人体宇宙(インナースペース) 6
<アマテラス>から放たれた雷光は、先端で稲妻の如く、いく筋にも分岐し、瞬時に襲い来る結晶体群を貫き、PSI情報素子の眩い光へと変えていった。その光が<アマテラス>のPSIバリアに触れると、ブリッジモニターに朧げな何かの影を映し出す——
中央パネルに灯る光は、降り注ぐ日差しに照り輝く、赤紫の宝玉のような葡萄へと変わる。その房を手に微笑む、古屋の妻であろうショートボブの中年女性、そして選果台で収穫した葡萄の実を選別する彼の息子らしき細身の好青年は、ふと顔をあげた——
右舷のパネルに灯った光は、赤黒い波紋を広げ、同時に、ブリッジに音声変換された声が聞こえてくる——
『……えっ、二〇年も⁉︎』
『ああ、そうさ。お前は今年でちょうど二十歳……仕込みは万全! お前の歳と同じ年月が、このワインを育てるんだ……そうだ、お前の四〇歳の誕生日に、開けよう!』
『それ、いいわね』
『二十年後かぁ、オレ、どうなってんのかなぁ? 親父みたいに、ちゃんとワイン、作れてるかなぁ』
『はは、お前は好きなことやればいい。陽樹、お前の人生は、これからなんだから』
『またかよ、オレ、もう決めてるんだ。大学卒業したら、オレもワインのこと、もっと勉強する! 親父とこのワイナリー、やっていきたいんだよ!』
『……陽樹……ありがとう……』
——ワインを並べた小さな店頭で接客する妻、醸造所で設備の操作を学ぶ息子……古屋のワイナリーでの想い出が眩く照らし出され、そのまま硬直し、黒ずんでひび割れ崩れ落ちる。
左舷と後方パネルがまた、別の光景を映し出す。どこかの空港のようだ。英字表記の電光掲示板は、全ての便が欠航、空港ロビーには、行き場を失った人々でごった返している——
『そんな! 日本も大変な状況なんだ! 頼む、帰らせてくれ!』空港の受付カウンターに押しかける帰国難民、それを突っぱねる空港職員。その騒動を呆然と眺めている。
『……陽樹……明子……』
手にした端末のフォログラムに浮き出ているのは、知人からの連絡メール。古屋のワイナリーが土砂崩れで倒壊、息子と妻も行方がわからないという知らせ。その反対の手には、鍵付きのアタッシュケースがしっかりと握られていた——
『……おめでとう。これで君も、我々の仲間だ。苗木は大切な家族……愛しい娘……この契約書類は、結婚証明書のようなものだ……大切な伴侶のように、愛する娘のように……日本の大地で……この子を育ててくれ……』
音声変換された声は、アタッシュケースから聞こえてくるようだ。
「……聞いたことがある……」
浮かび上がる古屋の記憶の影を、IMCで見つめていた早瀬は、誰に訊ねられたわけでもないのに、静かに語り始めた。
「……古屋さん……理想のワインを求めて、世界各地を飛び回って、苗木を求めたって……ようやくカリフォルニアで見つけて……」
IMCの一同と、インナーノーツらは、早瀬の声に耳を傾ける。
「何度も足を運んで……やっとのことで、あるワイナリーと提携にこぎつけたって……その契約の帰りだった。あの、世界同時多発地震が起こったのは……カリフォルニアのあたりも地震に見舞われ、そのワイナリーも被害を受け、契約は無効化……古屋さんも現地で二週間ほど足止めされた……やっとの思いで、日本に帰り着いた古屋さんを待っていたのは……」
<アマテラス>ブリッジにアラートが響く。
「真下に収束反応二つ‼︎ 大きい!」「上昇よ!」
<アマテラス>下方には、PSIブラスターによって砕かれた結晶の欠片が沈殿していた。まるでデキャンタの底に沈んだ澱の堆積のように。それが、二つの大きな黒々とした、長めの包みと化して、上昇する<アマテラス>を追うようにして浮き上がる。
『……あ、明子……陽樹ぃぃ……』
次第にはっきりしてくる形。袋に包まれた人の胴と腕……そして……
「いゃああ‼︎」モニターを見つめていたサニは思わず顔を背けた。瞬時にモニターにフィルターがかかる。
身体はあちこち潰され、頭部が陥没し、顔面も何かに押しつぶされたように変形した息子と、外傷は目立たないものの、まるでフルボディのワインで染め上げたように変色した妻……
『……あぁあ……どうして……どうして……』
『……身元確認……ご協力ありがとうございます……ご遺体はこちらで、丁重に……』
「息子さんは、土砂崩れで倒壊した蔵で……奥さんは、隣接した醸造所で発見されたそうだ……」と早瀬。さすがの早瀬も、とてもモニターを見つめてはいられず俯いて呟く。
「これが現実だ……あんたらの起こした、地震の……怒らずに、憎まずになど……誰がいられるもんか……」早瀬は、握りしめた拳を膝に置き、小刻みに震えていた。
「……地震の……現実……うっ……くぅうぅ……」早瀬の声が直人にのしかかる。
二人の亡骸は、舞い落ち続けている結晶体の欠片に再び覆い隠され、暗い底へと沈みゆく。
『なぜだ……どうして……』古屋の声と共に、トン、トンと音が聞こえてくる。浮かんでくる光景は、俎板に乗せられた人参……そして、覇気なく落とされる包丁の刃。
『古屋さん、もう三十人分だ! 急いで‼︎』
どこかの施設……おそらく避難先になっている施設の厨房のようだ。避難者らの食事の準備だろうか?
ふと、包丁の刃先に視界が集中する。
『なぜだ……』左舷モニターに浮き上がる、赤紫のワインの液面のような像の中に、トンと俎板を包丁が叩く音と共に、まだ中年の頃の古屋の顔が映り込み、語りかけてくる。
『どうして……生き残った……』右舷のモニターも同じように、古屋の顔を浮かび上がらせ語りかけてくる。
『どうして……この僕が……』上、後、下……全てのモニターが、一斉に声を上げ始めているかのようだ。
『なんで……明子なんだ……陽樹なんだ……』
『……自分だけ助かって……何が理想のワインだ!』
『そうだ! 死ぬのは……僕だけでよかった! 僕が死ねばよかったんだ! なのに‼︎』
『ああ、そうだ! 死のう! 死んで、二人の元へ!』
正面のモニターの中で、包丁の切先がゆっくりとこちらへと向く。
『あぁ、明子! 陽樹! ……今、行くからな……』
インナーノーツ、そしてIMCで見守る一同は、息を呑む。
震える切先、高まる脈動の音……
「……ダメだ……はぁ……はぁ……ダメだよ……」直人は我が事のように胸を抑え、呼吸を乱す。
『……う、うぅ……くぅぅう! ……』近づき、離れを繰り返す刃先。
『古屋さん‼︎』誰かの呼び止める声に、視界はびくりと動き、そして包丁は俎板に投げ出される。
『まさか、あんた⁉︎』『い、いや……ち、違います……っと、い、急がないとね……はは』
力なく消えゆく古屋の声と共に、視界は暗転してゆく——
『……すまん……死ねなかった……死ねなかったよ……。はは……なんて臆病なんだ……僕は……』
再び、正面モニターに浮かび上がる視界には、アルコール飲料の缶。口が空いている。仮設住宅だろうか? 部屋の隅には、同じような大量の缶を捨てた袋が見える。
『……安い酒は飲まないと……決めてたのになぁ……』
古屋が流し込むアルコールが、<アマテラス>の周辺空間に広がるように染み渡っていくように、モニターの景色が灰色の世界へと塗り替えられ、波動収束フィールドが、空間PSIパルスの変調に合わせて、周辺情報を再構築していく。
『……ぜんぶ……ぜんぶ……僕が……僕が悪かったんだぁ……』




