ヴィニフィカシオン 7
密室となった<アマテラス>簡易医務室は、ブリッジに響く警報も無く、静寂の中に、直人の生命反応を示す、センサーの反応音が一定のリズムを刻んでいた。
亜夢は、未だ意識の戻らない直人を収容した保護カプセルに寄りかかり、膝を曲げて床に座り込み、アムネリアの人格が結えた髪を解く。亜夢は、髪を束ねていた二本の青いビーズのシュシュを、両手首に着けて、ブレスレットすると、医務室の照明の光に当て、部屋にキラキラと散乱する光をぼんやりと眺めていた。
今、アムネリアは、古屋の心象世界に遊離してしまった直人の魂を探して、亜夢の肉体を一時離れ、PSI-Linkシステムを通して、インナースペース深くへと潜っている。
この部屋に、亜夢と、直人の二人きり……そう思うと、頬が火照ってくる。亜夢は、両腕で膝をギュッと抱えて、顔を埋めた。
「なおと……早く、戻ってきて……あたしは、ここにいるよ」
ふと顔を上げた時、唇に言葉がのる。朝方、直人の母から教えてもらった歌。直人が大好きな歌。
アイルランドの古い民謡を元にした、哀愁の旋律に、『あなたの支えが、どんな困難も乗り越えて行ける』という力強いメッセージを込めた、美しい歌が、うる憶えながら、亜夢の唇から紡ぎ出されていく。
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直人と一緒に飲み込まれた、いくつもの黒々とした固まりは、渦巻く流れの中で崩れ溶け、ゴボゴボとした大きな泡となって湧き立つ。直人を包み込んでいた陽樹の石のような残像も、もはや形を失って、直人は、この暗黒と化した流れの中を漂うばかりだ。気持ちの悪さを、快楽というオブラートで包み隠して麻痺させる。そんな感覚が、直人の精神を蝕み始めていた。
……ワインの海で、溺死……酔っ払い死ぬのか……洒落にもならないな……
……古屋さん……あなたの家族を奪う……原因を作ったのは……オレだ……オレの……命で……償いには……ならないかも……しれないけど…………
……戻って……ください……
……こんな絶望の……ワインは……あなたの……望みじゃ……ない……はず……
……だから……
今、自分と感じている意識の残骸から、抜け出ていく魂のような、大きな泡を頭上に見送り、自らは『澱』となって、この渦の底に沈んでいくのだろう。
すると、頭上に登った泡が水面のように見える上の方で弾け、広がってゆく。その波紋は、ゆっくりと、大きく、時に小さく、揺れ動いて波を立てる。何かに反応しているようだ。
……これは……
…………歌? ……この歌は……
聞き馴染みのある旋律……そこに乗る柔らかな歌声。
……ああ……この声…………亜夢……亜夢なのか? ……
水面の泡は、どんどん広がり、暗闇の世界に光をもたらす。まるで眩しい、照り輝く太陽を映し取ったかのようだ。
あなたが、私を支えてくれたから——高鳴る歌声が、その陽だまりを抱く水面の揺らめきの中に、人影を映し出す。
……親父……俺……親父がワイン造りに向かう姿に、憧れていた……かっこいい親父の背中見て……俺も……醸造家を目指す決心ができたんだ……
ハッとなる直人。明らかに、古屋の息子、陽樹の声だとわかる。先程まで、直人を閉じ込めていた、古屋の記憶の陽樹ではない。黄金の女神の仕業だろうか? 直人は身構えて、あたりを見渡す。だが、不思議とあの威圧的な不快な感触はない。
……ワインに向かう、大事なこと。全部、親父から教えてもらった……嬉しかった……短い人生だったけど……フルボディにも負けない、濃厚な時間だった……
日差しの中には、初めて葡萄の収穫を体験する幼い陽樹——峰玉の原液ジュースに目を丸め、頬を緩ませる十代半ほどの陽樹——保管倉庫で品質管理を父から教わる陽樹……それは、息子と父親のワインで結ばれた絆の思い出の数々。
……最後に親父と、母さんと、一緒に樽詰めしたワイン。覚えてる? あの日は、久しぶりに、家族三人で、みんなで作業できて……楽しかったなぁ……親父……
……あのワイン……いいワインになるよ……な、母さん? ……
すると、もう一つ大きな泡が浮き上がっていき、陽樹を映す陽だまりに重なる。
……ええ……あれは最高傑作よ。私たち……三人の……
古屋の妻、明子の声のようだ。黄金の女神は、同じ声で古屋に囁いていた。たが、その声が注ぎたての閉じたワインとすれば、適度に空気に触れ、香りが華やぐ開いたワインほどの差があった。
……私は、あなたの作るワインが好きだった……初めて二人で作った、あの酸味だらけの味も……えぐみが出てしまったあの失敗作も……
険しい山も深い海も、進んで行ける——亜夢の歌が遠くで響いている。明子と笑い、時にはワインを巡って真剣に語り合った日々が、陽だまりに滲み上がる。
……どれも皆……売り上げのことばかり気にして……言えなかった……でも、皆、貴方との愛しい想い出。今となっては味わうこともできない……
……幸せでした……
——あなたが、共にいてくれるから——歌のメッセージに、本当の明子の穏やかな微笑みが重なり消えてゆく。
次第に、湧き立つ気泡は、どんどん細かくなっていき、頭上の陽だまりは、深みを抱く鮮やかなワインレッドの色彩を帯び始めた。
……なおとぉ‼︎ ……
……亜夢‼︎ ……
陽だまりの向こうに響く、亜夢の声を掴もうと、直人は必死に手を伸ばした。
『見つけた……』
アムネリアの両眼が開き、<アマテラス>メインモニターの一角に表示されていた人体余剰次元の模式図が拡大、その中央付近に光点が浮かびあがる。
「こ、ここは、胃⁉︎ ナオは、そこなの⁉︎」カミラは目を見開いて問う。
『はい。急いで! 我が導きます……』
「ナオのやつ、フライングかよ」言いながらティムは機関を時空間転移モードに切り替える。
「こちら、<アマテラス>! ナオは胃の余剰次元に流されていた模様! 座標共有! 直ちに向かいます‼︎」
『了解だ‼︎ 結界はあと二〇分程度だ‼︎ 直人を回収次第、原因をすぐに探り、対処を‼︎』東が答える。
「対処って……簡単にいってくれるわ」サニがボヤく。
「とにかく今は向かうしかない! アラン、いける⁉︎」「座標セット完了! いいぞ!」「よし! 転移、開始‼︎」
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……と! ……なおと‼︎」
ドンドンと、何かを叩く音。自分を呼ぶ声。あのワインの海の中で、溶け合うように感じていた音とは違う。
腹のあたりがキリキリと痛むのを感じると、薄く開いた視界に光が差し込んでくる。
「あ……亜夢……」
保護カプセルのガラス窓から、亜夢が心配そうに覗き込んでいた。
「なおと‼︎ ……よかった……」
亜夢の大きな瞳の中に、酸素マスクをつけ、カプセルに横たわる直人が見える。亜夢はじっと覗き込んだままだ。
亜夢の頬が、薄く上気して、瞳の中で、自分の姿が揺らめくように見えた時。ブリッジからの通信コールが鳴り、亜夢はハッと息を呑み、ワタワタと離れて、通信モニターへと向かう。
『どう、亜夢! ナオは⁉︎ 戻ったかしら⁉︎』
モニターに出るなり、カミラは捲し立てるように問いかけてくる。
「あ、う、うん……今、目が覚めたよ」すぐにティムとサニの喜ぶ声が聞こえる。
『よかった……亜夢、ミッションは大詰めよ。そのままナオについてて』「う、うん!」少し嬉しそうに返事する亜夢。
『あとは、あの『黄金の女神』ね、サニ、どう⁉︎』『波動収束フィールド、オート再構成! ビジュアル、出ます!』




