ヴィニフィカシオン 6
「本当にそれだけかね?」「えっ? ……あ……あぁ……」藤川の問いかけに、ふと顔上げた早瀬だったが、逃げるように目を背けると、真世の大きな瞳と合う。早瀬は、どこにも目を向けられず、眼下の古屋の眠る保護カプセルへと視線を落とした。
「……私には、そうは思えない」構わず藤川は、早瀬に語りかける。
「実世はな……私と貴美子にとって、たった一人の娘……ふふ、私も貴美子も、そりゃあ、大事に育てたものだ」藤川も真世の席を挟んで保護カプセルを見下ろす位置に立ち、独り言のように話し始めた。
「少々、大事にし過ぎたもんでな……あの頃のあの子は、世間知らずで。だからこそ、君たちの交際に反対もした……」
遠くを見つめるように語る藤川。彼の口から母の昔の話が語られることはあまりない。真世は、静かに自席に腰を下ろし、藤川の言葉に耳を傾ける。
「……だが、それは間違いだったと、後になって気付かされた」
真世を挟んで、藤川は早瀬をじっと見つめる。ハッとなった早瀬の顔が藤川の方へと向く。
「……君と実世が東京に移り住んで……この子が生まれる頃……」そう言いながら藤川は、真世の肩にそっと手を置いた。
「実世は、私たちに、こう伝えてきた……今、とても幸せだと……」
早瀬は目を丸めて息を呑む。
「実世が……私たちの手から離れ、君と一緒に自分で掴んだ幸せだ。だから、私たちは認めたんだ。君たちの仲を」
藤川は白い口髭を持ち上げ、微笑みかける。隣に立つ貴美子も同じ笑顔を見せていた。動揺を隠せない早瀬はたじろぎ、藤川と貴美子二人の顔の間に視線を泳がせる。
「う……嘘だ……俺は、ずっと……あんたに……」頭髪をくしゃくしゃと握りしめ首を振る早瀬を、IMCの一同はじっと見つめている。
「嘘ではない」「そんな、バカな! だ、だ、だったら証拠は⁉︎ その証拠があるのかよ⁉︎ えぇ⁉︎」早瀬は一層取り乱し、真世は身構えた。藤川はため息をつく。
「……証拠か……証拠……などと、言いたくはないが……」
藤川は真世の席の背後に立つと、シートの背もたれ越しに、真世の両肩に手を乗せる。真世はハッとなって、振り返る。
「この子だよ。『真世』……私と、貴美子が贈った、この子の名前だ」真世は目を丸めた。何の話か、聞いたこともない。
「そ……それは……実世にせがまれて……」早瀬も何のことかわかっていないようだ。藤川は小さく首を振って、穏やかな眼差しで早瀬を見つめる。
「確かに、実世に頼まれて考えた。私達にとっては初孫だ。大いに悩んだものだが……この名の意味を……実世は、君に伝えていなかったか?」少し残念そうに見つめ合う、藤川と貴美子。真世も、はっきりとその意味を母から聞いたことがない。
「真世……名前の意味……?」
頭を抱えた早瀬は、ハッとなって蘇る、生まれたばかりの真世を抱きながら、実世が嬉しそうに口にした言葉。
……真世の『真』はね、私の『実』と合わせて……『真実』。その『真』なの。……ふふ、この子もきっと……世の真実を見通す子になるわよ……貴方のように……
「……ジャーナリストの仕事は、世の真実を追い求めること……そんな君にあやかって、考えた名前だ」
「お、おじいちゃん……」真世は、目頭が暖かくなるのを覚え、咄嗟に顔を上げて堪える。
「み……実世と……真世……真実……そ、そんなの……ただの、こ……言葉遊びじゃねぇか……」
「……ふう……君を認めていなければ、むしろ、こんなにわかりやすい名前は避けたさ。いや、実際、他の名前にもしようとも考えた……だが、この名前しか……なかったのだよ。この子の名前は」
真世は、肩に置かれた祖父の両手が、グッと締り、彼の温かな想いが流れ込んでくるのを感じていた。早瀬が藤川の隣に立つ貴美子をふと見やれば、その当時を懐かしむような穏やかな笑みを浮かべ、深く頷いている。
「世の……真実……真世……真世! あぁ! そんな……」愕然となり頭を抱えながら、早瀬が一歩、また一歩と後退り、卓状モニターの縁に、尻を当ててよろけた時。それが引き金となったかのように、何かの異常を告げるアラームがIMCに鳴り響く。一同の視線を一身に注がれた早瀬は、驚いて、俺じゃない、と言いたげな表情を浮かべて首を振る。
「結界膜⁉︎」真世の席のコンソール画面で、アラームサインに気付いた貴美子が、緊迫した声を上げた。
藤川は、すぐに緊張を取り戻し、背後の卓状モニターに投影される人体モデルのホログラムに向く。真世の名前の由来に、いっ時、気持ちの温まるのを覚えていた東、アイリーン、田中の三人も、各々の仕事に集中を戻す。
「どうなっている、貴美子?」
「結界膜許容値の八十パーセントを超えてる⁉︎ まだ二時間半は保つはず! アル⁉︎」
『あぁ、ちょっと待ってくれ! ……こいつは⁉︎ 胃のアルコール亜物質化が急増しているぞ! このままでは一時間も持たない‼︎ 何が起きてるんだ⁉︎』通信向こうのアルベルトは、解析に向かったまま返答した。
「インナーノーツ、聞こえる⁉︎」貴美子はすぐに<アマテラス>に通信する。
『はい! 次元量子マーカーに警告サインが! これは⁉︎』カミラが通信に答える。
「胃よ! 胃の亜物質化が、活発化し出したようなの! 胃の方に迎える⁉︎」
『ナオの意識がまだ! いま、時空間転移すれば、ナオの魂をこの時空領域に置き去りにしてしまう危険性が‼︎ アムネリア、どう⁉︎ まだ掴めない⁉︎』
ホログラムのアムネリアは、直人の探索に精神を集中させたまま首を振る。
「結界はあと……四〇分程度! 直人を見つけ次第、すぐに向かって!」指示を飛ばす貴美子の声にも焦りが滲む。
『はい! アムネリア、なんとかナオを呼び戻して!』『隊長! アタシもダイレクト接続でセンパイ探しに!』『二重遭難の危険がある! ダメよ! 胃が荒れ出したとしたら、ここも影響が出るかもしれない。サニ、貴女は周辺の時空変動の監視を徹底! アラン、ティム。ナオが戻り次第、時空間転移する。準備しておいて!』『了解‼︎』
カミラの指示に通信向こうの<アマテラス>ブリッジにも緊張が漲ってくるのが伝わってくる。
「……し、真……実……」古屋は、緊迫したIMCで一人、狼狽えていた。
……彼が、インナーノーツだからだ……
藤川の言葉が、早瀬の胸の内で反響している。
……この子もきっと……世の真実を見通す子になるわよ……貴方のように……
重なるように、胸の奥底から、実世の声が湧き上がる。
「お……俺は……」
****
……だ、ダメだ! 古屋さん‼︎ そいつは、貴方の奥さんじゃない‼︎ 黄金の女神だ‼︎ ……
直人は、古屋の記憶に残る息子、陽樹のイメージに閉じ込められたまま、声を上げようとしても、声にならない。
古屋は、明子の姿をした黄金の女神に導かれるまま、葡萄畑を離れ、ワイナリーの中央、醸造所へと入ってゆく。
……古屋さん‼︎ ……
すると、あたりを照らしていた頭上の光は、黒ずんでいき、あたりから再び色彩が失われていく。葡萄の実が黒ずんでしぼみ、葉は枯れだす。突然、激しい揺れがあたりを襲う。
……地震⁉︎ ……まさか、あの⁉︎ ……
直人がそう気づいた時、陽樹の身体のイメージは、時を止めたように固まり、葡萄と同じく黒く変色し、まるで乾いた土人形のように、ボロボロと崩れだす。
……運命の時が近づいています。この世界の運命……
揺れにまじって、何かが囁く声が聞こえる。
……黄金の、女神⁉︎ ……
揺れはさらに激しさを増し、黒ずんだ畑も、固まった陽樹の残像も、その揺れの中に崩し、飲み込み始める。
……私を信じなさい。……世界を混沌と破壊に導く悪が蠢いています……
大地は地滑りを起こし始め、直人は、崩れかけた陽樹の土人形と共に押し流される。
……くっ、あっ⁉︎ あああああ‼︎ ……
畑も、土も、空も、陽樹に固まりに囚われたままの直人も、そして空に燃え残った黒炭のような太陽も、一緒くたになって、暗黒の渦へと飲み込まれてゆく。
****
古屋の保護カプセル内マイクが、何か音を拾っている。気づいた真世は、マイクボリュームを上げた。
『……サ……PSIは……す……全てを……うば……う……IN-PSID……の……活動は……とめ……ねば……かな……しみ……と……いか……り……を……み……みお……りがわ……わすれ……る……なぁ……あが! ……がっ……がふ……が……』
マスクでくぐもった古屋の声。カプセルの中で、拳を握る古屋の意識はまだ、デモの真っ只中にいるのだろうか?
古屋は、身体を震わせ、咳き込んでいる。
「ふ、古屋さん‼︎」たまらず、早瀬が声を上げた。
『……あ、ああ……そうだ……ま、増田……くん……友恵……さ……んも……みんな……みんな……苦しんで……きた……んだ……こ、声を……ぼ、ぼ……僕が………み、みっちゃん……そうだよな、みっちゃん! ……』
「古屋さん⁉︎ あ、あんたって人は……」
早瀬は、再び真世の隣まで駆け寄ると、眼下の古屋の眠る保護カプセルに向かって呼びかける。
「もういい、もういいんだ‼︎ 俺が……俺が悪かった‼︎ だから、もう……」コンソールに手をつき、早瀬は項垂れる。
「頼む……あの人を……古屋さんを……助けてくれ……お願いだ……」
虚勢が崩れ、肩を震わせる早瀬から漏れた、悲痛な声にIMCの一同は驚きを隠せない。
「……私は、君にとって……良い父親にはなれんかったが……」藤川は、肩を落とした早瀬の後ろからそっと声をかけた。
「……君は、すでに、良き父を見つけていたようだ……必ず救おう、彼を!」
藤川の言葉に、早瀬は背を向けたまま小さく頷いていた。




