守るべきもの 5
グラスが重なる音、食器の擦れる音、誰かが持ち込んだ音楽……談笑は、いつしか興奮めいた声に変わり小さな議論も始まる。先程まで聞こえていた、屋根を叩く雨音など、もはや僅かも聞こえない。
「古屋さぁん‼︎ ビール! こっちもお願いします!」「あ、ああ。今すぐ!」
そうしている間に、インターホンが鳴り、この中では若手の男衆が、来た来たと店のドアを開ける。フードデリバリーのアンドロイドが、注文の品を配達に来たことを告げ、男達はピザであろう四つほどの大型の箱を運び入れる。
「レストランで、デリバリーってのも! なかなかオツですね〜」「仕方ないさ、ここの冷蔵庫、もうすっからかんだっていうから」
「ごめんなさいね、古屋さん。予約もなしにこんなに大勢で宴会なんて。売り上げにつけといて」言葉とは裏腹に、友恵の顔はホクホクしている。
「いや、構わないさ。こんなに大勢、入ってくれるなんて、この店始まって以来。皆、今日は大いに楽しもう!」古屋の掛け声に、店内に歓声が沸く。
「よぅし! ピザも来たところで! もう一度、乾杯といこうや!」増田は、手近にあったワインボトルをとり、自分のグラスに注ごうとする。が、ポタポタと数滴、垂れ落ちるのみ……
「古屋さぁん! 酒、もっと酒、出してくれ!」
増田にせっつかれ、古屋はキッチンに戻り在庫を確認する。ワインセラーに保管庫……隈なく探すが、ビール缶一つ残っていない。
「ごめん、全部出してしまったようだ……」
「えっ! そりゃないよ! せっかく盛り上がってきたところで」増田の落胆につられ、店内には大きなため息が渦巻く。
「デリバリーにつければよかったですね」「オレ、近くまで買いに行きますよ」「え、このあたり、店ないし、この雨よ」ざわざわと、空気が澱んでいくのを古屋は眉を顰め、見つめていると、ふと、あるものを思い出す。
「そうだ! 笹原くん、梅沢くん! ちょっと手伝ってくれるかな。こっちだ!」そう言って、古屋は、二人をキッチン奥に招き入れながら、勝手口を開けた。
「ちょっと待っていておくれ」
古屋はそう言うと、雨足の強まった外へ、二人を連れて駆け出していった。
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「医院長先生……すぐに来てくれるそうです」
インターホンを置きながら、神取は振り返る。
「あ……ありがとう、ございます、神取先生。ごめんなさい……なんか、色々なことがいっぺんにありすぎて……」医局のソファに腰掛け、俯いたまま、真世は答える。神取は、斜め向かいのソファに腰を下ろす。
「それは?」真世は、先ほどから胸にかけたネックレスを握りしめている。
「……誕生日だからって……ママが……」
「誕生日? ああ、今日? おめでとうございます」神取は微笑を浮かべる。
「あ……ありがとう、ございます……」
「ああ、そうだ。さっき、療養棟に来た親御さんが」そういって神取は、テーブルに上げたままになっていた、蓋の空いた菓子箱をそっと差し出した。袋で小分けになった生八ツ橋。いくつか空いている。
「よかったらどうぞ」そういって、神取は一つとり、真世に気兼ねする風もなく、パクついた。美味しそうに頬張る神取を、真世はキョトンとして見つめる。
「ん? 何か?」「い、いえ……先生、甘いもの……食べるんですね」
「ええ。割と甘味は好きで。特に和菓子は……ああ、この間の、あのクッキー? も美味しく頂きましたよ」神取は、涼しげな笑みをもう一度浮かべた。
「……ちょっと意外……」小さく微笑む真世。神取は、箱をそっと真世の方へと動かし、促した。
「あ、じゃ……一つ……頂きます……」
真世は、八ツ橋の封を切り、一口食む。柔らかな甘味と、独特の、どこか雅な香りが広がり、張り詰めていた気持ちも、ほっと落ち着くのを感じる。
「美味しいですね」「でしょ」二人は、小さく微笑む。その後は言葉も無く、沈黙が戻って来る。
「……これ……写真、入ってるんです……」と言いながら、真世はロケットの蓋を開けた。先ほどより少し開けやすい。開いたロケットを神取にそっと差し出す。
「見ていいのですか?」「ええ……」
「ご家族揃って。素敵ですね」
「遺影……みたいですよね……ママ、そのつもりで私に……」「そんな……」
小さく首を振る真世。
「私だって……わかってるつもり。ママがもう……あまり良くないって……でも……」そっと蓋を閉じ、真世は固くロケットを握りしめた。
「……私がもの心つく頃……すでにママは入退院を繰り返していた。祖父母が、ここを建てたのも……半分はママのため、みたいなものなんです」
話し始めたら、言葉が口をついて出て来る。真世は、動き出した口を止める気にもならない。食べかけの八ツ橋をテーブルに置き、神取は、じっと真世を見つめた。
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大雨の降りしきる音が、レストランのざわめきを遮る。皆がキッチン奥の勝手口の方を見れば、古屋が白髪を雨に濡らし、青果コンテナを慎重に運び入れてくる。続いて梅沢、笹原も、同じようなコンテナを運び込み、二人はコンテナを食堂の端に寄せたテーブルや、床にゆっくりと置いた。
「もう、古屋さん! どこへ行ってたの⁉︎」「外の倉庫に」古屋はそう言いながら、防水シートを外したコンテナから、緩衝材を取り除く。友恵がコンテナを覗き込むと、ラベルのないダークグリーンのボトルが数本、横倒しに置かれていた。
「これ、ワイン?」「ああ、そういえば古屋さん、昔、ワイナリー経営してたんだよな。もしかして、それは?」友恵と増田は、興味深げに覗き込む。他の皆も興味津々だ。
「ああ、昔、仕込んだものさ。二十年モノだ」
「へぇ〜〜、ビンテージワインっていうやつかぁ」増田は、何気に瓶の一つを手に取ろうとする。
「立てないで‼︎ 澱が混ざるから、そのまま!」
「お、おう……すまん」
いつも穏やかな古屋が、珍しく張り上げた声に、増田は手を引っ込め、首をすくめる。古屋の厚底のメガネから覗く大きな瞳に、かつての職人の魂が蘇っていた。
古屋は、笹原が運び込んだコンテナから、パニエ(ワイン籠)四つを取り出し、テーブルに並べ、厨房からデキャンタを持ってきて、パニエの傍に置く。
古屋は、コンテナのボトルをじっくりと覗きこみ、澱の少ないボトルを一つ選ぶ。横倒しのままゆっくりと取り出してパニエに乗せ変え、アーソー(二枚刃の古酒用オープナー)を使って、古くなったコルク栓を崩さないように、慎重に抜いていく。古屋から立ち込める、緊迫した、まるで何かの儀式のような空気に、皆、押し黙り、古屋の作業を様子をじっと見つめる。
「あの地震で……みんな……ダメになってしまってね。一つだけ、状態の良かった樽を回収して……そいつも劣化が始まってたけど……何とか瓶に詰め替えたは……これだけ。……それでも、酷い環境にあったから………味の保障はできないけど……うんっ……と! よし、取れた」
古屋は、笹原に、指輪型携帯端末のライト機能で、瓶の首を照らすよう指示すると、自身は透けて見える澱に注意しながら、ボトルを慎重に傾け、デキャンタに注ぎ込む。皆は、注ぎ込まれるワインから目が離せない。
友恵はふと、古屋の横顔をみる。いつもへの字口の、彼の口角が少し上がっていた。
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母、実世との、この二十年ばかりのことを、真世は、聞かれもしないのに、取り留めもなく神取に話していた。その間、神取は余計な口を挟むことなく、相槌を打つなどするだけで、真世の喋りたいようにさせていた。
真世の話は、四歳の頃に遡る——東京での結婚生活が破綻し、実世は、彼女とまだ二歳の次女、夏生を連れ、三女、優衣を孕った身重の身体で、両親を頼って故郷の水織川へと戻ったという。その矢先、あの震災を被災し、混乱の中、実世は三女を出産する。しかし、その後しばらくして実世は、度重なる心労と出産後の体調変化、そこに震災のショックが重なり、PSIシンドロームを発症した——当時のことは、真世は断片的にしか覚えていない。おおかた、母や祖父母から聞いた話だ。
「あの頃、父親だと思っていた人が、いつの頃からか、帰って来なくなっていたのは、薄々覚えてます……母が体調を崩しがちになったのも、その頃……」
「父親が、帰って来なくなった……?」
「小さい頃は、その意味もわからなかったけど……時々聞く母の話から、今はなんとなくわかります」真世は、膝に置いた両手を握りしめた。
「あの世界同時多発地震の後、母の元に父の仕事先から連絡があって。震災の取材に出たまま、行方不明になったと……それで、母は私たちには、父親は死んだ、ということにしていました……」
そこまで言うと、真世は脇に置いたハンドバッグをとり、中から紙切れを取り出し、テーブルに並べた。二つの名刺だ。
「それは?」
「死んだと……思っていたのに……」
一つ目の名刺には、『フリーライター 三輪光彦』とある。そして、もう一つの名刺を指差しながら真世は静かに口を開く。
「早瀬……充……」
「もしや、その名前は……」
「はい。母から聞かされていた、父親の名前……」
真世の白い肌が、一層白くなっていく。
「確か、なのですね」真世は小さく頷き、ほんの一時間ほど前の、あの男との会話を思い出す——
「……IN-PSIDの炎上騒ぎについて、藤川代表のお話をお伺いできませんかねぇ〜〜」
「……し、知りません‼︎」
「そう言わずに。お義父さんに会わせてくれや。真ぁ世! くくっ……くくくく」
「あ、貴方なんて……知らない‼︎」
「……ふん。まぁ、いいさ。しばらくこの街にいる。気が向いたら、その名刺の連絡先に。じゃ、またな。真世」——
真世は小刻みに肩を振るわせる。
「……お爺ちゃんに……話を聞きたいって……先生! わたし……もう、どうしたらいいか、わからなくて!」
胸の内から込み上げてくる波が、両の目を熱くする。ごめんなさい、と真世は神取から顔を背け、慌ててハンカチを下瞼に押し当てた。




