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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第四章 ノヴス・ドミヌス

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父親の影 2

 西に傾きかけた日の光が、柔らかく差し込む多目的ホールに、音が眩く白い粒となって舞い、緩やかな調べに、ようやく一つの祈りの形が見えてきた頃、カミラの弓が、長いダウンを弾き切って静かに止まる。それに合わせて、直人、サニ、藤川も弓を静かに止めた。


 一時の緊張に、確かな手ごたえを感じて、皆、弓を下ろす。まばらな拍手が次第に一つとなってゆく。チェロを担当する藤川は、満足気にカルテットの仲間三人を見渡した。


 黄金の女神騒動、IN-PSIDへの逆風、そしてデモ……気が休まることのない日常。いくらかの気分転換にでもなれば、と藤川は、カミラ、サニ、真世、そして直人を誘って、翌月に控えた『IN-PSIDカルチャーフェスタ』に向けた弦楽アンサンブルの練習を、急遽入れたのだった。


 直人が臨時に療養棟への入居が決まったこともあり、練習には棟の多目的ホールを借り、また棟の入居者や、避難で滞在している家族への慰問も兼ねて、公開練習とした。音を聞きつけた入居者や、それとなく誘ったスタッフらがポツポツと集まり、練習とはいえ、四人の奏でるベートーヴェン弦楽四重奏十五番第三楽章の、癒しに満ちた旋律に聴き入っていた。


「うわぁ、皆、すごぉ〜い!」療養棟の子ども達と、音に釣られてふらりと入り込んだ亜夢は、殊更大きな拍手と共に感嘆のため息を漏らす。


「ふぅ……なんとか……通ったな」と藤川。


「もぅ……怪しいところだらけだったけど。ねー、センパイ」サニは、ビオラを下ろして膝に立て、じと目気味に、隣で第二バイオリンを務める直人を見遣る。


「はいはい。もぅ……最後はいい感じで終わったんだから……少し余韻に浸らせてくれたって……」直人は口を尖らす。「また、特訓だね」ニタっと笑うサニ。「はい、はい……」


 サニと軽口を言い合う直人に、部屋の隅で聴いていた真世は、思ったより元気そうだと胸を撫で下ろしていた。


 直人はため息をつきながら、多目的ホールの一端に、椅子を並べただけの客席の方をチラ見する。聴きに来ているのは、主に療養棟の入居者やその家族、スタッフら二十名ほどだ。母、聖美と沙耶の姿はない。まだまだ練習不十分な自分の演奏を聴かせるものなら、母はともかく、あの妹には、なにを噛みつかれるものか……それに比べれば、サニの嫌味など、可愛いもの。公開練習と聞いて、二人には内緒にしてほしいと、藤川に懇願したものだ。幸い二人はこの日、避難家族ら向けの周辺観光と懇親会に参加予定だったとか……


「でも……二人とも、ずいぶん良くなったわよ。こっちも弾きやすかったわ」とファーストバイオリンのカミラ。


「あ、ありがとうございます! 隊長も、ずいぶん音、変わりましたね!」


 サニの言葉に、聴きに来ていたアランが頷いている。


「私もほら、一週間ほど、療養だったから。その間に練習したの」と微笑むカミラは、ずいぶんと優し気だ。前のミッションを通して、カミラの雰囲気はガラリと変わってしまった。それが彼女のバイオリンの音色にまで表れている。その事を、カルテットの仲間達は、音を重ねて実感していた。


「細かいところは、各自、練習しておいてくれ。来月のフェスには間に合いそうだな」藤川はにこやかに言う。


「フェスかぁ……こんな状況で、できるのかしら……」サニは、ビオラの弓をブラブラとさせながら呟く。


「できる。いや、それまで、この状況を解決して、必ず開催する!」藤川は、力強く明言した。


「そうですね。意識は現象を作る……そのことはインナーノーツ(私たち)が一番、身に染みているはずよ。信じて、今できることに全力を尽くすのみ、ね」カミラの言葉に、直人とサニ、そして客先のアランは、胸の底が温まるのを感じながら頷く。


「では、そろそろ次の曲にいこうか。真世」藤川の呼びかけに、真世は気付かず、少しばかり、日が西へと傾きかけた窓の外をぼんやりと眺めている。


「真世、シューマン、やるよ」「あっ、は、はい!」真世は、あたふたと、部屋に備え付けのアップライトピアノへと駆け寄った。



 ****


「あっ、ティムだ!」玄関のドアの音に、航星は勢いよくリビングから駆け出す。


「おかえり! ティム!」「お、おう! 航星。ただいま」ティムが靴を脱ぎ終わるのも待たず、航星は、ティムの腕を引き、早く早くと急かす。


 ダイニングキッチンに近づくと、何やら香ばしい匂いが立ち込めてくる。


「あ、おかえりなさい、ティム」気づいて穂波が声をかける。穂波はキッチンに向かい、何やら揚げ物の真っ最中だ。


 テーブルにはすでに、唐揚げやら、サラダ、ちょっとしたオードブルなどが並べられている。


「す、すげぇ……豪華ディナー……穂波が全部?」


「ごめんなさい、借りてる部屋で勝手に。今日、帰ってくるっていうから」そう言いながら、揚がったエビフライをトレイに移す。


 IN-PSIDの炎上騒ぎが元で、実家に居づらくなって飛び出してきた穂波、航星親子に、ティムはマンションの自分の部屋を貸し、自分はIN-PSIDの宿直室で寝泊まりしていたが、この日は様子を見に、日課のジムの後、帰宅することにした。遠慮していたとはいえ、穂波に会いたくなった、というのが本音ではあるが……


「へへ、母ちゃん、料理得意なんだ! ティムに食べて欲しい……」「こぅちゃん‼︎」穂波は、少し顔を紅潮させて小さく頬をふくらませる。


「揚げ物ばっかりね……つい、こぅの好きなものを作っちゃって……お口に合うといいのだけど……」「いや、お口もなにも、エビフライ、大好物だぜ! なー、航星!」「うん! ティム、さっきお風呂も、母ちゃんと掃除したんだ! ねー、一緒、入ろうよ‼︎」


「こら、ティムは疲れてるのよ。ゆっくり入ってもらって、こぅちゃんは、ママと……」「いいぜ! ってか、いいかい、穂波?」


「え、いいの?」「もちろん! じゃ、もう、入っちまうか!」「やったぁ!」航星は、ティムをまた引っ張って駆け出す。


 穂波は二人の去った廊下の方を見つめて、微笑んでいた。すると、ひょこっと戻ってきたティムと目が合い、思わず赤面しそうになって、ティムに背を向け食卓を整えるフリをする。


「ちゃんと礼を言ってなかったな、ありがとう、穂波」「な……なに言ってるのよ! 部屋借りてるのは、こっちだし……お礼言うのは私の方……」


 言いかけた穂波を、ティムは背中から優しく包み込む。


「……穂波と、航星がここに居てくれて……帰りを待っていてくれるのが、こんなに嬉しいなんてな…………」「ティム……」


「家の方は、大丈夫なのか?」「うん……母がうまく言ってくれてるみたい……落ち着くまで、ここにいていいって……もう少し、やっかいになってもいい?」


「当たり前だろ」「うん……ありがとう」


 そのまま二人は沈黙する。穂波は、心なしかティムの抱擁に力が籠った気がした。


「……大丈夫? ……貴方……」「……ん、ああ。オレはいいさ……けど……オレのダチが……」ティムの奥歯を喰いしばる感覚が伝わってくる。


「ニュース……見たわ……」「穂波! あれは!」


「……私は……貴方のことを信じる……だから……貴方が大切な人のことも……だから……負けないで……」「ああ……」


 二人はそのまま口を閉ざす。しばらくして航星のティムを呼ぶ声が部屋に響き渡り、ティムは風呂場へと急いだ。



 ****


 秋の夕日が、日本海を紅色に染め始める時刻になっても、療養棟でのアンサンブルの練習は続いていた。シューマンのピアノ五重奏変ホ長調、第一楽章の響きは、この時刻の空と海の色合いを映し取ったような煌々とした光なかに、仄暗い闇を抱えている。


 一通り、確認しながらの練習の後、この日の仕上げとして、通しの合奏となり、展開部へと差し掛かる。シューマンが、愛妻クララのために書いたとされる、転調に次ぐ転調の技巧的な旋律が、暮れゆく海の波のように揺れ動く。幼い頃からピアノを習い、地域のコンテストなどでも入賞経験のある真世は、これまでの練習で、その旋律を誤ることなく、弾きこなしていたのだが——


 真世にしては珍しく、リズムが安定せず、弦の四人のアンサンブルも乱れる。そして……


「あっ……」指がもつれ、ピアノの音が止まる。半分ほどに減った、聴衆達は心配気に真世を見つめる。弦の四人も弾くのをやめ、音楽は途絶えた。


「ご、ごめんなさい……も、もう一度……お願いします」いつになく、動揺を隠せない真世。皆は頷いて、藤川の提案で展開部の最初から、ハーモニーを確認しながら再開しようとなる。カミラの合図(アインザッツ)で藤川の指定したところから演奏が再開される。


 真世は、集中するよう自分に語りかけながら、なんとか難所をのりきる。皆はそのまま最後まで息のあったアンサンブルを通し終えた。聴衆らは、橙色に色づいた多目的ホールに、拍手と、満足げな感想を残して退室してゆく。


 練習の後片付けをしながら、藤川は、こんな時だからこそ時間もとれそうだと、ポジティブに捉え、練習もオリをみてやっていこう、と提案した。四人はそれに同意し、片づけが終わると順次皆、部屋を後にする。


 直人は、多目的ホールをもう少し借りていてもよいと聞き、一人残って練習していくことにした。最後まで残って、直人を気にしていた亜夢も、真世に夕飯に行こうと促され、後ろ髪を引かれるようにしながら退出していく。


 直人は楽譜をめくり、先程の練習でつまづいたところを出すと、さっそく音を出し始めた。

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