幻影に包まれて 7
「天使と名乗る存在と遭遇したのは、EU支部のミッションサポートに入った時です。我々は、インナースペースから多次元世界観測を可能とした<ノルン>に同伴し、<ノルン>による時空間分岐モデル、<ユグドラシル>の基礎データサンプリングの間、無防備な<ノルン>を護衛するのが我々の任務でした……けれど……」カミラは、顔を俯け、インナーノーツの皆も同じように項垂れる。
『<ノルン>? 先程、乗っ取られた、という話が出てましたね』上杉は、会話にほんの少し出ただけの名前を記憶していた。藤川と東が、上杉の抜群の記憶力に息を飲んだ時、アイリーンと田中が、休憩ブースの片付けを終えて、戻ってきた。
「<ノルン>は、キャプテンの一人は人間だが、他は精巧なガイノイドが三体、乗り込んでいた」アランが説明を引き継ぐ。『ガイノイド? 女性型、アンドロイドですね?』と上杉。
「そうだ。インナースペースで長期に渡る時空間分岐観測を視野に、<ノルン>は初の無人観測機を試みた機体だった。そのガイノイド三体は、ノルンの三女神にちなみ、ウルズ、スクルド、そしてベルザンディと名付けられていた」
『ノルン三女神……運命の女神たち……』
「うむ……<ノルン>のミッションと、観測結果の情報は、現状、国連の預かりになっている。我々も、詳しくは話せないのだが……」藤川は眉を顰めて上杉と勇人を見つめた。
『また、国連か? 怪しいな』国連が黒幕に関与しているかもしれない。その話を聞いた後では、勇人がそう思うのも当然だ。
『仕方ありません。今はお話頂ける範囲で、伺いましょう』と言って、上杉は先を促した。
ガイアソウル変動を含む、世界に多大な影響を及ぼしかねない重大危機の起こりうる事象分岐を観測し、人類の存続しうる行動指針となる『クリティカルパス』を、あらゆる可能性を内包したインナースペース情報から抽出し、<ノルン>の『ユグドラシル』システムに、描き出す。人類の進退を決めかねない、このユグドラシルを国連が最重要機密として管理下に置こうとすること自体は、納得できる話ではあるのだが——藤川は、その話題には触れず、あらましを伝える。
「<ノルン>の観測結果は、人類社会にとって非常に重要なものとなる。その基礎データをかろうじて、サンプリングできたところまでは良かった……だが、突如、ガイノイドのうちの二体、ウルズとスクルドが、反乱を企てた。そう、<ノルン>を乗っ取ったのだ」
『ガイノイドの……反乱? バカな。プログラムのエラーか?』勇人は眉を顰めて訝しむ。
「いや……プログラムではない。あの時のウルズとスクルドのボディは憑依されていた。『天使』と名乗る者たちに」答えたアランは、奥歯を噛み締め、顔をこわばらせる。
天使と名乗った者たちは、ウルズとスクルドを操り、<ノルン>の隊長を務めていたソフィアと、『ユグドラシル』システムとソフィアを繋ぐインターフェースとなる、共感回路を持つベルザンディを拘束。彼女らの能力と、<ノルン>の時空分岐観測を、彼らの目的のため利用しようとした。
『その目的とは……いったい?』問いかける上杉。
「うぅむ……」藤川は、口をつぐんで腕を組む。
『おっと……それも機密事項でしたか?』
「……いや……。あまりに現実離れした話で、機密としても管理しようがないのだ……」
『はは、もうとっくに現実的な理解の範疇を超えてるわ』勇人は、肩をすくめる。
「……いいだろう。集合無意識、またその近縁領域の時空間は、様々な情報の原型……アーキタイプが蓄えられている。いわばこの世界をも包括するサーバーのようなものだ。彼らの狙いは、そこにある、あらゆる文明の原型、『文明のイデア』だった。それを、この世界とは別の時空間へと奪い去ろうとしていた。ソフィアと<ノルン>の能力を用いて……な」
藤川の説明に、案の定、勇人の両の瞳は点になっている。
「彼らは、その『文明のイデア』をアトランティスと呼んでいました。そして、人から奪い去った新たな時空間で、その担い手となるのは、もはや人間ではなくAIであると……」カミラが説明を引き継ぐ。
『なるほど……我々、人間は天使に見限られたと』『お、おい! 上杉くん。キミはこんな、荒唐無稽な話を理解できたのかね? 第一、文明の概念が無意識領域から持ち去られる? それで、一体どうなるというんだ、この世界は⁉︎』
『おおよそ、文明の中で生み出された概念の全ての認識が人間から失われる……そんなところでしょうか? 文明の中でしか生きられなくなった我々は、破滅するでしょうね』
『ま、まさか……そんなことが……』
「実際……どうなったかは、わからない。けれど、ソフィアは、それを未然に止めた。この世界を守る為……命をかけて」呟くように吐き出す、アランの言葉が、その場に重くのしかかる。
「俺は、アイツを……救えなかった……目の前で消えてゆくアイツを……俺は、見送るしか……」卓の上に置いたアランの拳が硬く握られる。
「目の前って……アラン、貴方、やはり<ノルン>に乗っていた記憶が……」カミラはアランの項垂れた顔を覗き込む。
「わからない……確かに俺は、<ノルン>のコントロール・コアにいた。だが、あのミッションの間、アイツの気配を間近に感じていた……」
アランは、確かにソフィアと共に失われた<ノルン>に乗っていたハズだ。それはミッションを共にした、<アマテラス>のクルーだけが知る記憶。アランは、<ノルン>には乗船せず、現象界の<ノルン>とのリンク通信コントロールセンター、『コントロール・コア』でミッションのサポートをしていたのだ。『こちらの世界』では……
<アマテラス>の一同は、この僅かな『並行宇宙』を移動したらしい。しかし、そのことに皆、この場で言及することはないと、ソフィアとの記憶と共に甦る、ミッションの記憶を胸に仕舞い込んだ。
『インナーミッションの……犠牲者か。辛い話をさせてしまったな』勇人のかけた言葉に、アランは首を横に振った。
「アイツらが悪いのよ。天使なんていっちゃってさ! アタシたちを平気で滅ぼそうなんて」
憤慨気味に発言するサニに続けて、ティムも口を開く。
「全くだ。天使なんぞ、俺たち人間の守護者なんてもんじゃなかったんだ。……そういや気になることも言ってたな。<ノルン>の建造も、ソフィアも……全部、奴らが仕組んだみたいな……運命とかなんとか……」
「運命の輪」ポツリと直人。
「そう、それ!」ティムは膝を叩く。
「『運命の輪』……彼らの話からすると、あらゆる文明の盛衰を共にしてきた、文明の管理者。あるいはその概念そのものなのかも知れない」そう言ってアランは顔を上げる。
「そして、ウルズとスクルドに憑依した天使を従える上位天使……『座天使』でもある……」アランの言葉にカミラは続けた。
「あの『悪魔』をも従わせる存在だった……」「カミラ……」カミラとアランは、互いの瞳の中に、彼らの運命を縛ってきた『悪魔』ニコラスの残影を蘇らせずにはいられない。
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藤川邸を出た真世は、IN-PSID本部方面へと続く、来た道とは反対方向へと歩き出す。腕時計は、午後四時を過ぎた頃を指している。母、実世も、そろそろ目を覚ます時間だろうと、真世は帰り道を急ぐ。
家から少し先の、小さな公園の前に差し掛かった時。
「あのぅ、すみませぇん」
背後からかけられた、幾分しゃがれた声が、真世の足を止めた。
「IN-PSIDの藤川博士のお宅は、このあたりですかぁ?」背筋に寒気を感じながら、真世は恐る恐る振り向く。
白いポロシャツにジーンズ。無精髭を口周りに散らした白髪の男が、面長の顔をにやけさせて立っていた。顔に刻まれた皺からすると、歳の頃は六十くらいだろうか? その割に、引き締まった長身と、整った顔のせいか、いくらか若く見える。
無言で身構える真世。
「っと、驚かせて悪かったなぁ。私、こういうものでして」
胸ポケットから名刺入れを取り出し、合成紙の名刺を取り出す。
「フリーライターやってます。藤川博士にお話しをお伺いしたくて」
その名刺に刻まれた名前を見た真世は、息を呑んで顔をこわばらせた。
「え、あ、あなたは……」
「……いや、君にはこっちの方が良かったかな」男は呟きながら、ズボンのポケットからカードホルダーを取り出し、もう一枚名刺を取り出して、呆然としている真世の手に乗せた。
「藤川博士に、お会いできるかな?」
男はニヤリと口角を持ち上げ、ハッと目を見開く真世を見下ろしていた。




