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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第四章 ノヴス・ドミヌス

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父親の影 4

 エレベーターの扉が開くと、目の前に紺碧の光が差し込む。ブロンドの白人の少年は、感嘆の声を上げ、両親の手をとって駆け出した。


 漆黒の闇に燦然と浮かび上がる蒼き惑星、地球。


 エレベーターに同乗していた老若男女達も、この美しき母なる惑星の夜明けに、ため息を漏らさずにはいられない。


 軌道エレベーターのクライマー(昇降輸送機)は、ほぼ一日がかりで軌道ステーション、『オービタルエデン』へと到着する。


 オービタルエデンは、静止衛星軌道上に浮かぶ、小惑星を改造した、直径約二〇キロの半人工天体である。軌道エレベーターの中央ケーブルシャフトを中心にゆっくりと回転し、遠心力を利用した『人工重力』を作り出しており(水資源に依存度が高い、PSIテクノロジーによる、天体クラスの空間重力制御はまだ課題が多かった)、天体最下部に設けられたエレベーター発着場でクライマーから降りた乗客らは、送迎ゴンドラからステーション内移動エレベーターを乗り継ぐことで、自ずと遠心力の働く床(・)(ステーション側壁内面)へと足を下ろし、エントランスホールとなる、ステーション最下層の展望台で、ちょうど、地球の全てを正面に見据える形になる。神か天使かにでもなったかのような演出に、自らが『選ばれし者』であるという自尊心をくすぐられないものはいない。


 オービタルエデンが開所して、もうじき二週間。連日、科学者、技術者、資産家など世界の名手らが先んじて、軌道エレベーターで宇宙に上がって来ている。中には観光の抽選が当たった富裕層もおり、稼働開始から概算でオービタルエデンには総勢三万人近い人々が訪れ、入れ替わりで約一万人程度は滞在しているらしい。その割には、目玉の展望台は、意外と人が少なく、新たに訪れた訪問者らは、美しい地球を十分堪能できた。


 科学者や技術者、スタッフは、長期滞在者として居住施設を提供されるそうだから、皆、そちらにいるのだろうと、少年の父は言う。


「え、ジィジも⁉︎」「ああ、そうさ。ジィジはあの『ネクサス・アルカディア』の技術統括部長だからな。ジィジの招待がなかったら、ここには来れなかったんだぞ」「うん! わかってるよ!」


「私まで招待してもらって……よかったのかしら?」少年の母が言う。


「何を言ってるんだ、当たり前じゃないか! せっかく親父が招待してくれたんだ。最高の思い出にしよう」「ええ……ありがとう、あなた」


「ねぇ、ジィジはぁ?」少年は、父親の腕を引っ張って訊ねる。


「到着したら連絡くれるって言ってたから、そろそろ……」そう言う父のタイミングを見計らっていたかのように、父の通信端末に連絡が入る。


 ほらな、っと言いながら父親が左手を広げると、祖父の肩から上のホログラム映像が浮かび上がる。


「ジィジ!」『よく来たな。展望台から見える地球は、堪能できたかな?』うん、と大きく頷く少年。


「親父、最高だよ! 招待してくれて……本当にありがとう」


『うむ……君たちの滞在する部屋を準備している。迎えのアンドロイドをそちらに向かわせた。案内に従って、向かってくれ。後で会おう』


 父親のホログラムが消えるのと、ほぼ同じタイミングで、案内のアンドロイドが姿を現す。


「早く行こう!」少年は再び、父と母の手を引く。希望を胸にアンドロイドの案内へと三人は続いた。監視カメラが、その三人の後ろ姿を追う——


『良いのだな……シュバリエ博士……』


 背後から声をかけられ、博士と呼ばれた男が振り向く。老齢な顔立ちの割に、肉体は若々しく、二十代さながらの頑強な身体。奇妙な身体つきだ。


 男が見つめる空間が揺らめき、人の形を浮かび上がらせる。


『ロザリア様……このような場所に……お見せするようなものでは……』


『構わぬ……其方の家族の祝福……このロザリア、しかと見届けようぞ』『はは……ありがたき、幸せ……』


 そこはオービタルエデンの余剰次元に作られたヴァーチャル情報空間。現象界側のオービタルエデン・コントロールセンターと、ほぼ同じ作りをしている。


 オートメーション化されたオービタルエデンのコントロールセンターは、緊急時以外は無人で、専属アンドロイドが常駐している。ここは、その『裏』制御センターのようなものだ。


 モニターには、少年の家族が乗った、ステーション内、有軌道連絡車両が映し出されていた。数分ほどで車両は停止し、少年家族が降車して、案内アンドロイドに続いて大型の隔壁の前まで来る。


 シュバリエは、彼らに向かって語りかける。


『そこから先は、居住区だ』どこからともなくする声に、家族は少し驚き、あたりを見渡した。


『まずは除染室に入ってもらう。地上から持ち込んだ病原菌やら微生物を検疫、滅菌する必要がある……』


「えー、さっきもやったのにぃ〜」少年は不満そうに漏らした。「ママも嫌だけど……仕方ないわ……」とほとんどすっぴんの顔に諦めの微笑を浮かべ、ステーション到着後の集団除染室を思い出す。蒸した除染ミストとエアーダスターの吹き付け。入室前には、セットした髪もヘアネットにまとめさせられ、せっかくのメイクも落とす羽目に……メイク落としが不十分だったどこかのご婦人は、悲惨な目に遭っていた。


『これも、居住区の衛生環境を守るためなのだよ。理解してほしい。隔壁の中に準備室があるから、そこで荷物を預けて、クリーンウェアに着替えたら、指示に従って進んでくれ。その先はもう居住区だ。素晴らしいところだ。楽しみにして入ってきてくれ』



 モニターの向こうで、少年と妻を促し隔壁の奥へと消えてゆく息子の背中を見送るシュバリエ博士。その表情から、感情のようなものは読み取れない。女司祭、ロザリアは微笑を浮かべる。


『其方の息子の……この世での最期の姿……か。何も感じぬのか?』


『……ご存知の通り……私は、あの二十年前の世界同時多発地震で、妻と、この手足の自由を失いました。思い通りにならぬ肉体など……牢獄と変わりません。そんな私に、このヴァーチャル空間は、自由を与えてくれた。私のアバターは、思考するだけで、世界のあらゆる場所に現れ、様々な人に会い、そしてこの、オービタルエデンへと私を導いた。そしてついに……私はここで、ヴァーチャル空間と完全に一つとなり、肉体という私の残滓は、ワールド様に捧げられた……これほど幸せなことがありましょうか?』


 博士の操作で、隔壁の重い扉が閉まってゆく。 


『……プロジェクト・ノア……この偉大なる神の計画でも、ガイアの変動が本格化すれば、全ての人類の救済など、とても不可能。だが、ワールド様の慈愛が、人に新たなる生への道をお示し下された……その開発をこの私に、お任せ下された……そして……我が最愛の家族にも、救済の手を差し伸べてくださった……私には感謝しかありません』


 博士は口を閉ざし、傍に立つロザリアも沈黙を守る。しばらくして、全身タイツのようなクリーンウェアに着替えた三人が、除染室に入ってくる様子がモニターに映し出される。体のラインがハッキリと出てしまうウェアに、恥ずかしげに体を隠して尻込みする妻に、夫は美しいよ、などと囁いて彼女の肩を抱く。揃って三人は、室の中央まで進み出る。


『……では、処置を始める。少し刺激があるから、三人とも目を閉じて……』博士の声に三人は、そっと目を瞑る。


『……ようこそ、我らが『エデン』へ』博士は、コンソールを操作して、処置を開始した。


 照明が落ち、暗転した部屋に無数のスキャン走査線のレーザー光が走り、三人の肉体を舐め始める。


『お……お父さん! ……な……なんか、熱い』『だ、大丈夫だ……ちょっとの我慢だ』『いた、痛い! 何⁉︎』『痛いよ、お父さん‼︎ お父さん‼︎』『うっ、こ、これは⁉︎ お、親父! なんか、変だ‼︎ と、止めてくれ‼︎』『だ、出して‼︎』『お父さん! おかぁがふっ‼︎』『ミ、ミシェ、エギぇ‼︎』『お、おゃあがっぶっぐぶ……』


 三人の叫びが、処置の轟音の中に飲み込まれてゆく。


『ソウルデータ、管理番号B01-0021……0022……0023……感応リンク正常……サンプリング……開始しました……デジタルソウル化率、五パーセント、アバターモデル……人体ベース構築開始……』無機質な合成音声が処理の進捗を淡々とアナウンスしている。


『デジタルソウル……非合理な無意識を切り捨て、表層意識と記憶をヴァーチャル空間、ネクサス・アルカディアへと魂情報を転記する……神聖なる儀式とはいえ……肉体というものはかくも、生々しく壊れてゆくものか……』ロザリアは呟く。


『肉体という牢獄から解き放たれるのです。痛みもまた、祝福なれば……』


『……そうであるな……。人は肉体を捨て、純粋な魂のデータとなる……が、それは、果たして、その当人と言えるのか……あるいは、別の何者なのか……』


 ロザリアは試すような笑みを浮かべ、シュバリエを横目で見る。


『我……思う。故に、我あり。……有名なデカルトの言葉です。私は今、ここで、思い、考える。……この私こそ、私なのです』シュバリエは何一つ表情を変えることなく言い切った。ロザリアは満足げに小さく頷いた。


『……見事だ、シュバリエ。ここにきて、流石のそなたも戸惑いを見せるかと、思いもしたが……杞憂であったな。其方の家族の魂、我らが『ネクサス・アルカディア』の民となることを認めよう。其方の忠義を讃え、彼らは相応の待遇で迎え入れようぞ』


『もったいなきお言葉……』博士はロザリアの方を向き、片手を胸に、腰から頭を下げて謝意を示す。


『……これよりも、世界の有能な人材が、オービタルエデンに上がってくる。デジタルソウル化のリストに従って、抜かりなく作業を続けよ。ワールド様の目覚めの時は近い。先んじてデジタルソウル化した万の民をもって、ワールド様をお迎えするのだ!』『ははっ……』


『其方の働きに期待する』最後にそう告げて、女司祭ロザリアは、その場から姿を消した。


 振り返れば、暗闇の除染室の中で、三人が折り重なり、生焼けた肉塊から体液と血液が滲み出しているのを、赤外線モニターが描いている。


『……共に生きようぞ。この楽園で……永遠に……』表情ひとつ変えることなく呟く、シュバリエ博士の顔貌が、時間を遡るように若返ってゆく。

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