言うとおりにしてみて!」」ティムが狐に摘まれたような顔をしていると、カミラは、すぐに指示を飛ばす。
「さ、下げ舵! 九〇‼︎」
「サニ‼︎ 前方に波動?? ……ふぉ?? えっとぉ……」「波動収束フィールド? フォーカスかければいいのね‼︎」
「PSI-Linkフルコンタクト‼︎」亜夢は、身体の中で響く直人の声を復唱する。亜夢の左手を乗せたモジュールが白色の真眩い閃光を放ち始めるのと同時に、前方の収束フォーカス場に、黒く堆積したヘドロのようや物がぼんやりと浮かびがってくる。
<アマテラス>の周辺の赤紫の空間からも、泥のようなものが染み出して、下方へと沈降し、折り重なっていった。
「あれは……澱か⁉︎」解析を横にアランはモニターに浮かんだ見た目のイメージを口にしていた。カミラはどんどん降り積もる澱の堆積場を睨め付けた。
……そう……澱なんだ……ワインは最後に澱を取り除かなければ、完成には至らない……
……古屋さんの……苦しみ……悲しみ……後悔……絶望……全てを包み込んだ澱……でも、それは、全部、ワインを生み出すためには必要な物……その成れの果て……
……決して無駄な物ではなかった……
……でも、今、古屋さんのワインは発酵が終わったんだ……もう手放す時……古屋さんはそのことを……わかっている……
……古屋さんのワインに溺れたオレには、お前が見える! ……
……さぁ、澱に塗れた、不浄の女神! ……姿を見せろ‼︎ ……
「は、波動収束反応正面⁉︎ 大きい‼︎ 黄金の女神よ‼︎」サニの叫びと同時に、澱の堆積が急速に人のカタチを作り、タロットカード『世界』に描かれたフォルトゥーナへと変貌する。
泥に包まれ、光を失い、まるで金箔の剥ぎ取られた、黒ずんだ銅像か何かのようだ。ところどころデータが飛んだフォログラムのようにその姿はあちこちが虫喰いのようになり、女神とは程遠い、もはや異形の異物でしかない。
「そいつだ‼︎ 亜夢、撃つんだ! あの偽の女神を!」救護カプセルの中で、残った力を振り絞り叫ぶ直人。
その声に反応したかのように、亜夢の丸い瞳が大きく見開かれる。正面モニターに浮かび上がる照準が、ロックオンを告げた。
「い、今よ‼︎ 亜夢‼︎」カミラが命ずる。
「PSIブラスターァァァ‼︎ はっしゃぁ‼︎」亜夢は迷いなく直人の意志と共に、ブラスターのトリガーを引く。
<アマテラス>両舷に生み出されるエネルギー流体が渦巻き、雷光を放つジェットストリームとなって泥人形のような異形の女神へとぶち当たる。異形は、ブラスターの衝撃をヘドロのようになって受け止めた。
「みんな苦しめる! お前なんか! どっかいけぇ‼︎」
亜夢の気合いが、PSIブラスターの勢い付け、そのエネルギーの奔流は、ヘドロの女神を巻き込みながら一気に次元の彼方へと押し流していった。
女神と共に澱を排出し出した次元の渦は、同時にワインの海をも飲み込み始める。
「反転一八〇度! 全速離脱‼︎」
<アマテラス>は、澱と濁りを飲み込む奔流に抗って、上方の水面に広がる陽だまりのような場を目指す。
対流から浮き出す気泡、濁りが<アマテラス>のPSIバリアに触れ、その度にモニターが何かを映し出していた。震災か、未だかつてない厄災のイメージ……壊れゆく世界の中で、不気味に聳え立つ高い塔。荒れ狂う天の稲妻に照らされるその塔には、六角形のIN-PSIDのマーク……一方で、残された島に群がる無数の人々……その中心には天高く伸びる五本の長い綱……その、はるか頭上に見える、黄金に輝く天体のようなもの……対流を続けるワインの海の中で、退避を急ぐインナーノーツが、瞬時に現れては消える、その一つ一つを、確認する余裕はない。
次第に、その反応が現れなくなっていくと、変わって陽だまりの空間が広がりだす。あたり一面は澄み渡って、まるで光を通したルビーの色彩を帯び始めた——
……親父……
…………あなた……
救護カプセルの中で、直人は、胸の内に響く呼びかける声に、静かに目を閉じた。
……親父は、俺に教えてくれた……
……ワインは……人を幸せにする飲み物だって……
……………いつもそう言ってたわね……
……親父……
……今度は、あなたの番……あなたも、幸せになっていいのよ……
……親父、作ってくれ! ……みんなを幸せに、そして、親父も幸せにするワインを……
……約束よ……
…………俺たちは、いつもそばにいる……このワインと共に……
亜夢は、何かを感じ取って、白色の淡い光に包まれた正面モニターを見つめる。そこには、薄らと二つのワイングラスのような形が浮かび上がっていた。
……親父……
…………あなた……
……乾杯……




