正義の仮面 3
「はーい、いいですよ。ご協力、ありがとうございまぁ〜す」
検問を通過するを見送ると、マヨネーズ顔の刑事、新見は、日差しに色白の肌をてからせながら、作った笑顔をため息に共に溶かす。
「ふぅう〜〜。おぉい葛城ぃ! いつまでこんなこと続けるんだぁ⁉︎」
葛城は隣のレーンで、サイバーセキュリティ課のチームと、ヴァーチャルネット機器の簡易点検を含む、持ち物検査にあたっている。
「いつまでって……この騒動が落ち着くまでっすよ。……はい、お返しします」車の窓越しに、持ち物を返却しながら葛城は答えた。
「この先、ヴァーチャルネットの接続が一部できなくなります。ご了承ください」葛城は、すでに決まり文句になった説明を付け加えた。
「えー! 今日ライブの配信あるんだけど! 見れないの⁉︎」後部座席から不満気な若い女の声が聞こえる。
「我慢しなさい! 朝から晩までネット漬けなんだから。いい機会よ」「うっさい、ばばぁ! だからこんなところ来たくなかったのに!」「ばばぁ! じゃないでしょ!」「ほら、二人とも、やめんか!」「お父さんは黙ってて!」運転席に座る男性は、バツの悪そうな苦笑いを浮かべ、葛城に小さく会釈すると、車を走らせる。
「やれやれ……こっちも不満なら、来るのも不満……ってか」「なんか言ったかぁ? 葛城」「いやいや! こうやって万事、滞りない警備も、一課の皆さんのご協力あってこそ!」戯けた敬礼をして見せる葛城に、新見は、舌を打つ。
「で……いつになったら、『国際ハッカー集団』ってやつの情報聞けるってんだぁ? 検問、検問……って、いい加減、帰るぞ!」「まぁ、まぁ〜〜、そう、焦りなさんなっ……て、ん?」
葛城は、何かに気づいて、検問に至る幹線道路の先を見遣る。新見も、その視線を追って振り向いた。
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「……じ、地味に難しいわね、この問題。え、ええと……」
実世にもらった合成紙のメモ帳に鉛筆を立て、ああでもない、こうでもないと、亜夢の宿題の式を組み立てている沙耶。それを、何故か得意気に見下ろしている亜夢。
「ふふふ、わからないのか? いもうと」
「ちょ、ちょっとお! 貴女の宿題でしょ⁉︎ 少しは自分でも考えなさいよ!」「ふふふ……これは、四角形の問題なのだ!」「はぁ? どう見たって、円の組み合わせ……あ、そっか!」
沙耶は、何が閃いて、鉛筆を走らせる。
「できた! こうよ! ほら、見て亜夢! いい、ここにこうやって補助線引いて……」「ふふ、やっぱり、四角形だ」「な、なな! 何よ? 貴女、わかってて、私にやらせたの⁉︎」「亜夢は、円の計算ができないのだ!」「はぁああ⁉︎ 覚えればいいだけじゃん! 3.14‼︎」
「なんだかんだ言いながら……沙耶ったら、結構、楽しそうね」亜夢と沙耶、二人が肩を並べてテーブルに向かう後ろ姿に、聖美は微笑む。
「……ああやって、よく勉強、診てくれたわよね、聖美さん。お姉ちゃんができたみたいで……嬉しかったわ……」
「私もよ。何年前かしら?」「三〇年くらい前」
「そんなに……経つのね……」聖美の顔に苦笑いが浮かぶ。
「ふふ……初めて聖美さんに会ったの……確か、聖美さんが大学出たてで……水織川の総合病院に来て、まだ間もない頃だったわよね。お父さん、ピアノの名手だって、喜んでウチに呼んだりして……」
「ふふ、貴美子先生に誘われたのよ、就職して、いきなり。ですよね?」と聖美は貴美子に微笑みかける。
「ええ、そうよ。音楽療法のセッションのあと、こっそり弾いてた、貴女の『月光』。この人だって思ったのよ」そう言いながら貴美子は当時を振り返っていた。
藤川はその頃、水織川研究所の運営も軌道に乗り、趣味のチェロを人前で弾く機会も増えつつあった。当初はピアノをそこそこ演奏できる貴美子が伴奏を務めていたが、貴美子も病院の重役に昇進して、演奏のパートナーを続けるのが難しかった。そこで、ピアノの講師の傍ら、音楽療法士として病院に出入りし始めたばかりの聖美に声をかけたという。
「聖美さん、勉強教えるのも上手だったから……志望校、無事、合格できたのは、聖美さんのおかげ……ありがとうございます」実世は、少々わざとらしく頭を下げる。
「いえいえ。実世がもともと、頭良かっただけよ」
実世と聖美が、思い出に浸り始めたのを見て、貴美子は仕事に戻ると、部屋を後にする。宿題に向かう亜夢と沙耶には、時折、笑いも生まれ、二人は打ち解けつつあるようだった。
「大学は、東京? だったわね」「ええ。今、次女が同じ大学に通ってるわ」
「そうなの? ……そういえば、貴女……作家になるって、言ってたっけね」
「ふふ……幼い夢よ。大学で、上には上がいることがわかって……結局、水織川に帰って、お父さんのコネで研究所においてもらった……情け無い話よね」実世は力なく微笑んだ。
「実世……そんなふうに言わないで。ね、今も何か書いてるの?」「ううんん……こんな生活でしょ。アイディアは、それこそ浮かんでくるから、メモは残してるけど……まとまらないの」
実世は、窓の方を向き、晴れた空を遠く眺める。
「……書ける人が羨ましかった……だからかな、あの人と一緒になったのは……」
「……あの時は、私も驚いたわ。突然だったもの」
「ふふ……失恋も……あったから……」窓の外を向いたまま、寂しそうに呟いた。聖美はハッとなる。二人の間のしばしの沈黙が、実世と聖美の記憶を呼び覚ます——
実世が東京から戻り間も無く、父、藤川は聖美を家に招いた。実世は、聖美との再会を心待ちにしていたが、そこに一緒に現れた、父を慕う五つ年上の好青年に、実世は一目で心を奪われた。風間直哉。後に聖美と結ばれ、直人、沙耶の父親となる男だ。彼はNUSAの名門工科大学を出て、数多の研究機関の招きを断り、縁のある藤川の元に、一年ほど前にやって来たという。
その席の語らいで、直哉は藤川の誘いで、バイオリンを藤川の友人の教室で始めたが、今度、市民オーケストラへの参加が認められたなどとの話題で盛り上がっていた。少し前から、その教室でバイオリンを習い始めていた聖美とは、レイトスターター同士で、気が合う様子。実世は、そんな二人を遠巻きに見つめているしかなかった。
水織川研究所では、藤川の娘ということで、直哉は実世に、気さくに接していたが、実世は秘めた想いを隠したまま、時間だけが過ぎる。そして、その年のうちに、直哉と聖美は交際を始め、間も無く婚約へと至った——
「実世……やっぱり……貴女…………そうだったのね……ごめんなさい」実世は振り向いて、静かに微笑む。
「聖美さんが謝ることではないわ……二人はとってもお似合いだったもの……私が、勝手に好きになってしまっただけ……今では、いい思い出よ」
「でも……私……薄々気づいてたの……なのに……」顔を曇らせる聖美。
「あぁあ! 私も、バイオリンやれば良かったかなぁ! ふふ」
「……どうして、今……そんな話を……」「今……しておかないと、この想い……もう誰にもわかってもらえないから……聖美さん、ありがとう……聞いてくれて」静かに微笑んで、聖美を見つめると、実世はもう一度、窓の外へと顔を向けた。
「……実世……」




