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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第四章 ノヴス・ドミヌス

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縁(えにし) 1

 午前十時頃。IN-PSID本部、長期療養棟内——


「では、本日、実世は一セット目、亜夢は三セット目。始めるわよ」


 貴美子はタイマーをセットしながら、処置室のモニター画面の向こうへマイクを通して呼びかける。


 モニターには、室内のベッドに腰掛けた亜夢。その目の前に、並々と水が注がれた大きめのメモリ付き容器が置かれ、亜夢は苦虫を潰したような顔で、その水面を睨め付けている。


「神取先生。亜夢はさっき、残したの。きっちり見張ってて」「はい、了解です。医院長」モニタールームで、貴美子の隣席に座る神取は、ニコリともせず答えた。


『うぅ〜〜、神取ぃ〜〜。お腹いたいのぉ。あとで飲むからぁ〜〜』「ダメですよ。しっかり見てますからね。ちゃんと飲んだら、飴あげます」


『神取の飴……もう飽きた……』「ほう……飽きた……ですか……」先週までは、飴程度で騙し騙し、この『活性化 PSI補填水』を飲ませることもできたのだが……


「亜夢、何度も言うけど、貴女の魂と、身体との繋がりは、普段は通常の人の半分程度。身体に充分、魂のエネルギーが行き渡っていないの。その水は、それを補うお薬。ちゃんと飲まないと、元気が出なくなるだけじゃない。命にも関わるのよ。それに今朝、かなりの寝汗だったでしょ? 軽く脱水にもなっているから、いつもより多めに飲んでもらうわ」


 すっかり厳しい医者の面持ちで、マイクに向かって言葉を並び立てる貴美子に、亜夢は、唸って不満を漏らすくらいしかできない。


『そんな言い方じゃ……お母さん……ゴホッ……亜夢ちゃん、ますます嫌になっちゃうわ……』亜夢の隣の別室には、亜夢ほどの頻度、量ではないが、同じように『活性化 PSI補填水』の療法を続けている実世が、同じように待機していた。今回は、ちょうどタイミングが合い、亜夢と一緒に入室したのだったが……


『実世ママァ……』『亜夢ちゃん……私……亜夢ちゃんより、飲む量もずっと少ないんだけど……ゴホッ……私も……ホントは苦手なの……コレ……』


『ママもぉ?』


 貴美子と神取は、口を閉ざし、モニター越しの二人のやりとりを見守る。


『うん……でも、ちゃんと飲まないと……だから……ゴホッ……亜夢ちゃんも……一緒に飲んでくれる? ……亜夢ちゃんとなら……頑張って飲めそうだから……ね、お願い?』実世は、亜夢より一回り小さい、水で満たされた容器を持ち上げ、力無く微笑んだ。


『うぅ〜〜……うん……わかったよ。亜夢、飲む! 一緒に頑張る!』『ありがとう……亜夢ちゃん……お母さん、それじゃ……始めて』


 貴美子は、実世に微笑んで、心の中で、ありがとうと呟いた。


「それじゃ、二人とも、だいたい六十秒で飲み切るくらいのペースで、ゆっくりとね。はい……スタート!」


 貴美子の合図で、実世は静かに容器に口をつけ、亜夢は、目を瞑って流し込む。 


「亜夢、もうちょっと、ゆっくりよ」貴美子が、亜夢に声をかけた、その時。


 処置室のドアが開く音に貴美子が振り向くと、真世に案内されてきた、二人の女性が入室してくる。


「貴美子さぁん! お久しぶりですぅ!」


「よく来たわ! 聖美さん! それに……」


「沙耶です。ご無沙汰してます」沙耶は、軽く会釈し、垂れた長い黒髪をかき上げた。


「久しぶりねぇ。元気にしてたの?」「えぇ。この度は、色々と面倒をおかけしてしまってぇ、うちの直人も……あ、これ。大したものではないのですが」聖美は、ぺこぺこと頭を下げながら、いそいそと持ってきた紙袋を貴美子に手渡す。


「そんな、気をつかってくれなくてよかったのに。そもそもウチの問題に巻き込んでしまって……大変だったんじゃない? ……あら、信州そば?」「いぃえぇ〜。弘蔵先生にもご挨拶したかったのだけど……お忙しいみたいで……」「いいのよぉ〜。あの人、蕎麦好きだから、ありがとう。あとで一緒にいただくわ……」「先生」神取の起伏のない声が、二人のお喋りを止める。


「あ! いけない!」タイマーは残り五秒。


 大きな吐息と共に、亜夢が容器を置き、次いで実世が置く。そのタイミングでタイマーのアラートが鳴った。


「二人とも、よく頑張ったわ。ちょっと待っててね」神取が処置室の電磁結界を解除している間、貴美子は、二人のバイタルデータに目を通し、異常がないことを確認して、退室の許可を出す。


「うげぇぇえ〜〜、神取ぃ。飴……ちょうだい」退室早々、神取に手を差し出す亜夢。「いらなかったのでは?」亜夢は、水に濡れた犬のように、髪を振り乱して首を振る。神取は、表情を変えることなくポケットから飴を一つ取り出し、亜夢の掌に乗せてやった。


 亜夢が気だるそうに、飴を頬張っている間に、真世は、車椅子の実世を手伝って処置室から出していた。


「実世ぉ〜。久しぶり! 会いたかったわぁ」聖美は、実世の手をとり微笑みかける。


「聖美さん……お元気そうで……ゴホッ……」


「あ……ごめんなさい……大丈夫?」心配そうに覗き込む聖美に、なんとか笑顔を作り、実世は小さく首を振る。


「うん……これ飲んだ後……少し眠らないといけないから……また、明日にでも……」「そう……じゃあ、また改めて……」「ええ。楽しみにしてるわ……」


 真世は、聖美と沙耶に軽く会釈すると、早々に母の車椅子を押し、その部屋を後にする。


「実世……」二人の去った方を向いたまま、聖美は呟く。


「……難しいのよ……あの子。本当なら、もう……苦しい思いをさせて……生かしている……えぇ……親のエゴよ……それでも、生きててほしいの……」処置の後片付けをしながら、貴美子は独白するように言った。


「貴美子さん……」


「ちょ、ちょ、ちょっと⁉︎ 何、何なの、この子⁉︎」


 沙耶の素っ頓狂な声に、聖美が振り返ると、下から覗き上げる亜夢に、沙耶が仰け反っている。大した身長差もない二人の、互いの顔の距離は、キスでもできそうなくらいだ。


「ち、ち……近いから‼︎」


「なおと? ……あれぇ……なおとみたいな匂い……」


 亜夢の大きな瞳から、沙耶は不思議と逃れることができないまま、壁際に追い詰められていた。


「え、なお……? お兄ちゃん⁉︎」


「お兄……ちゃん? ……って、なに? ……もとかぁ……? ……のぉ??」


「はぁ⁉︎ た、ただの妹よ!」「いもうとぉ〜〜?」

「あ、あなたこそ、お兄ちゃんの、な、な何?」「ん?」


 亜夢は、聞き返されてきょとんとなり、一歩下がる。沙耶は、やっと息ができる心地だった。


「ん〜〜? こい……こい?? こいぃ〜〜」亜夢は首を傾げて、口の中で飴を転がしながら、言葉を思い出そうと唸っている。


「こい……びと……?」恐る恐る沙耶が訊ねると、亜夢の顔がパァっと明るくなった。


「そう! こい……こいびと! こいびとだよ!」


「えっ……まじ……お兄ちゃんの……彼女……うそ……」貴美子は吹き出し、沙耶は、奇妙なポーズのまま、壁に貼り付けられたように固まる。聖美は、あらあら、ずいぶん仲良くなったのねと、二人をにこやかに見つめる。


「神取!」亜夢は、沙耶を見つめたまま神取に向かって、手を伸ばす。察した神取は、無言でポケットから飴を取り出し、その手に乗せてやった。


「はい!」 その飴を沙耶に差し出す亜夢。


「く……くれる……の?」「うん!」亜夢は思いっきり頷く。


「あ、ありがとう……」沙耶が受け取ると、亜夢は見せつけるようにゴロゴロと口の中で飴を転がす。逆らえるか、これ……と、沙耶は急いで飴を口に入れた。亜夢の見開かれた両眼にしっかりと見据えられ、沙耶は、亜夢と同じように、二、三回飴を口の中で転がしてみせた。


「これでなかよし! いもうと‼︎」「は……はいぃ……?」満面の笑みで亜夢は、引き攣ったままの沙耶の手を引き、その部屋から駆け出した。

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