正義の仮面 1
鏡に向かって、メイクと髪形の出来栄えを確認し、真世は最後に、落ち着いた紅色のリップを引く。
こんなものかしら、と声にならない声が呟いた気がして、真世はハッとなって鏡に映る自分に目を丸め、リップを置いた。
「何……やってんだか……わたし……」
ふと腕時計に視線を落とせば、予定していた時間が迫っている。
「いけない」真世は、立ち上がるとすぐに、洗面所から出る。部屋では、同室の亜夢が、ベッドでゴロゴロしたまま、彼女の好きなアニメのテレビを眺めていた。十年ほど前に人気を博した魔法少女もので、最近また新作が発表されるらしく、俄かに話題になっているとか……
「もう、またそれ見てるのぉ?」真世のかけた声に、亜夢は生返事で答える。
その間に、真世はハンドバッグを準備する。中には、昨晩、母からもらったロケットペンダントが入っていた。取り出して、蓋を開け、しばらく中の写真を見つめて閉じ、手早く首にかけると、再度、ハンドバッグに手を入れた。バッグの底に、いつも入れている、あるものを真世は取り出す。古びたうさぎのキャラクターのついたチャームだ。
真世は、それをハンドバッグのベルトに当ててみる。
「わぁ! 真世ぉ! きれぇ〜〜」テレビからふと視線を外した亜夢が、ベッドの上からポカンとした顔を向けている。
「そ、そう……ありがとう……」言いながら、真世はチャームをハンドバッグに押し込む。
ストライプの入った紺のワンピース、ローヒールながら上品なパンプス、目元と口元はいつもより柔らかくフェミニンに、丁寧なメイクでまとめ、全体的に大人びた印象の真世の姿は、亜夢も初めてみる。
「人と会うから……でも、ちょっと気張り過ぎかな……」俯いて独り言のように呟く。
「真世、凄い! テレビの人みた〜い!」ベッドから飛び降りて、亜夢は擦り寄ってくる。
「いい匂〜い。いいなぁ〜。亜夢も変身した〜い」
「へ、変身?」無遠慮に距離を詰める亜夢から後退りながら、真世がついたままのテレビに視線を向ければ、ちょうど主人公の少女達が、お決まりのかけ声と共に光に包まれ、魔法少女へと変身している。
「そ、そのうち……新しい服……一緒に見てあげるよ。あ、じゃあ、もう行くから! 宿題、ちゃんとやるのよ!」真世は、そのまま後退し、慌てて部屋を飛びていった。
「……行って……らっしゃ〜い」きょとんとしたまま亜夢はしまったドアに向かって呟く。返事をしないドアを眺めていると、テレビの魔法少女達が、お決まりの口上を垂れ始めた。
亜夢は、自分の身体のうちに湧き起こる、熱き血潮を感じ、なんだか『行ける』気がしてくる。満面の笑みを浮かべ、気力を身体いっぱいに充満させた亜夢は、お気に入りの魔法少女の振り付けを真似、ヒラヒラと身体を舞わせて、片手を頭上高くに突き上げた。
『七色の虹が、悪を討つ! マジカルレインボー、プリズムアァァップ‼︎』
亜夢の突き上げた右手の拳が真っ赤に燃える——気分ではない。仄かに赤く灯ったオーラが、次第に熱を帯び始める!
「あ、あああ! アレェええええ‼︎」
亜夢はPSIキッカーだ。しばらく自分でも忘れていたが……。亜夢の右手は今、その手を燃料に、真っ赤に燃え上がったのだ!
「ひっ、ひゃぁあああ⁉︎」
……落ち着きなさい‼︎ ……
内なる声が、身体の中で鳴り響いたかと思うと、炎を纏う拳から水が溢れ出し、途端に焔を舐めるようにして鎮火していく。そのまま、水は熱った手を覆い尽くして、冷えて固まった。
あっという間に炎は消えたが、今度はパッキパキに右手は手首まで凍りついている。
「え……ええぇえええ⁉︎ つ……つ、冷たぁいいい〜〜‼︎」
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IN-PSID日本暫定支部内——対『黄金の女神』対策本部が設置された『PSIテクノロジー安全対策課』は朝から忙しない。
カウンター結界『マルドゥク・ウォール』の稼働状況確認と補正プログラムの実装に、スタッフチームに指示を飛ばす松永の声の傍で、藤川、片山らが、ミーティングテーブルに難しい顔を並べる。テーブルのマルチモニターには、昨晩から一般ニュースになっているIN-PSID本部機能の移転や、NUSA支部のテロ疑惑に関する情報、かたや『黄金の女神』に関連した世界の動きに関する情報が並べられている。
「市民や避難者にも動揺が……こんなニュースが出たのでは、無理もないですね……」眉間に皺を寄せながら東は呟く。マルドゥク・ウォールもヴァーチャルネットを介さない、一般のテレビやインターネット階層の通信までは制限できないし、そこまでする権利もない。東は、肘をテーブルに立てて組んだ手で、顔を隠すようにして俯いた。
不安から、避難者からは、滞在の期間の問い合わせ、帰宅の要望が、IN-PSID附属大学の学生からも、帰省や休学の希望がなどが出始めている。
「片山くん……申し訳ないが、可能な限り丁寧な説明と説得を……」そう言うくらいしか、藤川もできない。「ええ、もちろんです。が、どの程度、聞き入れてもらえるかは……」
「それは当人の判断だ。尊重するしかなかろう……」「はい……」
ミーティングテーブルに集う対策チームの責任者らも、表情固く俯いている。
『……そうした中、『黄金の女神』の予言を信頼し、大災厄と、それを引き起こそうとする悪に立ち向かおうと、民族、国、宗教を超え、世界を一つにしようとのムーブメントが、世界各地で巻き起こっています。彼らは、ヴァーチャルネットを通じて呼び掛け合い……』
ニュース番組のアナウンサーの声が、沈黙の中で明るく響いていた。
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「神取先生……わたし、どうしたら……」俯いたまま、真世は呟く。
「……私は、だいぶ前に両親を事故で亡くしましてね。母はともかく……父とは反目したままで。文句の一つも言ってやりたいところですが、今となってはどうしようもありません」神取は小さく苦笑する。真世は、静かに顔を上げ、神取を見つめた。
「迷った時は、心に任せればいい。あの時、私にはできませんでしたがね。後になって悔いるよりは」
「心に……任せる……」
「ええ。すでに、答えは出てるのではありませんか?」——
穏やかな神取の微笑みが、車窓に消えたところで、車が静かに停まる。
『目的地に到着しました。追加のご精算はございません』温かみを演出した合成声音と共に、ドアが開く。
車から降りた真世に、お気をつけて、と声を上げる無人タクシーの声音に、真世はありがとうと何気に告げながら、車を降りる。
ここは、鳥海まほろば市中心地の玄関口にあたり、飲食店やホテル、大型店舗などが集中する商業区域だ。近くには、国道から降りるランプと幹線道路の合流地点があり、警察が設置した検問が見える。避難の移動が落ち着いたからか、車の通行は少ない。
真夜は、目の前のファミリーレストランに向かい、窓を覗く。あの男の姿は、ここからは確認できない。
真世は、深呼吸を一つして、意を決して店に入る。入店受付端末が、ホログラムのウェイトレスを投影し、受付案内を始めるのを横目に、真世は店内をキョロキョロと見回す。
「連絡、くれると思ったよ。真世」背後から声をかけられ、身体をびくつかせて振り向けば、薄紫のオープンシャツを着崩した、白髪の男が立っていた。
「き、来てたんですか……?」「ああ。おっと、そう構えるな。不審に思われるだろ」
すると、店内の方から数名の男達が、連れ立って出て来る。
「あれ……貴女、確か、この間……ああ、そうだ! 藤川所長の!」細身の男が気づいて声をかけてきた。
「え、あ……えっと……」「警察庁広域の葛城です。オモトワの事件の時に、上杉と」
「あ、ああ……あの時の……刑事さん……」
白髪の男の眉がわずかにビクつく。
「ええ! 貴女は、確かぁ〜〜、ま……ゆ……ん? 違うな、えっと」「ま、真世です……」
連れの刑事達はゾロゾロと出ていく。
「そう、真世さんだ! 藤川所長のお孫さんの。こんな美しい方のお名前、忘れるとは! 不覚! 大変失礼しました。ところで、真世さんは? お食事に? ああ、ブランチ、ってヤツですね! おや、そちらは?」
「あ、え⁉︎ えっと……この人は……」
「どうも! 真世の親戚のものです。遠縁なんですが、今回の避難で声をかけてもらって。この街、初めて来たもんだから、真世が案内してくれるってね。そうだよな、真世」「えっ⁉︎ あ、……う、うん」
「親戚ですか……」葛城は目を細めて、真世の親戚を名乗る男を見る。
「葛城! そろそろ交代だ! 早くいくぞ!」マヨネーズ顔の刑事が、外から待ちくたびれたように声をかけている。
「はいはい! それじゃ、検問の交代なんで。真世さん、何か困ったことがあれば、すぐに連絡を!」そう言って葛城は、二人に軽く会釈して駆け出す。
「けっ、色気付きやがって。真世、お前も隅におけねぇな」男は下品な笑いを溢しながら、さっさと入店受付をすると、ビクつく真世を気にする風もなく、片手でその背を押し、指定された席へと向かった。




