人体宇宙(インナースペース) 7
古い倉庫をリフォームしたワイン蔵は、想定外の震災には、十分な強度を保てなかったようだ。土砂崩れで足場から崩れ、壁や屋根が傾き落ちている。ワインボトルを並べた棚は倒れ、整然と並べられていたであろうワイン樽は、落ちた壁や屋根の重みに割れたり歪んだりしている。割れたボトルや樽から流れ落ちたワインが、灰色の世界の下方に真っ黒な池を作っていた。
あたり一面が塗り替えられ、浮かび上がってきた生々しい被災現場の記憶にインナーノーツ、そしてIMCの一同は言葉を失う。
下方の液面には二つ、三つと波紋が広がり、崩れた壁と屋根の隙間からは、防風に舞う白い雪がチラつく。その雪を映し取った液面に波紋が広がり、声が聞こえてくる。
『親父、こんなやり方じゃ、採算とれないよ。良いワインを作りたいのはわかるけど……せめてボトルはこっちのメーカーのを……』『そりゃダメだ、陽樹。お前はまだ、わかってない!』『親父……』
また、二つ、三つ、波紋が広がり、隙間からは眩しい白光が差し込む。今度は、ゆらゆらと熱気に辺りが揺れ、黒々とした液面の照り返しと共に、また声が聞こえてくる。
『……また、出かけるの?』
『ああ。見つけたんだ、ようやく……僕の求める風味を。必ず、苗木をわけてもらうよ』
『……経営状況わかってる? ……』『ん? ……あ、ああ……』『……去年、売り出した、『峰玉』。納品先からそこそこ好評なのよ。そんな上手くいくかわからない新作より、今は、あのワインの生産増やすべきよ!』『……どうしてだい? なんでわかってくれない? ……最高のワインを作りたいんだ……キミが一番、わかってくれていると思っていたよ……』『……何を言っても……無駄ね……カリフォルニア? いつ戻るの?』『三週間ほど……』
『……そう……』
波紋は足跡のように固まって、塊は液面の底へと沈んでゆく。そうやって、波紋の足跡は、蔵の奥へ奥へと進む。<アマテラス>は、それに導かれるように、ゆっくりと進んでゆく。
「……なんだ……なんだよ、これ……古屋さん……」早瀬は呟く。
「どうしてだ? ……あんた、誰よりもPSIを使い続ける世の中を危惧していた……批判していた……なのに……なんで、あんた、こんなにも……深く沈んで……出てくるのは、辛い思い出ばかりじゃねぇか……これじゃ、あんた、惨めすぎるだろう……」早瀬の唇が戦慄いている。
「なぁ、どういうことなんだ? 怒りも憎しみも、まるで湧いてこない! おかしくないか? ええ、真世!」叫び散らす早瀬の声は、どこか焦燥めいている。
「ミッション中よ。静かにして」真世は、コンソールモニターの監視を続けたまま言う。肝門付近の細胞が、古屋の心象が固まるたびに、硬化し始めている。急激な肝硬変を引き起こしつつあったのだ。
「さては、都合のいいところだけ、『切り取って』見せて……」「そんなことない!」真世は苛立ち露わに言い返す。早瀬は言葉を詰まらせ、目を丸めた。
「『切り取り』だってよ。へっ、そりゃ、マスコミの十八番だろーが」と、IMCからのリアルタイム通信を聞いていたティム。笑うに笑えない。
『……陽樹……明子……お前たちが正しかった……お前たちの話を聞こうともせず……自分の夢ばかり追い求めて…………カリフォルニアになど、いかなければよかった……なぁ……そうだろ? ……あぁ……死ぬべきは、この僕だったんのに……』
「前方……強反応……収束します……」サニの声が、震えている。正面モニターには、倒れ、崩れたワイン棚の中から、人の腕、そして倒れた棚と瓦礫に挟まれ、潰れた青年の頭部が覗く。
『陽樹ぃいぃ……』
ミッションに当たるものたちの心理負荷を軽減するためのボカシが、モニターに瞬時に入ろうが、直視できるものではない。
葡萄から圧搾された果汁のように、青年の押し潰された瓦礫の山から黒々とした液体が流れ出している。古屋の意志と同調した<アマテラス>は、それを正面に捉えたまま停船し、動くことはない。これは、十字架なのだと、カミラは思う。古屋の魂に架けられた……
そう、この場こそ、古屋の苦しみの源なのだ。
「……こんなの……あんまりよ……」顔を背けてサニは呟く。
「PSIブラスターじゃ無理だ……撃てるわけない……あんな……息子さんを……」直人は苦しい胸の内を吐露するように言う。
「じゃあ……どうすれば……どうすればいいんだよ!」ティムは、固く動く気配もない操縦幹を握りしめた。
『お気に召しまして……この二十年……しっかり熟成された私どものワイン……』
<アマテラス>のブリッジに、まるで接客にでもあたるような、上品な女の声が響いてくる。
カミラは、モニターが映し出す正面の瓦礫の奥へと目を凝らす。
『……この年は天候にも恵まれ、私どもの『峰玉』も、まさに当たり年……』
波動収束フィールドの収束反応を示すサインと共に、奥からゆっくりと人影が現れた。
『苦悩……後悔……悲しみ……そして絶望……作り手の人生が、芳醇なチェリーのような香りの中に、タンニンの苦みとなって凝縮された極上の一杯』
人影はショートボブのソムリエエプロンを身につけた、細身の女性、古屋の妻、明子のようだ。明子は、下方に広がる黒い液面を、手にしていたグラスで掬い、それを頭上に掲げて色味を確かめると、続いて香り、味とテイスティングする。満足そうな笑みを浮かべるその顔は、黒ずんでいた。
『……濃厚な肉料理にも負けない、味わい深いフルボディに仕上がっておりますわ』
<アマテラス>の目の前に立ち現れた明子は、そう言いながらグラスを差し出してくる。
『……あ、あ……明子ぉ……』苦悶するような声と共に、ブリッジ中央ホログラム投影機に、跪いて背を丸めた古屋の姿が現れてくる。
「ふ……古屋……さん……」
通信モニター越しに、早瀬は目を見開いてホログラムの古屋を見つめる。皆、固唾を飲んでことの成り行きを見守るしかない。
『さぁ……これが……あなたのワイン……あなたの人生……しっかりと味わって……ほら……』
明子は、更にグラスを持つを伸ばしてきた。<アマテラス>ブリッジモニターに警報が立つ。
「PSIバリアに変調! 干渉を受けているぞ‼︎」アランが声を上げる。
『CAUTION』表示は、すぐに『PSI HAZARD』の赤警告表示へと変わっていく。
「PSIパルス照合……まずい、こいつは!」
ホログラムの中に、明子のグラスを持つ手が伸びてくる。古屋は、妻の名を口にしながら、そのグラスへと、震える手をゆっくりと伸ばし始めた。
「……だ、だめだ……それは……くっ……」全身を駆け巡る違和感に抗いながら、直人は声を絞り出す。その一方で、アランが、顔を上げて声を張る。
「サブリミナル反応⁉︎ 黄金の女神だ‼︎」




