幻影に包まれて 1
甲府盆地の北部、山間の小さな町に、シトシトと降り始めた雨は、午後三時を回る頃になっても止む気配はない。晴れの日が多いこの地域に雨足が伸びてくるのは、台風の前触れかもしれないと思いながら、古屋は、彼の経営する小さなレストランのドア看板を『準備中』に裏返した。
この雨だ。夜も客足はないかもしれないと、古屋が店の中へ戻ろうとした、その時。
「古屋さん」呼びかけられた声に、古屋が振り向けば、傘をさした中年から壮年程度の男女が五名。どこかで会った顔だと思いながら、古屋は記憶を遡る。
「ああ、増田さん? それに友恵さん? 田嶋くんも! あと、ええと……」「増田さんと一緒に活動してます、梅沢です」「笹原です」
増田はPSI推進反対運動のNPO団体の主催者、友恵と呼ばれた夫人は、食品の安全や健康について、スピリチュアル系にも踏み込んだ啓発団体の、この地域の代表。田嶋は、その会で有機農法の啓蒙を担当し、古屋とも何度か仕事の付き合いがあった。
「いや、どうして? みんな揃って……」「はは、私たちだけじゃないぞ」増田がそう言っている間に、何台かの自動タクシーが連なってやってくる。
「まぁ、こんな雨だ、とにかく中に入れてくれ」増田の愛嬌ある笑顔に、古屋はハッとなり、慌ててドアを開けた。
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『神子……神の子ですか……』上杉は直人が口にしたその言葉に、引っかかりを覚える。
「上杉くん、何か?」藤川の問いかけに、皆の視線は直人から上杉へと移る。
『……捜査中の案件も含むので、詳しくは話せませんが。一つは、あの諏訪の森部の教団です。彼らは、咲磨くんのことを『ミコガミサマ』と呼んでいました。お話し頂いた『神子』と関係があるかはわかりませんが……』
「えっ、じゃあもしかして、咲磨くんも神子ってやつ?」「あるかもなぁ。教団のせいとはいえ、あんなヤマタノオロチを現象化させちまったんだぜ」サニとティムは、身を乗り出して推察する。
『それともう一つ。『オモトワ』事件の主犯とされた『八百万神の国信教団』。逮捕した幹部は、獄中で変死してしまったのですが、ある言葉を何度か口走っていました』
言葉を区切る上杉。モニター越しの上杉の視線が自分に向けられている気がして、サニはハッとなる。
『その言葉は……『マガツの神子』……そう、サニさん。貴女がおっしゃった言葉です』
「えっ⁉︎」サニは目を丸めた。一同も驚きを隠せない。
「そ、それでは……介入者の正体は……その八百万……?」東は問い返す。
『はっきりとは申し上げられませんが、少なくとも『八百万神の国信教団』には、現在は解散命令が下り、活動できるような状況ではありませんね……』
「大きな陰……」卓状に両肘を立て、口を隠すように両手を組んだ藤川が、呟くように言った。
「オモトワの事件の背後に、大きな陰を感じる……君はそう言ったな、上杉くん。我々の今回の騒動も含め、世界の裏側から、何か大きな力が働いていると……君はそう考えているようだが……」
『……一つの仮説です。捜査に関わるので、これ以上は』上杉は口を固く結んだ。
「神子……それにマガツの神子……神子にも色々あるのかなぁ? ってか、マガツって何よ」サニは腕を組んで首を傾げる。
「マガツ……『禍々しい』、災厄や凶事のことだ。マガツの神子は、おおかた、『災いを呼ぶ神子』といったところか?」と東。
「災いって……あのババァ‼︎ もう、失礼しちゃうわ!」オセアニアのミッションで、自分を『マガツの神子』と呼んだ女の声が思い出され、サニは眉を吊り上げた。
「じゃあ、そのヤオロズ……なんたらは、オモトワでマガツの神子ってのを集めて、んで」ティムは、喉元にナイフのように手刀を当て、切り裂くジェスチャーをしてみせる。
「そんなところだろう」藤川は同意しつつ、上杉の反応を窺う。上杉は、手元に用意していた紅茶をそっと傾けていた。
「大きな陰……すると、我々が今、問題にしている『ノヴス・ドミヌス』がオモトワや神子にも関わっていた、と?」東が藤川と上杉、両方に問いかける。
『まあ、状況証拠は揃ってきたしな。その線は濃厚だろう! なぁ、上杉くん!』勇人は一件落着と言わんばかりに、上杉に言葉を投げる。上杉は、澄ました笑みで答え、紅茶をもう一口含んだ。
「……結論を出すのは、まだ早いと思うのだがね」と藤川は険しい視線を勇人に投げつける。
『……っと。はいはい、オブザーバーは大人しくしてますよ』そう言って、勇人は、紅茶、紅茶と口にしながら中座した。
「しかし、オセアニア以降……バビロニア以外で、それらしい介入は……」東は資料を紐解きながら眉を顰める。
「強いて言えば、EUの<ノルン>のケースかしら……でもあれは……」カミラは顔を曇らせ、アランを見つめる。眉を顰め、カミラの視線から逃げるように顔をあげ、アランは口を開く。
「介入……というより、あれは『乗っ取り』だったな、<ノルン>の……」頷く直人とサニ。
「乗っ取り……確かに、バビロニアの<イシュタル>も……PSI-Linkシステムが乗っ取られたと言ってもいい」「NUSAの<リーベルタース>も似たようなもんだったぜ」東の発言に、ティムは被せて言った。その時、中座していたアイリーンと田中が戻り、飲み物を皆に配り始める。
『興味深いですね。差し障りなければ、そのあたりも、お聞かせ願えますか?』と上杉。
「いいぜ!」と言いながら、ティムは、東と藤川に目配せする。二人は軽く頷いた。
「NUSAのミッションは、月のインナースペースが対象になったんだ」『月⁉︎ あの、夜空に浮かぶ月か?』紅茶のカップと砂糖壺を両手に戻った勇人が訊き返してくる。
「他にどの月があるんだよ。ニュースにもなってたから言っても構わんと思うけど、<リーベルタース>の史上初のワープ機関を使って、月のインナースペースへひとっ飛びさ」
『かぁあぁ! すげぇな、お前んところのPSIクラフトは、コウ』「支部ごとに、最先端技術のテストベッドになっているケースもある。NUSAはその最たる例だ」『へぇええぇ〜』勇人は、紅茶に砂糖をたんまりと入れ、ティースプーンでかき回し始めた。
「ミッションの依頼は『月』のPSIシンドローム療養施設、『ルナ・フィリア』から。インナースペース起因の可能性がある怪事件を調べてほしいという話だったんだが……」自席の端末で、東の資料の中から関連レポートを立ち上げながら、ティムは語り出す。
「意外や意外! これがとんだ陰謀劇の始まり、始まり! ときたもんだ!」卓を叩いて調子をつけた、講談師まがいのティムの口ぶりに、皆、飲み物を口に運ぶ手を止める。




