ヴィニフィカシオン 4
『<アマテラス>の出動を認めた……だと?』女司祭の眉が持ち上がる。
『人命を優先した……と。緊急の人命救助、災害対策には、事後承認を許容していた。やむを得ないであろう』音声通信のみの報告を入れてきた野太い男の声が言う。
頭上に広がる宇宙空間、足元には地球を映し出す全天球の空間には、世界中からもたらされる、ヴァーチャルネットの情報が、無数の泡のように、次々と湧き上がり、そして空間の何処かに溶けていく。女司祭は、時折、泡に触れてみる。それは地球の何処かの情報の塊——映像、音声……いや、それだけではない、臭いに、肌に触れる空気の質感……およそ人が五感で感じられる全てを映し取ったヴァーチャル情報に、女司祭は、愛おしげな笑みを浮かべる。
『人の命……か。たかだか人一人の命……この無数の情報の中の、砂粒のようなものに、なんの価値があるというのか? <アマテラス>……やはり、力づくて抑えるべきではなかったのか?』女司祭の声に、嘲笑と苛立ちが混じり合う。
『彼らの反発を抑えながら、こちらの手駒とするためだ。人一人を救ったところで、我らの計画への影響はあるまい。ワールド様覚醒まで、あと三日ばかり……現状を支えられれば、それで良い』
『ふん……あと三日……其方の自信が保つよう、祈るわ』『心配には及ばない。全て、上手くいく。これは、新たなる神の計画なのだから』
『……そうね』『我々も正念場だ。私もしばらく連絡は控える。今、彼らに勘付かれては厄介だ。では、また。ワールド様の覚醒の後に……』
『抜かりなきよう……ジャッジメント』『うむ……』
通信が切れる。女司祭は振り返り、背後の暗闇の中にゆらめく黄金色の灯火をじっと見つめる。
『あと三日……ワールド様……』
****
「アラン、どう?」カミラは、<アマテラス>周辺のPSIパルス分析にかかっているアランに、声をかけた。
「……微弱だが、サブリミナル反応は、まだ残っている。だが、患者の身体余剰次元全域に伝播していて、どこが発信源か特定できない」「そう……」
メインモニターの通信ウィンドウに貴美子が出る。
『肝臓の方は、ひとまず正常に戻りつつあるわ。けれど、そのサブリミナルが残っている限り、またどこかで、黄金の女神となって現れる……なんとか、探し出して』
「え、ええ」貴美子の推測に、カミラも同意しているが、古屋の身体余剰空間の、まるでワイン樽の中で起こる対流のような流れに、レーダーもパルス分析も撹乱されていた。
「アムネリア、貴女の方は?」
ホログラムに再び現れたアムネリアは、首を横に振る。
『……いま、全ての流れが溶け合い……混じり合う……我にもはっきりとは……なおとの気配も……』アムネリアは俯く。
直人の禁じ手、『浄化』は、対象との深い心理的同調が必要となる。そのための『PSI-Linkダイレクト接続』は、代償として肉体へのダメージのみならず、直人の魂を対象の心象世界へと遊離させかねないリスクがあった。直人の魂は、肉体とギリギリの繋がりを保ったまま、今、この古屋の心象世界を彷徨っている。
「ナオ……」
カミラは、メインモニターの隅に表示された、ミッションの残時間表示を確認する。残り三時間。幾分余裕があるとはいえ、探索の手立てが未だ掴めず、カミラは腕を組んでシートに深く体を預ける。
「焦っても仕方ないな……待つしかないか……」とアラン。
「待つ?」カミラは怪訝げに問い返した。サニとティムも聞き耳を立てる。
「ああ。直人は未だ、患者の深層無意識に深く止まっている。彼の意識が戻れば、それを追って、この心象世界の全体像が見えるはずだ」
「……そうね」カミラは、正面モニターが映し出す、ゆっくりとした流れにゆらめく、一面、赤紫の世界を見据える。
「……患者は、ワイン生産者だった。この心象世界……待つ時間が必要なのかもしれない。熟成される、その時を……」
カミラの言葉に、アラン、ティム、サニは頷いて前を向く。直人は必ず戻る。そう、固く信じながら——
「インナーノーツ……インナーノーツだから……」
早瀬は、藤川が突きつけた言葉を繰り返し、頭を抱える。
「……君にもわかるはずだ。彼が命を賭けても、自らのミッションを成そうとしていることを……かつてのキミもそうではなかったか?」と藤川はそっと語りかける。早瀬は、目を丸めて藤川を見つめ返す。
「水織川に取材に来た……あの時の君の目。私はよく覚えている。悪ぶってはいたが、PSIの危険性を訴える君の眼差しは本物だった」
「!」
「本来の君は、私利私欲や恨み辛みでモノを書くような人間じゃない……」「ち、違う! 俺は! ……俺は憎んでいる! PSIも! こんな社会も!」早瀬は、大きく首を振り、藤川を拒絶する。その額に、じわりと汗が滲んでいた。
「どうして……」真世の口からふと言葉が漏れる。早瀬は、敏感に反応して、真世へと視線を移す。
「そんなに愛していたの? ……地震で亡くなったっていう……その女の人のこと……」問いかける真世は、震えている。
「えっ⁉︎ ……あ、ああ……そ、そうさ」なぜか、早瀬は口籠る。
「ママよりも⁉︎」「そ……そ……それは……」真世の真っ直ぐ見つめてくる哀しげな瞳に、早瀬はたじろぎ、その額から汗が滑り落ちてくる。
「……サ……PSIは………み、皆、殺しちまう……アイツらだけじゃない……お、俺の親父も……」早瀬の戦慄き、呟く声に、IMC一同の視線が集まる。
「親父も! PSIに殺されたんだ!」
****
薄紫の霞の中に、カシスとバニラの交わったような香りを感じると、フランボワーズの風味の中に、葡萄の皮の確かな渋みが身体に染み入ってくる。血流が増した頬が、ほんのりと温まるような感覚が満ちてくる。
……あれ……呑んでるのか……オレ……
足裏にジャリジャリとした感触を覚え、視線を落とせば、足元には、アメシストの鉱床のような結晶があたり一面ひろがっている。
……ここは……
あたりを見回すと、霞の中に、足元の結晶と同じようなものがキラキラと舞い、ゆっくりと漂っていた。
頭上に温かみを感じ仰ぎ見ると、日差が揺らめき、それに照らされた結晶は、赤紫の宝石、いや、葡萄へと姿を変えていく。足元は、黒くふかふかとした畠の土になっていた。
……この葡萄の実はな、土に空気、水、そして、太陽。その全てを凝縮する……
直人は、声に反応して隣を向く。四十後半から五〇代くらいであろう、古屋は、低い作業椅子に座り、葡萄の株に手を入れて、葡萄の生育を確認している。その向こうでは、農作業アンドロイドが二体、同じように作業していた。
……ウチの作業プログラムも五年の蓄積で、だいぶ整ってきたけどね……まだまだ、全部、機械任せにはできない……
気づけば、自分も手を株に差し込み、手のひらに葡萄の房を乗せていた。
……いいか、この実の色合い、皮の張り、実の弾力、香り……それから……
そう言って、摘んだ実を手渡してくる。一つ受け取ると、残った一粒を指で軽く擦ってから、口に入れ、食べてみろと促す。直人は、同じようにして口に含む。しっかりとした皮の食感、渋み……果肉が弾けて、強い甘みが広がり、爽やかな酸味が通り抜ける感覚を覚える。
……この味。お前の五感、全てに覚え込ませるんだ……
そういいながら古屋は、エプロンで指先に付着した果汁を拭う。
……どうだ、旨いか? ……
直人は思わず頷く。
……はは、そうだろう! これが、ウチの『峰玉』だ……陽樹……
陽樹? 確か、古屋の息子の名だ。そうか……ここは、古屋の心象世界。自分は今、彼の記憶に残る息子、陽樹のイメージに同調している。そう悟った瞬間、微睡の感覚がはっきりしてくる。
……陽樹。それが一番大事なんだ……その、旨いと思う心……機械にはどうしても伝えきれない……だから、最後はこうやって、自分の五感で確認して、収穫の日を決める……
古屋は、あたり一面を見渡しながら言う。
……来年から、畑はお前に任せる……
また、出かけるの? 直人が思う前に、自分の口から言葉が出ている。
……ああ……今度はカリフォルニアだ……何度か断られたが……ようやく提携を前提に、面会してくれるそうだ……だが、向こうでの研修が条件でな……母さんにはまだ、内緒だぞ……
直人と同調している息子の記憶は、経営が厳しいこと、それを巡っての母との不仲を心配しているようだ。
……わかってはいるさ……だがな、陽樹。この峰玉は、まだ足りないんだ……あの日差しを閉じ込めたような……古屋は手をかざしながら、太陽を仰ぎ見る。
……お前たちに苦労かけて、振り回していること……申し訳ないとは思う……だがな。僕は醸造家なんだ! ……お前もワイン造りを始めれば、きっとわかる……
陽樹の口からは何も出ない。代わって直人が声をかけようとしても、声にならない。
どこか淋しさを湛えた微笑みを残し、古屋はまた、葡萄の株に手を差し入れていく。
その『父親』の背中に、直人は自らの内側で温かく揺らめくものを感じ取っていた。




