正義の仮面 2
「マァマァ〜〜!」どこか、恨めしそうな声を上げながら、亜夢は、その部屋のドアを開け放つ。
「あら、亜夢ちゃん」ベッドの上で、身体を起こした実世は、優しく微笑んで亜夢を見つめた。
「あれぇ? いもうと?」「げっ! あ……貴女……」
実世の部屋を訪れていた沙耶は、身構え眉を顰める。実世のベッドの傍には聖美と貴美子の姿も見えた。
「いらっしゃい、亜夢。入っていいわよ」軽く手招きする貴美子。聖美も微笑んで亜夢を見つめていた。
「う、うん……」亜夢は三人の顔をキョロキョロと見渡しながら、実世の傍に寄る。
「どうしたの、亜夢ちゃん?」「うん……宿題……わからなくって……ママ、教えて」そう言いながら、亜夢は持ってきたタブレットを実世に見せる。
亜夢は、学校教育をまともに受けていないようで、さらに十代は、ほぼ昏睡に陥っていた。そこで学校に行けない療養棟の子供らと同じく、小学校高学年から中学生程度の基礎教育をオンライン学校で受講していた。この日は土曜日とあって、いつもより課題も多い。
「あら、算数? ママにできるかなぁ……あれ、真世はどうしたの?」「出かけた」
「出かけた? ……うちの方にでも行ったのかしら」と貴美子。
「誰かと会うって……」「誰かって……誰?」貴美子は心配そうに訊き返す。
「わかんない」亜夢はタブレットを操作しながら答えた。
「お母さん、そんなに心配しなくても。真世なら大丈夫よ」「でも……よりによって、こんな時に……」
「友達とかじゃないんですか? 帰省してる子も多いみたいだし」と沙耶。
「まぁ……それもそうね……」貴美子は、そう納得することにした。
「あ、コレ! この、面積! こんなの、わかるわけないじゃん‼︎」亜夢は問題を指差しながら喚く。
「どれどれ……」と覗き込む実世。
「……うーん、確かにちょっと難しいわね。あ、亜夢ちゃん、これ」解説のリンクを見つけ、実世は指差す。
「それ、出てこないの!」そう言いながら、亜夢はリンクをタッチペンでクリックする。皆、自ずと画面を覗き込んだ。しばらく応答待ちが続き、接続エラーが出る。
「これ、ヴァーチャルネットに繋ぎにいってるわね。そういえばコウが、結界で繋がりにくくなるかもって言ってたわ」と、貴美子は眉を顰める。
「だから、ママァ! 教えて〜〜」実世に擦り寄り、亜夢は駄々っ子のように言う。
「そうねぇ……しばらくこういうの、やってなかったから……んん、ちょっと待ってね……ゴホッ……」「大丈夫、実世⁉︎」聖美は、心配顔だ。
「うん……昨日の治療で、今日は……でも……うーん、と……ここの角度が三十度でしょ……それで半径が四センチだから……」首を傾げながら考え込む実世。
「ちょっと、沙耶」「な、なに? お母さん」聖美に、しれっとした声をかけられた沙耶は、嫌な予感しかしない。
「貴女、数学得意よね」「は、はぁ?」「音楽は数学なのよ、とか言ってたじゃない?」「そ、それは先生の受け売りで……」「いいから、ほら、見てあげなさい」「えっ、ええ? いや、無理、ムリムリムリ」手を振って後ずさる沙耶……の手を、亜夢の手ががっちりと掴む。
「いもうと! 算数解けるの? 一緒にやろう!」満面の笑みの、亜夢の大きな瞳が沙耶を覗き込む。沙耶は引き攣ったまま固まった。
……き、きたよ……ライオン……ワタシは哀れな縞馬ぁあぁ……
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「そんな話をしにきたの?」
対面に座って強張る、真世の緊張を解きほぐそうと、彼女の近況を聞いたり、この街の名所を見てきただのと、男はたわいの無い話を続けていたが、真世には冷たくあしらわれてしまった。
「ったく……そういう、きついの、あの頃の実世にそっくりだぜ。つまんねぇところ、似やがってよ」
男は、暑そうにしながら、頼んであったアイスコーヒーをがぶ飲みする。一方、店への配慮で、同じものを頼んだ真世の方は、一口も減っていない。
「ふぅ……そういや、実世は? 達者にしてるかい? はは、IN-PSID所長様のご令嬢だ。俺と別れてから、さぞいい暮らししてんだろ? くくく」
男の言葉に、真世は硬直し、目を見開く。胸の裡で、何かがぷつりと音を立てるのが聞こえた気がする。
「……ママ…………母は、病気です。この二十年……PSIシンドロームで……」真世は俯き、呟くように言う。胸元のロケットペンダントを握りしめながら……
「えっ……実世が……」不遜な態度だった男が幾分、狼狽している。
「お爺ちゃんに会って、話を聞きたいって……」
意を決して、サッと真世は顔を上げ、凛とした表情を男に向けた。
「一体、どういうつもりですか? こんな状況の時に……私は、それを聞きにきたの!」
毅然とした態度で、真世は、父の名前、『早瀬充』を示した男に迫る。
「お、おいおい、真世。そんなに邪険になるなよ。俺は正真正銘、お前の父親だ。こうして、ようやく会えたんだぜ」早瀬は、口元に笑みを浮かべたまま、眉を顰めている。
「父親?」真世は、昨日、早瀬が最初に渡した『三輪光彦』の名刺をテーブルに出して突きつけた。
「貴方は『三輪光彦』って記者なんでしょ⁉︎ これはなんなの!」
真世は、予めメモリーしておいた、サニが見せたあのオカルト雑誌の記事を、指輪型端末の空間投影機能を用いて、ホログラム表示する。早瀬は、大きな両眼をギョッとさせて、記事を覗き込んだ。
「IN-PSIDのこと、こんなに悪く書いて! そんな人、お爺ちゃんに会わせられるわけ、ないじゃない!」
「ちっ……」
返す言葉もなく、テーブルに腕を立てて手を組み、その下に顔を隠すようにして早瀬は俯く。すると早瀬は、小さく不敵な笑い声を立て始めた。
「何がおかしいの?」
「ふふ……くくくく。ああ、そうさ。その記事は俺が書いた!」
手の甲から覗く早瀬の両眼は、まるで蛇か何かのようだ。彼のオカルト記事にある『爬虫類人』を真世は想起させられながら、負けじと睨み返す。
早瀬は手を解いて、僅かに残っていたアイスコーヒーを口に流し込み、グラスを乱暴にテーブルに戻して口を開く。
「実世やお前たちと別れたのは、ぜんぶあの藤川の親父さんのせいだ! ったく、俺をコケにしやがって!」
「コケに?」
「ああ! 二十年前、俺は記者としてPSIの危険性を訴えていた! 当時、水織川にも、何度も取材に行ったが、あの親父さんは、俺の言うことに耳を貸そうともしなかった! それが見てみろ。俺が危惧したとおり、水織川研究所は事故を起こしやがった。それで、あの大震災だ!」
「そんな! お爺ちゃんは、誰よりもPSIの危険性を……だからIN-PSIDだって……」
「そんなのは、後付けだろ! 善人面しているだけさ! あの人は、反PSIの俺を嫌っていた……駆け落ち同然だった実世を、俺から奪い返したかったのさ!」
「そんなこと……そんなこと、お爺ちゃんがするはずない!」反論する真世の顔は、青ざめていた。
「ふん、どうだか。……実世だけじゃねえ。あの地震は、俺から何もかも奪った。……実世と別れた後、俺を支えてくれた最愛の女と、その腹ん中にいた……俺の子の命をなぁ‼︎」




