幻影に包まれて 5
ノヴス・ドミヌスと名乗った、黄金の女神の正体。それが国連の内部まで深く浸透している可能性は見えてきたものの、IN-PSID本部IMCの会議は決定打を見出せないまま、時間が過ぎる。迷走し出した空気を感じた藤川は、小休憩の時間を作る。藤川と東を会議の席に残し、皆、隣接する休憩ブースに入って、ドリンクサーバーで飲み物をとり、アイリーンが用意したお茶菓子を摘んで、たわいのないお喋りで気持ちを紛らわせていた。
『月の超次元生命体に、国連をも牛耳る何者か……いやはや……コウはまだしも、上杉くんまで、そんな陰謀論を持ち出してくるとは。はは、いや恐れ入った』通信がつながったままのモニター向こうで、勇人は秘書に持って来させたガトーショコラを頬張り、その合間に、砂糖たっぷりの紅茶を流し込みながら鼻で笑う。
『お言葉ですが、警察の初動操作なんて、それこそ陰謀論みたいなものですよ』隣のモニターの上杉は、ティーポットに残った紅茶を、優雅な仕草でカップに注ぎながら答える。
『あからさまな証拠をばら撒くのはドジな犯人か、あるいはフェイクか……そのどちらかです。状況から推論を立て、証拠固めをしていく。あらゆる可能性を考慮し、おおよそありえないことであっても、始めから否定しない。科学の探究も、そうじゃありませんか? 藤川所長?』
「ん? ああ、まあ……そうだな。いや、そう、ありたいものだな」お茶を濁すような物言いで微笑を浮かべ、コーヒーを啜る。
「考えてみれば、我々の扱うインナースペースもPSIも、魂の存在さえ、百年前は完全にオカルトでしたからね。ものの見方がガラッと変わるだけで、真実はいくらでも変わる……」「東くん、君にしては、随分と哲学的な言いようだな」
茶を口に運びかけた手を止め、東は渋く顔を歪めて藤川を見る。
「茶化さないでくださいよ、所長。こんな仕事していれば、私だって毎日、常識が塗り替えられます」東はそう言って、茶を啜る。
「へぇー、そうなんですか? チーフ?」背後から肩越しに声をかけてきたのはアイリーンだ。手にした急須を軽く持ち上げて微笑む。自ずと東は湯呑みを差し出す。アイリーンは、慣れた手つきでお茶を注ぎ足し、東に戻した。
「あ、ありがとう……ん? どうした?」じっと見つめるアイリーンと目が合い、東は思わず視線を湯呑みに落とす。
「いえ。変わらない常識も、あるんだなって」アイリーンはクスリと微笑んで、急須を戻しに休憩ブースへと戻っていった。東は怪訝気に首を傾げ、茶を啜りかけたその時。
『おい、東‼︎ キミはバカかね⁉︎』一部始終を見ていたモニター向こうの勇人が突然、声を荒げる。
「は、はい?」『かぁ〜〜! これだからなぁ、コウ! お前の元にいると、皆んなこうなっちまうんじゃないかぁ? ナオのやつも鈍感だしなぁ』
「職員同士のコミュニケーションに、私は口を挟む気はないよ……」そう言って、藤川は、コーヒーカップを手に取ると、すでに空になっていることに気づく。
「アイリーン! すまんが、私にも」「はぁい!」アイリーンの軽やかな声が返ってきた。
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「うわ、すっごっ……豪邸ですね、夏生さん」
二階まで吹き抜けとなった、四畳半ほどの玄関ロビーに通されたショウは、ポカンと口を開けて見回す。祖父母が母や自分たち姉妹と暮らせるようにと建てた家だけど、殆どIN-PSID本部や附属病院で寝泊まりしていて帰ってこず、今はもう一人の妹、優衣が一人で使ってる状態だということを道中、ショウは真世から聞いてはいたが……
「ただの二世帯住宅よ。田舎じゃ、大したことないわ」夏生はつっけんどんに返しながら、靴を脱ぎ捨てる。
靴を並べもしない夏生をキッとにらみながら、真世は、どうぞと、ショウを玄関に上げた。
「こっちよ!」と夏生は、玄関ロビーの隅の階段へと、ショウの手を引く。
「待って! 相葉さんはこっち。客間を準備したわ。サクラさん、彼の荷物、運んであげて」
奥から出てきたのは、ホームキーパーアンドロイドのサクラだ。身体は人間そっくりだが、頭部はデジタルディスプレイとなっており、デフォルメされた目のみが、柔かな形を作っている。アンドロイドは人間と見紛うほど精巧なものも作られる時代だが、敢えて人との境を残す工夫だ。
『いらっしゃいませ、相葉様。お荷物、お預かりします』「あ、はい」言われるままに相葉は自分の荷物をサクラに手渡す。
『こちらへどうぞ』とサクラは、奥へとショウを招く。
「ちょ、ちょっと! ショウはアタシの部屋でしょ⁉︎ いいから! こっち来なさいよ!」夏生は、ショウの上着の袖を引っ張り声を張り上げた。
「ダメよ‼︎ 優衣もいるんだから! 節度ってものがあるでしょ!」真世は、眉を吊り上げ、ショウから夏生の手をむしりとる。
「いったぁ! 何よ‼︎ 節度って! いやらしいこと考えちゃってさ!」「い、いやらしいって……な、夏生! それはあんたでしょ!」「いいじゃん、カレシよ、ショウは! 一緒にいるのが当たり前じゃん!」
『こちらへどうぞ』サクラが、三日月目マークのまま淡々とショウに呼びかける。
「あ、はい……え、ええと、あの……夏生さん。僕は、客間でも……」
「うっさい! そうやって、みんな真世姉ばっかり! 知らない! もう‼︎」ショウに持たせたままになっていた荷物を奪い取るようにして、夏生は足音を立てて階段を登っていく。
「夏生! ……もう、あの子ったら、どうしていつも……あ、ごめんなさいね、相葉さん。しばらくすれば落ち着くと思うから」真世はそう言って、玄関先のリビングへとショウを通す。サクラの後を、真世はショウに付き添い、そのまま客室まで向かう。
「……夏生さん。沖縄旅行、すごく楽しみにしてたので」「まぁ、気持ちはわかるけど……貴方にも申し訳なかったわね。こんなことに巻き込んじゃって」真世は、眉を下げてショウに微笑みかける。
「そ、そんなこと……ありません! お、お姉さん!」ショウは足を止め、ほんのり頬を赤らめ視線を泳がせた。
「な、夏生さん、いつも言ってるんですよ。IN-PSIDのニュースとかあるたびに、お爺さんのこととか。お姉さんもそこで働いてるって。自慢げに。だ、だから、ぼ、僕も、一度ここに来てみたくて!」「ああ、そういうこと? 相葉さんが来たがってるから、とか夏生が言ってたのは」「は、はい、まあ……」
「ありがとう、私じゃあの子、説得しきれなかったから……」ショウは、自分の頬が熱ってくるのを感じずにはいられない。
『客間はこちらです。どうぞお入りください』サクラが部屋のドアを開けて待っている。真世も重ねて入室を勧めたので、相葉は失礼しますと言うのも漫ろに、あたふたと部屋へ駆け込んだ。
「わからないことは、サクラさんに聞いてね。お茶でも淹れるから、ゆっくりしてて」「あ、ありがとう……ございます」
ドアが閉まり、パタパタと遠ざかる真世の足音を、ショウの耳はしばらく追いかけていた。
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閑静な住宅地の一角に、フェンスで囲われた広めの庭をもつ、白を基調とした落ち着いた雰囲気の邸宅が佇んでいる。周りの住宅に比べれば一回りほど大きいが、特別華美な作りでもなく、周囲に自然と溶け込む家の外観と、手入れが行き届いた庭は、その家の持ち主の人となりを物語っているかのようだ。
通り側には、ガレージ扉と、そう大きくはないが、しっかりとした門が並んで備わっている。門の表札には『藤川』と刻まれていた。
「間違いねぇ……」白髪の細面の男は呟く。
駅で見かけた三人に気づかれないよう、距離を置いて尾行してきたが、先程、その三人がこの家に入っていくのを確認した。
男は周辺を見回す。昼下がりの住宅地。出歩く人もいないが、流石に見慣れない人間が彷徨いていたのでは怪しまれる。
どこか身を隠せる場所はないものか……。
少し先に小さな公園が見える。もう一度、邸宅に視線を戻し、しばらく、誰も出てくる気配がないと判断した男は、ゆっくりと歩き出す。




