幻影に包まれて 4
『……まあ、言われてみれば、確かにNUSA政府にとって、あまり利のある話じゃあ、ないよな』勇人は首を捻って顎をさする。
「ヘカテイアンの脅威が、月への進出の妨げになっていたとして……重力子爆弾まで用いて排除せねばならぬほどだったのか? ナターリアの復讐や、ウィルソンの執念を除き、NUSA政府の意向のみで考えると、むしろリスクの方が多い。NUSA支部のマークは、ミッション後、独自に調査してそのことに気づいていた」勇人に答えて藤川は言いながら、マークの藤川に宛てたレポートを示す。
「そもそも、ヘカテイアンが、月で人と接触し、PSIシンドローム的症状を引き起こしていたと考えられる事例は、あまりに少ない。確かなのはナターリアの娘、アンナだけだ。他はルナ・フィリアが報告した数例だが、マークが精査したところ、ヘカテイアン起因か不明瞭だった」
「そういえば、ルナ・フィリアの患者は、ほとんどが地球から治療のため月に行った人たちだ。レニーもそうだったぜ」とティム。
「そう……つまり、ヘカテイアンが月への進出の妨げとなっている、というシナリオ自体が根拠に乏しい事となる」藤川は言い切る。
「けど……ヘカテイアンは現にいたし、ヘカテイアン・ハイブリッドの実験は、NUSAもなかったことにしたかったんじゃない?」サニは、眉を寄せて言う。直人も頷いてみせた。
「それならルナ・フィリアだけ潰せば済む話だ。あの辺りの居留地にまで害が及ぶ可能性がある重力子爆弾……。国際条約下で管理されている爆弾だ。下手を打って明るみになれば、世界中の非難を浴びることにもなる」藤川が言うことは尤もだと、皆、頷く。と同時に、また首を捻る。
それでは、なぜそこまでして、徹底したヘカテイアンの排除が必要だったのか……
『どういうことなんだ?』たまらず勇人が声を上げた。
「マークも当然、そうした疑問を持った。そして、今月に入って一つの可能性を私に伝えてきた。風間、むしろ君の方が詳しいんじゃないか?」そう言いながら、藤川は、マークから提供された資料を共有モニターに開く。
「これだ」
それは、ヴァーチャルネットに公開された、あるニュース記事だ。
『月のインナースペース利用規制の段階的解除、およびヴァーチャルネット構築に関わる、各国のセグメント入札に関しての通告』と題された、NUSA大手の記事だ。
『ああ、これか! これがどうし……月の……インナースペース? ん、ああ、そうか、そういうことか!』勇人は興奮気味に声を上げた。
「そうだ。今まで、月のヴァーチャルネット構築は、環境要因によるインフラ整備の遅れを理由に、停滞していた。だが、あのミッション直後にこの記事だ」
「停滞の本当の原因は、ヘカテイアン⁉︎ それで排除したかったということ?」カミラは眉を顰めた。
『そういうことだな! この国際プロジェクトは国連の国際宇宙開発部門に事務局が置かれている。月は今後、太陽系の他惑星、そして外宇宙への進出の足掛かりとなる重要拠点だ。そこのヴァーチャルネットとなりゃ! NUSAは、おおかた、リスクの代償としてセグメント利権の融通を、国連から…………ん、ヴァーチャルネット……黄金の女神⁉︎ ああ‼︎ おい、なんか繋がったぞ、まさか⁉︎』
勇人は椅子から飛び上がり、通信モニターに顔を寄せてくる。
『まさか、黒幕は国連⁉︎ 国連だとでも、言うのか⁉︎』勇人は目を見開き、藤川を覗き込んでいる。
「……確かに国連は、IN-PSID上位機関……ここのシステムやミッションに介入する工作もできなくはない……か……」腕組みをしたアランもその可能性は否定できない。
『まぁ、可能性があるにせよ……いくらか違和感がありますね』と上杉。藤川は小さく頷いた。
『違和感?』勇人は、立ち上がったまま首を傾げる。
『国連は各国の思惑がひしめき合うところ。各国、ブロック地区の代表らは、結局、自分達のの利益を最大限にしようとするものです。しかし、この月の一件にしろ、女神の騒動にせよ、どこかの国、ブロック地区の利益のため、あるいはそれを制するため……そんな感じには、私には見えません』
上杉の言葉に、口を閉ざした一同は、薄気味悪いものを感じずにはいられなかった。
****
胸の裡まで照らすような黄金の光が弾け、そしてプラチナの煌めきを残しながらあたりは白く包まれていく。
次第に、元の古びたレストランの店内と、そこに集った客人達の姿が見えてくる。
今、ここで起こった奇跡に、皆、硬直し、あるものは目を見開いたまま、口をパクパクと動かし、またあるものは跪いて手を組んで天を仰ぎ、またあるものは、得体の知れない情動に涙が止まらない。
「……こ、これが……黄金の……女神……」
古屋は、老いて骨ばった全身をプルプルと打ち震えさせていた。
「あ、あれ……止まってる?」増田が、端末を確認すると、いつのまにかヴァーチャルネットへの接続が停止していた。
「天啓……まさに天啓よ! これは!」友恵が瞳を輝かせて発すると、その場に集った三十名ほどの皆は、感動に想い想いの声を上げる。
「古屋さん! やりましょう‼︎ 私たちには黄金の女神がついているわ!」「やりましょう! 古屋さん‼︎」友恵と笹原が発し、皆もそれに続く。
「や、やるって、いったい……いったい何をするつもりだい?」何やら突然集まった皆の勢いに飲まれ、大した説明もないまま、黄金の女神まで現れ、古屋の頭には混乱しかない。
「ははは! とぼけることないさ! 今こそ、我々の敵、IN-PSIDを解散に追い込む! そのための一大デモを敢行するんだろ!」と増田。
「デ、デモ⁉︎ え、ええ⁉︎」
「古屋さん、あなた、このところのIN-PSIDの炎上で、二十年前の震災の怒りに火がついたっていうじゃない? それで、みっちゃん、貴方が人を集めたがってるみたいだ、協力してやってほしい! って! 私! いつかこんな日が来るんじゃないかって、ずっと待ってたのよぉ」と、まるで憧れの『推し』でも見つめるような瞳で、友恵が言う。
「みっちゃんが⁉︎ えぇえ⁉︎」
「うちも、増田さんに声掛けてもらった時は、いよいよかぁ! ってなりましたよ。なぁ!」そう言って頷き合うのは、増田の隣に立つ、今回、初めて顔を合わせる『水織川地震の真相を追う会』のメンバー達だ。「ああ! この間の慰霊祭デモは、あんまり盛り上がらなかったけど! 今度こそ、アイツらを終わらせてやるさ!」彼らは、自分達の活動が、黄金の女神の後ろ盾を得たとばかりに、興奮のまま言葉を吐き出している。
「水織川? ……ああ、みっちゃんの記事!」先日、ここへ来たみっちゃん、こと三輪光彦がオカルト誌に書いた記事が、古屋の脳裏に蘇る。
「そうですよ! 三輪さんは、水織川とIN-PSIDの真実を発信してくれている、数少ない記者さんなんです!」
そう言いながら、先日、古屋が読んだあのオカルト誌の記事を、手早く指輪型端末の空間投影機能で、映し出して見せた。その記事に、皆の視線が集まる。
——…………爬虫類人らは、姿を変え、人間社会に溶け込んでいるのだが、その彼らを支援し、また匿っている国連傘下の組織があるというから驚きだ。情報筋は、その組織を明言しなかったが、筆者は、『国際PSI災害研究機関IN-PSID』が、何らかの関与をしているものと疑念を持っている——
「……古屋さん、貴方も、あの震災でご家族を亡くされたって聞きました! そんな貴方が、決起してくださったんだ! 私たちも一緒に戦わせてください‼︎」
「水織川……震災……あぁ……!」
今しがた、ヴァーチャル空間に再現された、あの地震の光景が、古屋の眼前に再び広がる。その上に重なって、脳裏に迸る閃光に浮かび上がる影——
足場が崩れ、屋根の落ちた倉庫のような建物——
並んだ二つの遺体収容袋——
「あ……明子……陽樹ぃ……」
赤黒い血の池のようなものが広がり、その光景を飲み込んでゆく。
『……私を信じなさい……』
「あ……んぐっ! ……」「ふ、古屋さん⁉︎」
赤黒い血の池が、激しく渦を巻いて全身に駆け巡る感覚を覚え、古屋はたまらず腹を抱えて膝を折る。
『……世界を混沌と破壊から救うため……悪を滅ぼすのです……』身体中に女神の言葉が響き渡るのと同時に、全身の血液が沸き立っているかのような感覚に、古屋は身悶える。
「しっかりして! 古屋さん!」「古屋さん‼︎」
『さあ、立つのです! 我が、愛するものよ!』
すると、古屋はゆっくりと腰をあげ、よろける足で立ち上がると、テーブルに置かれた水をグラスにドバドバと注ぎ、一気に飲み干した。
「はぁ……はぁあぁ!」額に汗を滲ませ、荒く呼吸する古屋の頬は、幾分、赤くほてっていた。古屋が皆の方を振り返ると、中空に投影されたままの記事が目に飛び込んでくる。
「IN-PSID……IN-PSIDがあの地震を……ほんとうなんだね……」古屋は皆に問いかける。
「……え、あ、ああ……」「うん……まあ……」
「そうだ! そうだぞ! 古屋くん!」皆が曖昧な答えをする中、増田が声を張り上げた。
「そうか……わかったよ。やろう! いや、やらなきゃならない! 僕たちが‼︎ 女神様に選ばれた、この僕たちが‼︎」一同から歓声が沸き起こり、友恵は感動に涙した。
「IN-PSIDの悪事を明るみにし! 女神の説く巨悪を示す‼︎ 巨悪と戦おう‼︎ 我らの世界と! 女神のために‼︎」古屋は、胸の内から流れ出る、まるでもう一人の自分のようなものの熱情をそのまま吐き出していた。
「いいぞ! 古屋さん‼︎」「女神万歳‼︎」「IN-PSIDをぶちのめそう‼︎」
「ふーるや!」「ふーるや!」増田が、友恵が手拍子をつけて始めたコールが、田嶋に、笹原に、梅沢に、そして、その場の皆に一斉に広がっていった。




