人体宇宙(インナースペース) 3
「どうぞ」少し手の空いたアイリーンは、早瀬に補助椅子を勧める。親切から……というよりは、自分達の作業を、高い視点からじっと監視されているような感覚が、嫌だったからかもしれない。
「ん、あ、ああ。ありがとう」意外にも、素直な礼を口にする早瀬に、アイリーンはきょとんとなる。
「なんだい?」「あ……いえ……大丈夫、うちのチームはベテランです。患者さん、助かりますよ」
「そうかい……」IMCの後方から、早瀬は睨みつけるような眼差しで、じっとミッションの様子を見つめる。
「……患者さん……デモ隊のリーダーの方だとか? ……私たちの活動に抗議してたんですよね。早瀬さんも、私たちに疑念を……」「当然だ!」
キッと睨みつけてくる早瀬に、アイリーンは絶句した。
「……PSIは、俺から全てを奪った……あんたらIN-PSIDは、あの水織川の事故を起こしたくせに、PSI利用の推進に反対もせず、災害対策という建前で最先端の技術開発を続けている。叩かれて当然だろ!」声を荒げる早瀬に、アイリーンは返す言葉を失い、たじろぐ。
「彼女に当たるのはよしたまえ、早瀬くん」藤川は静かに声をかけながら、席に戻るようアイリーンを促す。
「……君の目的は、この私だろう? 真世から話を聞いた。君は、私に相当の憎しみを抱いているようだな」「ちっ……ああ、そうさ! 憎んで何が悪い!」
振り向くIMCのスタッフ一同に、藤川は、大丈夫だ、というかのように視線を送り、皆を作業に戻す。
藤川は向き直って早瀬を見つめる。早瀬は視線を逸らし、俯き加減で口を開く。
「……確かに俺は、アンタの娘と、子供達を捨てたさ。あんたも俺を許せねぇだろうがな。俺は、そうせざるを得なかった! いつも実世の影には、あんたがいたからだ‼︎」
藤川は、錆びた刃物のような早瀬の言葉を黙って受け止めていた。
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「座標修正、1ー1ー0、正面に幽門を捉えた! 今よ! センパイ!」「座標修正! セット、多元量子マーカー一番から三番、発っ⁉︎」
直人はサニのナビゲートに従って、マーカーを射出しようとする。だが、その瞬間、<アマテラス>の前方は、大量の気泡に包まれ、船体も大きく揺れ動いて、照準が乱れた。
「ア、アムネリア!」『はい!』
アムネリアが、直人の呼びかけに応じ、シールドをコントロールして消泡しつつ、船の揺れを留める。すぐに応じたティムは、船体の位置を補正した。
「今よ、ナオ‼︎」照準が再ロックオンしたのを確認して、カミラが命じる。
「発射‼︎」<アマテラス>右翼付け根の射出ポッドから飛び出した三つの光点が、正面に見える幽門の周辺三ヶ所に着弾、結界を展開する。モニターに映し出された、発光処理された結界は、三つの光の円盤となって重なり合い、幽門を覆い始めていた。
「着弾ポイント、指定座標との誤差コンマ5以内、まずは成功ね!」サニの報告に、直人はホッとため息を落とす。
しかし、蠕動運動する胃の動きで、結界の重なりが縮まったり、離れたりしている。様子を窺うインナーノーツの心配を察したのか、アルベルトが説明する。
『大丈夫、結界はマーカー同士の距離から、直径を補正する。アルコール亜物質は、絶対通さねぇよ』
一同は胸を撫で下ろした。
「安心するのは早いわよ。あと十七発、近い座標から回る。ティム取舵二〇、ポイント7へ!」「とーりかーじ、ヨーソロー!」
<アマテラス>は、泡立つ赤黒いワインの海の底で、ゆっくりと転進を始める。
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「私が……実世の……」
憎悪に満ちた、早瀬の瞳を受け止めながら、藤川はたじろぐ事なく補助杖を握りしめ、しっかりとその瞳を見つめ返す。
「実世は……あんたの娘は……PSIの危険性を訴える俺たちに、共感してくれた……いや、そう思っていた……だが! フリだったんだよ……ぜんぶ……」
「フリ……?」
「そうさ。実世は、いつも……いつも、あんたを庇う! 俺の言うことは否定して、父親であるあんたを!」
藤川は眉を顰め、口を噤む。
「お父さんだって、PSIの危険性はわかっているわ……」実世の口ぶりを真似ているのであろう、早瀬は手振りも交えながら、彼の記憶に残る会話を再現してみせる。
「でも今の時代……PSIの流れを止めるのは無理よ……だからこそ、安全に正しく活用できる道をお父さんは探している。私はそう信じてる……貴方ももう少し現実を見て……っち!」
真世は、早瀬の言葉に気を取られる。それを貴美子は諌め、オペレーションに真世の集中を戻す。
「最初から無理だったのさ! 俺たちは、わかり合うことなど、到底できなかったんだと! あいつのバックには、いつも、いつも! あんたがいたからなぁ‼︎」
藤川は反論せず充の言い分を聞き入れていた。何も答えない藤川に早瀬はさらに苛立ち、椅子から立ち上がって、一層声を荒げた。
「反対派の声に耳もかさず、その挙句、あの大震災を引き起こしたんだから、洒落にもならねぇ! 俺たちが正しかった! それが最悪の形で証明された! なんとか言ったらどうなんだ⁉︎ えぇ⁉︎」
IMCのスタッフは、努めて冷静に、自分達の作業に集中する。
長身の早瀬は、藤川を見下ろして睨め付けていた。だが、藤川がたじろぐことはない。藤川は、ゆっくりと口を開く。
「……私は、過去の自らの過ちを否定しない。君のいうとおり、あの地震を招いてしまった責任は、私にある。だからこそ、今、私にできること……いや、なさねばならぬ事をただやるだけだ」
藤川の強い意志のこもる両眼が、下から見上げてくる。
「なさねば、ならない事……だと?」
藤川の瞬きもない眼差しが、心の深いところまで迫ってくる。早瀬は、後ずさりして膝を折り、すとんと椅子に腰を落としていた。
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「これでラスト! マーカー射出!」「発射‼︎」
次元量子マーカー、残り三つが、セット座標に向かって飛び、着弾して結界を展開する。
「アラン、マーカー通信情報をIMCへ! 貴美子先生と、技術部長に確認してもらうわ」「了解した」
<アマテラス>の作業開始から十五分ほど。IMCは皆、インナーノーツの作業と支援に集中し、早瀬もしばらく口を噤んでいた。
アランから送られたデータを元に、卓状モニターに投影された胃のフォログラムに、結界膜の展開状況をグラフィック化して重ねる。胃の内壁表面が一面、結界で覆われていることが、一目でわかる。
「完璧ね。こっちはOKよ、アル、マーカーに異常はない?」『ああ、こちらの想定どおりの動きだ』貴美子とアルベルトが、オペレーション第一フェーズの完了を承認する。
「患者さんの血中アルコール濃度も低下してきている。よかった……」「ひとまずは、ね」ホッとする真世に貴美子は、安堵を見せない。そう、本番はここからなのだ。
「皆、よくやってくれたわ。けれど、これは一時凌ぎよ。次元結界とはいえ、患者さんの身体次元情報にとっては、異物。このままにはできない。<アマテラス>の稼働時間にあわせて、結界展開時間は約六時間。六時間過ぎればマーカーごと消失する。その間に、根本原因を突き止めて、対処してもらいます。真世、このデータを送って」「はい!」
真世は、貴美子が自身の端末から、コンソール端末に送信したデータファイルをそのまま<アマテラス>に転送する。アランの操作で、受信したそのファイルは、<アマテラス>のメインモニターに展開された。
「これは……肝臓?」投影された黒々とした影のようなものの形状から、カミラは察した。
『ええ。次元解析カメラで撮影した透視画像よ。古屋さんは、慢性肝炎を患っていたようなの。自覚症状はなかったろうけど……』貴美子はチラリと藤川を見る。藤川が腹のあたりに手をやり、渋い顔をしているのが、モニター越しの貴美子の後ろに見える。
『PSIシンドロームは、無意識の衝動、情動なんかが、この物質次元の身体に、形となって現れて引き起こされる。特に身体の弱っている部位には、影響が出やすい傾向があるの。『病は気から』って、昔からよく言われてるけど、間違いじゃなかったってわけね。今回は、女神のサブリミナルパルスが無意識深くの、古屋さんの抱えたなんらかの想いを刺激して、PSIシンドロームを促進したと考えられるわ』貴美子の説明に皆頷く。
「なるほど。それで肝臓に反応が」とカミラ。次元カメラで捉えた肝臓の映像は、臓器を締め付け、または喰らう数多の蛇体のような影が蠢いていた。
『そういうこと。あなた方は、すぐに肝臓の余剰次元に向かってちょうだい! きっとそこに、彼の症状を引き起こしている想いが潜んでいるはずよ!』
「了解しました! 本船は直ちに、肝臓余剰次元に向かいます! 管制、時空間転移で飛ぶ! 目標領域の確認を!」カミラの要請に、田中が答える。『問題領域は、LV4。LV3よりアクセスしてください。時空間転移座標抽出、及び自動スケール算出。送信します!』
アランの操作するコンソールパネルに、時空間転移座標が浮かび上がる。
「直ちに時空間転移に入る! 転移先は、肝臓よ!」カミラは凛として声を張る。
「PSIバリア、座標入力完了!」「転移開始!」
ワインの海の底へ溶け込むように、<アマテラス>は胃の余剰次元空間を後にした。




