ヴィニフィカシオン 3
卓状モニター上の中空に投影された、古屋の肝臓のモデリングホログラムを塗りつぶしかけていた赤色の領域が、炎症が引いていくかのように、色味を失っていく。それは、肝臓の全域に広がりかけていたPSI現象化反応が、徐々に解消されつつあることを示している。
「バイタル値も正常に戻りつつある。当面の危機はひとまず脱したようね、古屋さんの方は……」
貴美子の言葉に、IMCの一同は安堵のため息を漏らすのも束の間……直人が退出した<アマテラス>ブリッジからの通信映像を、皆、言葉もなく見つめる。直人の席には、彼が吐血した鮮血が、生々しく付着したままになっていた——
「なおと‼︎」
<アマテラス>簡易医務室の救護カプセルから、すでに亜夢は抜け出し(カプセルはブリッジに席がない亜夢の、PSI-Linkシステム接続ユニットとしても使用されている)、ティムとサニに担がれ、昇降機で上がってきた直人を迎え、三人でなんとか直人をカプセルに横たえる。サニと亜夢は、直人のジャケットを脱がせ、医務室に備え付けのガーゼで血の汚れを拭き、ティムはAI診断装置の指示を受けながら、処置にあたる。
幸い、直人の吐血は一時的であり、身体に現れかけた結晶状のものもすでに消え去って、今は落ち着いている。呼吸確保に酸素マスクをつけた状態で、カプセルを閉じた。カプセル内は電磁結界が張られ、直人の心身を保護すると同時に、簡易的な治療も施す。
カプセルのガラス窓越しに見える直人の顔を、心配を隠さず見つめる亜夢。
「大丈夫、この中ならひとまず安心よ」と、サニは亜夢の肩に手を回し、二、三軽くその肩を叩く。
「……戻ろう。まだ、ミッションは終わってない」ティムは気持ちを固めて、直人の収容されたカプセルに背をむけ、昇降機に乗り、サニも続く。
「亜夢、貴女は?」ついてこようとしない亜夢に、サニは振り返って訊ねた。
「亜夢……あ、あたし……」サニと視線を合わせないように俯き加減で答える亜夢。
「好きにすりゃいいさ。ナオがまた、無茶しねぇように、見張っててくれ」ティムは小さく微笑みかけた。
「う、うん」亜夢の返事と共に、医務室の扉が閉まり、ティムとサニを乗せた昇降機が降り始めた——
「あ……所長、EU暫定本部からです」幾分落ち着きを取り戻したIMCで、東は手にしたタブレットに届いたメールを開いて、藤川に見せる。
「<アマテラス>の緊急出動、承認すると……」「早いな。向こうはまだ早朝だぞ」そう言いながら、藤川はさっとメッセージに目を通す。
「……人命優先を尊重……か。ありがとう、ハンナ」藤川は、軽く目を閉じて文面の向こうのハンナへ謝意を表じる。田中、アイリーン、真世、そして貴美子もハンナの計らいに、気持ちが和らぐ。その中で一人、早瀬は、直人の去った<アマテラス>ブリッジからの通信映像を呆然と見つめたまま、立ち尽くしていた。
「……どうして……どうしてなんだ……」早瀬が呟く。自ずと皆、早瀬の声に耳が向く。
「彼は……あそこまでして……」早瀬の身体は、打ち震えていた。
「なぜ……あそこまで、できる?」早瀬は、硬直しかけた顔を、なんとか真世の方に向けて訊ねる。
「彼……なんだろ? ……真世。あの二〇年前の……震災を引き起こした少年というのは」
「そ、それは……」真世は返答に詰まり、祖父に視線で助けを求めた。
「……どうも、ウチの内部情報が漏れているようだな」早瀬の背後から、藤川は声をかける。早瀬はゆっくりと振り返った。
「ダ……ダークウェブさ……そこの、情報屋が……よこした……本当なのか、確かめたくて……」
早瀬は唇を戦慄かせて言った。
「……確かに、彼は発端となってしまった……」藤川は静かに答えた。彼の視線の先の<アマテラス>ブリッジの映像には、自席に戻り、航行システムの復旧を確認するティムと、直人の血を拭き取りにかかるサニの姿が見える。
「だが……あれは事故だ。当時、四歳の子供が、処理施設に迷い込み、PSIエネルギー現象化の触媒のように作用してしまった……責任の全ては、当時、あそこを管理していた、この私にある」藤川は早瀬に向き直り、しっかりと見据えて言い切る。
「……へっ……へへ……そ、そんなこと、世間には……どうでもいいことなんだ。世間は……わかりやすい悪者を求める。今回の騒ぎのように……」早瀬の声は、悪ぶっているが、もはや刃こぼれし、錆びついて切れなくなった刃物のようだ。
「あいつらは……」くっと唇を噛み締め、早瀬は顔を上げて藤川を睨めつける。
「あ、煽りようは、いくらでもあるさ!」張り上げた声は、空いばりにしか聞こえない。
「へへっ……俺の、書き方一つで……そんなの……い、いくらでも」「もう! やめてよ‼︎ どこまでクズなの‼︎」真世はいきりたつ。早瀬は、娘の叫びに慄いて、よろけながら二、三歩、後ずさった。
「早瀬くん。この件は機密事項だ。君の好きに書かせるわけにはいかない」藤川は、静かに、それでいて毅然と言い切る。IMCの一同は、早瀬と藤川のやりとりを静かに見守る。
「……だが、そもそもキミは、そんな記事を本気で書きたいのか?」「……っ!」
何も言い返せない。早瀬は、己の胸の内を全てを見通しているかのような、藤川の瞳に気圧されるばかりだった。直人の去った<アマテラス>ブリッジの席と、眉を吊り上げた真世、じっと見つめてくる藤川の間を、早瀬の視線が泳ぐ。
「彼がなぜ、あそこまでやるのか……わからんのかね?」藤川の問いかけに、早瀬は肩をびくつかせた。
「……じ、地震を起こした……その、罪の意識……だろう?」
「うむ……それは確かに一つの理由だろう。だが……それだけではないように、私には思えてならない」
「それだけじゃ……ない?」
「<アマテラス>は……いや、インナーノーツのミッションは、心理療法に近い。対象の魂との同調をどれだけ深められるか。それがミッションの成否の鍵を握る。君が今、目の前で見たように」
「直人は、患者の……古屋氏の魂と一体となって、その全てを受け止めようとした。相手の苦しみに本気で寄り添う……それが、彼が贖罪の中から自分で見つけ出した、贖罪を越える使命。彼自身の『ミッション』なのだよ」
藤川の言葉の重みが、早瀬だけでなく、IMCの一同にものしかかる。
「苦しみに……寄り添う……」
「たとえキミが、彼を貶めても、他人からどんなに恨まれたとしても……」
真世は、ハッとなり、そして俯く。
「……彼はきっと、こうするはずだ……」
「……なぜ……そこまで……」
藤川は、狼狽を隠せない早瀬に正対し、彼の両眼をしっかりと見据えた。
「彼が、『インナーノーツ』だからだ」
「インナーノーツ……だから……」その藤川の言葉は、早瀬の胸の奥底にあった、まだ冷めやらぬ何かに響いていた。




