人体宇宙(インナースペース) 4
時空間転移明けした<アマテラス>は、転移パラメーターに織り込まれた自動スケールにより、相対的に一〇〇ナノメートル相当のサイズになって、最も時空変異反応がある肝細胞領域の中心静脈(肝細胞からの排水路のような静脈)余剰次元に出る。
「波動収束フィールド、自動ハーモナイズ! ビジュアル、再構成します!」サニの報告と共に、時空間転移で乱れた周辺情報が再収束されていく。
「ここは、血管……だよな?」ティムは、呟く。
勢いなく、渋滞した車列のように後方へと赤血球が流れていく。酸素不足か、鮮やかな赤さを失い、くすんだ茶褐色の球体がぶつかり、押し合いしながらドロドロと流れ、血管の壁面は硬化し、炎症も見られる。慢性肝炎による症状であろう。同時に、全景は、少しだけ赤みを残した、黒々とした闇が重なってくる。
「何かの心象イメージがPSIバリアに干渉しているようね。アラン、PSIパルス同調率を上げてみて。LV3よ、何か見えるかも」「了解した」
赤血球が積み上がり、瓦礫の山を浮かび上がらせ、血管壁はひび割れ、崩れた建物の壁面のような様相を見せ始めた。
……水織川を忘れるな! ……老人の叫びと共に、直人は、その瓦礫の重みが身体にのしかかってくるような感覚を覚える。
「ここは……」「ああ。二十年前、あの世界同時多発地震で倒壊した、患者のワイナリーだろう」アランは、貴美子が取り寄せた、患者の医療データに記載された経歴を確認しながら答えた。
「波動収束フィールド、心象スキャン、モデリングマップ出します!」ブリッジ前面、メインモニターに、古屋の記憶から浮かび上がった建物の3Dモデリングが表示される。この先の肝臓の組織情報と混じり合っているようだ。サニは<アマテラス>の現時点に合わせて、視点を移動してゆく。
「ワイン蔵かしら……」カミラは目を凝らす。一面、ワイン樽のようなものが見える。
「あ、見ろ! 細胞が!」ティムが奥の方のモデルの変化に気づいて指を刺す。肝細胞がモヤモヤと形を変えてワイン樽に置き換わっていく。
「肝細胞は、体内に取り込んだ有害物質を解毒したり、栄養素を分解して、糖に変換して貯蓄する……」「だからワインを詰めて熟成させる樽……ってか……」アランの説明に頷きながらも、眉を顰めるティム。
「しっかし、こりゃ無限にあるぞ」
「現実のワイナリーそのまま、というわけではないようね。患者の様々な想い一つ一つが、それぞれの樽に詰まっているのかもしれない……とにかく、反応の強いLV4地点まで、船を進めましょう。ティム、連続シフト航法に切り替えよ。アムネリアはシールドコントロールで、針路を開いて。微速前進、0.7。総員、第一種警戒態勢!」
カミラの発令で、<アマテラス>はゆっくりと進み出す。
崩れた瓦礫の隙間をすり抜けると、ひしゃげた蔵の入り口であったらしい、趣のある割れた木戸を抜ける。モデリングマップで見た通り、そこは見渡す限りのワイン樽が、縦に横に積まれている。
その間の通路を<アマテラス>は行く。通路は赤黒いワインのドロドロとした流れがで満たされている。アランの分析で、どうやら肝細胞と栄養素のやりとりをする類洞に相当するようだ。それらが集まって中心静脈へと流れ出ていたのだ。
<アマテラス>が通過した近辺の棚が崩れ、樽がひしゃげ、新たにワインを流出させる。
「地震で、丹精込めて作ったワインも、皆んなダメになったんだろうな……」「えぇ……」ティムとサニはあたりを見回しながら、苦々しく呟く。
ぐしゃり、バキり……と、不快な樽の割れる音、ゴボゴボと、ワインが溢れ出す音……ブリッジに変換された音声に、皆、苦しみを覚えずにはいられない。直人は、項垂れ、必死に耐える。
「……ん、まって? 何か聞こえない?」音声変換の不快音に混じった、何かに気づいて、サニは慎重にPSIパルスのハーモナイズを調整する。
『……っそ! ……これも! ……こっちも‼︎ …………皆、ダメだ……皆……死んじまってる……あぁ‼︎ ……』
「ふ、古屋さん‼︎」通信を通して、その声を聞いた早瀬は、思わず腰を浮かせた。
その瞬間、<アマテラス>近傍のワイン樽が、音を立てて破裂する。まるで機雷にでも触れたかのように、周辺の樽が連鎖的に次々と爆散し出し、ブリッジに警報が鳴り響く。
「シールド、最大防御! 総員、対ショック姿勢! ティム、速力上げ! 振り切って‼︎」
「機関いっぱい! ヨーソロー!」
同時に、IMCにもアラームが立つ。
「肝臓右葉中央付近に、時空振動! 現象化反応多数‼︎ おばあちゃん、肝細胞が!」真世が叫ぶ。
卓状モニターに浮かぶ、肝臓のホログラムモデルは、右葉の中心から滲み出る、血のような赤色に染まっていく。数百万もの肝細胞がいっぺんに弾け、組織液を吹き出しながら壊死しているのだ。
「ダミートランサーを! 現象化パルスを誘導、拡大を止める!」「はい!」貴美子と真世は、二人かがりで対応処置にかかる。
一方で<アマテラス>は、速力を上げ、連鎖破裂から逃れようとするが、樽の爆散はどこまでもついてくる。
「クソ! 振り切れねぇ! こうなったらオーバーブーストを!」「待って! ティム!」なぜか苦痛に顔を歪めた直人がティムを止める。
「これは、この破壊は……地震のイメージじゃ、ない。たぶん……これを引き起こしてるのは、この患者さん自身! うっ……」腹のあたりに鈍い違和感を覚えながら、直人は続ける。「つ……つまり……」
「そうか! ティム、停船よ!」カミラは、すぐに命じた。「えっ?」「いいから、早く!」「りょ、了解!」
<アマテラス>が停止すると、その全周のワイン樽が一気に弾ける。その衝撃と、溢れ出したワインの洪水が、<アマテラス>に襲いかかってきた。
「アムネリア! しばらく、守って!」『はい!』カミラに応じて、アムネリアは水妖に姿を変え、ブリッジ中央のホログラム投影機から消えると、シールドは船の周辺に羽衣のような流れを生み出して、ワインの奔流を受け流す。衝撃に揺れるブリッジで、インナーノーツはひたすら耐えること数分。次第に、異変は落ち着きを見せてくる。
「お、治ったのか……」ティムは恐る恐るあたりを窺う。「波動収束フィールド、自動復帰、安定域に戻ります」サニは、乱れた髪を整えながら報告する。
「……どういう、事なんだ?」ティムは、直人に問う。
「あの破壊衝動……あれは、患者さん自身の、無意識の意志だ。この船は今、患者さんの無意識と同調している。つまり、爆発の中心は……」「この船ってことか……」直人は、眉を顰め顔を引き攣らせたまま頷いた。
「けど! それって、自分を傷つけてるだけじゃねえか! まるで自傷行為……!」「そうだよ。慢性肝炎……それが何よりの証拠だ……酒に溺れるくらいしか……患者さんは……地震で……くっ……失った……うっ……哀しみを……」そう言って、直人は腹のあたりを抱えて、埋まる。
「お、おい! ナオ! どうした⁉︎」ティムの呼びかけに、皆の意識が直人に向く。
『なおと‼︎』ブリッジ中央ホログラムに、立ち上がったのは、亜夢だ。肉体を<アマテラス>の簡易医療室の保護カプセルに置き、同行している彼女の意識は、ミッションはアムネリアに譲って眠っていたが、直人の変調を感じて、不意に出てきたのだった。しかし……
直人はそれに気づくことなく、眩く翡翠のように発光し出した、PSI-Linkモジュールへと左手を伸ばす。まるで誘われているかのように。
「アム……ネリア…………」
PSI-Linkモジュールに触れると、直人は、清流が全身を満たしていく感覚に包まれ、身体に覚えた不快感は減衰してゆく。
「……ありがとう……」呟いて、直人は身体を起こした。
「だ、大丈夫か、お前?」ティムは、怪訝そうに窺っている。
「ああ……」直人は前を向く。その後ろ姿を静かに見つめるホログラムの亜夢。その顔に笑みはない。
「亜夢……」怪訝気にカミラが声をかけた時、亜夢の後ろ姿のホログラムは静かに消えていった。
「……そうか……アムネリア、出して」直人は独り言のように言った。すると中央モニターに浮かぶのマップに光点が浮かび上がる。
「これは?」カミラの問いかけに、直人は立ち上がって彼女の方を向き、口を開いた。
「アムネリアが掴んだ、この奔流の源。ここに患者さんの想いが集中していると。おそらく、オレたちが向かうべきポイントです」
「奔流の源……確かに、何かありそうだが……」「ええ、まだ距離がある……下手に動いたら、いたずらに組織を破壊しかねないわね……」アランとカミラは思案を巡らせる。
『時空間転移……』通信モニターの向こうから、藤川が言う。
『田中くん。<アマテラス>の情報を元に、患者の身体情報と合わせて再マッピングしてくれ。目標地点の正確な時空間情報を得られるはずだ』『あ、はい! ……出ました、座標送ります!』
田中の送信した座標情報が、<アマテラス>と、卓状モニターの肝臓のホログラムマップに共有される。貴美子は、ハッとなって目を見開いた。
「ここは……肝門部!」




