父親の影 3
『IN-PSIDの悪事を許すなぁ‼︎ 水織川を忘れるなぁ‼︎』『大災厄をとめろー! 黄金の女神を信じよう‼︎』『事故当事者を明らかにしろーー‼︎』
夕日が日本海の水平線に差し掛かっても、デモはこの日、最大の盛り上がりを見せていた。『激戦地』の南側検問だけでなく、北側、東側の検問に押し寄せる人数も膨れ上がっている。
「くくっ、効果てき面だったな、あの投稿は」三輪は、ほくそ笑みながら、東側検問近くの森に身を隠してシャッターを切る。
デモの増加を受けてか、警戒、パトロールが厳重になってきている。三輪は、あらかじめリサーチしていた、身を隠しながらデモ隊を撮影できるいくつかのポイントを転々と移動しながら、撮影を続けていた。
二日目になって、三輪が声がけした団体以外の集団も、デモに加わり始めているようだ。SNSやニュースを見て、感化されたらしい若者の声や、『黄金の女神』に傾倒してIN-PSIDの非難より、布教を声高に叫んでいる声も聞こえる。
不意に、三輪はポケットの中で、通信端末が震えるのを感じ、撮影の手を止めて、取り出して確認する。メールの着信……真世からだ。目尻を下げ、三輪はメールを開く。
『SNSのニュース、見ました。いい加減な記事で、煽るのはやめてください。もし、これ以上、取材を続けるなら、貴方のこと、警察に伝えます。すぐに帰ってください。
藤川真世』
三輪はしばらく、ディスプレイの文面を呆然と眺めていた。目尻の緩みが戻り、眉間に皺がよる。三輪の指が端末の側面ボタンを押し込むと、端末の脳波感知機能が、返信の文面を起こし始めた。
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頭の中にメールの着信を知らせるコールが響き、真世はハッとなって顔を上げる。
「ん……どぅ……したのぉ?」亜夢は、口に入れたハンバーグをもぐもぐとさせながら、対面の真世に問いかけた。
「えっ……あ、なんでもないよ。さ、先に部屋に戻るから」そう言って真世は席を立ち、食事が終わった食器をそそくさと片付けると、療養棟の食堂を後にする。亜夢は、真世の去った食堂の出入り口の方をぽわんと見つめて、口の中のものを飲み込んだ。
真世は、部屋に戻ると、左手のホログラム端末を広げ、着信したメールを確認する。
『風間直人。この名前を公表されたくなかったら、余計なことはしないことだ。
明日のうちに、所長に会えるよう、手配を頼む。いい返事を期待しているよ。
三輪光彦』
真世は飲み込んだ息を詰まらせそうになって、膝を折り、その場にへたり込む。
動転しそうになる自分の気持ちに反して、胸の奥で何かが自分を嘲笑っている気配を感じながら、真世は開いていた端末で、そのまま、電話をかけ始めた。
「……も、もしもし……おばあちゃん…………は、話が……あるの…………」
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「いやぁ、古屋くん! 今日は盛り上がったなぁ‼︎」「古屋さんの演説も、どんどん良くなって‼︎ 私、聞き惚れちゃったわぁ」
増田と友恵が、ホクホクの笑みを古屋に向けながら声をかけてくる。
「そ、そうかぁい? いやぁ〜、僕はぁ……き、緊張しっぱなしぃ〜だよ」今日の活動を終え、梅沢や笹原らと撤収作業に動きながら、古屋は言う。古屋は、デモの熱気にでも当てられたのか、幾分顔が赤い。
「そうなの? 凄く堂々としてて!」「はは、買い被りぃ〜買い被りぃ〜〜さぁ〜」友恵に答えて、拡声器を片付けようとする古屋は、不意に足をもつれさせ、よろける。
「お、おい、どうしたんだ? 古屋くん!」咄嗟に支えた増田は、古屋からほんのりアルコールのような匂いを感じて眉を顰めた。
「まさか、古屋くん、もう飲んでるのかぁ‼︎ 気が早いな、はは‼︎」「えっ……飲んでる? ……いやぁ……まさかぁ……」
増田は、古屋の方をたたきながら、豪快に笑う。友恵も、あらやだ、などと言いがら、くすくすと笑った。
「いや、いいんだ、いいんだ! 緊張するもんなぁ! 酒でも飲んだ方が勢いが出るってもんさ! よぅし、今夜もジャンジャン飲もう‼︎ 笹原、梅沢ー! 買い出し頼むぞ‼︎」「はぁい‼︎」
言われてみれば、なんとなくアルコールが回っているような、変な感覚を覚えながら、古屋は増田に付き添われたまま、宿泊地となったキャンプ場へと戻っていく。
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薄暗がりの多目的室にも、夕陽が差し込んでくる。直人は、練習を止め、バイオリンを膝に立てて窓の方をぼんやりと眺める。
……水織川を忘れるな! ……
胸の中で、リフレインされる、あのデモ隊の叫び。
「水織川……か……」夕日の残照に、朱に染まる窓に、どこか懐かしい部屋の景色が浮かび上がる。
不器用に、とても上手いとはいえないが、バイオリンを楽しそうに奏でる父。その父を微笑ましく見つめながら、寄り添うようにピアノの伴奏をつける母。覚えている記憶ではない。物心ついてから何度もホームビデオで見た、直人が二歳の頃の光景……その中で、父は決まって同じところで音を外し、母が笑い、やがて演奏を終えると、幼子の笑い声が聞こえる。
どうだった、直人! パパとママの演奏、最高だろう! と嬉しそうに父は駆け寄り、幼い自分を抱き上げる。あら、いいわね、パパの抱っこ、と言いう母の声が聞こえ、父に抱かれた直人の無邪気な笑みで、ビデオは止まる……
「……いい時も……あったんだ……オレにも……」直人は俯いて呟き、再びバイオリンを肩に乗せる。
G線にしっかりと乗せた弓を、ゆっくりと弾く。父の形見となった楽器が、ホームビデオの中で、その彼が弾いていた曲を歌い始める。
アイルランドの民謡に着想を得て、百五十年近く前に作曲されたこの曲は、この時代、バイオリンの小品曲としても有名になり、教材にも多く用いられている。父はこの曲を好んでよく弾いていたと、直人は母から聞かされていた。
温かみの中に、アイルランドが歴史の中で培ってきた深い哀愁を抱えた旋律が、この日最後の、陽の光と混ざり合っていく。
わずか四歳になるまでの、短い間の記憶。物心つく前の、深層心理深く沈んだ、その大半の記憶は、ほとんど思い出せるようなものではない。だが、この旋律は、父と母に包まれた、懐かしく、絶対的な安堵と幸せを直人の胸の中に、ぼんやりと蘇らせる。
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食事を終え、部屋に戻りかけた亜夢は、療養棟中央に設けられた、地下階(傾斜地を利用した階層であり、便宜的に地下と呼んでいる)まで覗く吹き抜けを見下ろす。耳を澄ますと、微かにバイオリンの音色が聴こえる。
亜夢はニッコリと笑顔を浮かべ、近くの階段を駆け降りた。
「なおと!」先程の多目的室まで降りて来た亜夢は、そのドアに手をかけようとする——伸ばした手の指先が、届かない。
バイオリンが高らかに奏でる悲哀な旋律に、身体の内側で打ち震えるもう一人の自分が、その手を止めている。
……我の想いが……あなたから……すべてを……
胸の裡から、染み出すように聞こえてくる声。居た堪れず、亜夢は伸ばした手を下ろし、扉に背を預ける。
……共に罪を……
直人の紡ぎ出す調べは、曲の後半、コーラス部へと移り変わってゆく。亜夢はハッとなる。その旋律を知っている——そんな気がした。
物悲しくも力強く、前に進もうとする旋律が、亜夢の胸のうちを揺さぶる。
……我は……背負おう……あなたと共に……
旋律は転調して、さらに亜夢の胸を締め付ける。亜夢は、込み上げてくる情動に、静かに嗚咽し、涙が溢れてくるのをそのままに、俯いて首を振る。
「違う……そうじゃない…………」
……亜夢……
「……なおとは言ってくれた……一緒に生きようって……」
クライマックスを終えた曲は、次第に緩やかに、明けぬ夜明けに思いを馳せるかのようなコーダを紡ぎ始める。
「一緒に……生きよう……なおと。そばにいるよ、『あたし』は……」
最後の音が消えゆくのを聴きながら、亜夢は涙を払い、静かにその場を離れていった。




