波打際の輝石 5
「……もしもし……ああ、あんたか…………回線? へへ、もちろん。いつもの『闇電波』さ。悟られやしない。あんたの言ったとおりだったよ。もう少し遅けりゃ、パクられてたかもな、へへ」
今どき珍しい、実体のある年代物の通信端末を片耳に押し当てながら、年の割に若作りな男は窓辺に腰掛け、カーテンの隙間から眼下の街を見下ろす。
鳥海まほろば市の玄関口に立つホテルからは、国道からIN-PSID本部、付属大学地区へと直通する幹線道路、市街地側、反対の海岸側に伸びる市内主要道路の交差点が良く見え、警察の検問のチェックを受けながら、一台一台と通過していく車列が見える。
廊下からは家族連れだろうか、子供の賑やかな声とそれを嗜める親の声が聞こえてきた。IN-PSIDの呼びかけに応じた避難者らが、続々と宿入りしているようだ。
「……楽しそうなこって。『爬虫類人』どもの街へようこそってか。はしゃいでると喰われだぞぉ〜〜。へへっ!」廊下の声に、独り言を投げかけながら、にやけた口に缶ビールを流し込む。
「……はいはい。真面目にやっとりますよ。大まじめさ! …………あぁ、この様子じゃ、俺以外、入り込んでる記者はいねぇだろうな。ま、ご期待どおり、特報あげてみせますって!」
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「ナオ〜!」「お兄ちゃん‼︎」
直人がIN-PSID本部、エントランスホールに入った時には、避難の人々と、鳥海まほろば市で暮らす、彼らの家族、IN-PSID職員らでごった返していた。
人混みの中から呼ぶ声に気付き、視線をそちらに向けると、立って手を大きく振る、ジーンズにシンプルなシャツの、長い黒髪の若い女性と、ベンチに腰掛けた、柔和な笑みを絶やさない、アースカラーのワンピースを着た、落ち着いた雰囲気の女性が目に留まった。直人が駆け寄るより早く、若い女性の方から近づいてくる。
「沙耶」「もう! なんで駅まで迎えに来てくれないのぉ!」「ごめん、どちらにしろ一回、ここには来ることになるし……」「避難の連絡だって! なんで東さんから⁉︎ 普通、お兄ちゃんでしょ⁉︎」「いや……チーフの方から……連絡してくれるって」「それでも! 電話の一本くらいするでしょ⁉︎」「えっ、あっ……ま、ごめん……」直人は、沙耶の言葉のマシンガンにたじろぐしかない。『これが嫌だったから』とは口が裂けても言えない……
「もう、沙耶。いい加減にしなさい。ナオにも都合があるんだから、ねぇ……」「か……母さん……大変だったね……あれ、荷物は?」
母、聖美も沙耶も、避難という割に、ハンドバッグ一つくらいの軽装だ。
「ぜんぶ、ホテルに送っちゃったから」「ホテル?」
直人はてっきり自分の狭いアパートに、しばらく二人を泊めなくてはならないのかと思っていた。
「えぇ。ほら、来月のフェス。私たちも出演の招待、もらってたでしょ。それでね……」
なんでも聖美が言うには、来月の『IN-PSIDカルチャーフェスティバル』に、声楽家の沙耶と、ピアニストの聖美は、出演ゲストとして招待されていたのだが、ホテルも本来はそのために、藤川の計らいで、抑えてもらっていたのだという。もとは二週間後からの予定であったが、それをホテル側と交渉して前倒し、宿泊期間を伸ばしてもらったそうだ。
「……あ、それか。宿泊の調整とか、東さんが言ってたのは……」「もう……何から何まで、所長さん達には、お世話になっちゃって……。あ、そうそう所長さんと東さんは?」そう言いながら、ベンチに置いた土産の紙袋をいそいそと持ち上げる聖美。
「いや……今は……」「ちょっと、お母さん。この状況、今はそれどころじゃないわよ。落ち着いてからにしましょ!」言いかけた直人を遮って、沙耶が言う。
「そう? でも、ご挨拶は早めに……」「もう! だから! はぁ……なんで、お母さんも、お兄ちゃんも、どうして、こう〜〜」頭を抱える沙耶。
「賑やかねぇ、センパイ」「よっ、お前も来てたんか」かけられた声に振り向く直人。いつものサニとティムだ。よりによって、こういうタイミングで、と直人は顔を顰めた。
「あぁ⁉︎ もしかして貴女‼︎」「えっと、確か……サヤちゃんかぁ⁉︎」
「あっ! あの時の…………酔っ払い‼︎」沙耶の一言に、サニは片足をズルりと前へ滑らせ、ティムは額に手を当てのけ反って見せる。二人のオーバーリアクションを見つめる沙耶の視線が冷たい。
「はは、参ったね、こりゃ……」「いやいや、それはこの変なのだけでぇ〜」とサニは、ティムを横に追いやり一歩進み出る。
「へ、変なの⁉︎ っておい!」ティムはサニに抗議しながら、奇妙な笑顔を沙耶に向ける。
「な、二人とも……来てたんだ……」サニもティムも、身内は海外。オセアニアやNUSAの支部でも同じように関係者の安全確保に動いてるし、待ち合わせもなさそうなものだが、と直人は、怪訝げに二人を見た。
サニは彼女の友人の家族との待ち合わせの付き添いで来たと言う。
「こっちも、ま、避難の手伝いさ、知人のな」とティム。知人が泊まる宿が、まだとれそうか、確認しに来たらしい。
「それより! この間はびっくりさせたよね! 改めて。アタシ、オーストラリアから来た、サニよ」サニの求めた握手に、沙耶は無言で応える。次いでティムも手を差し出した。
「オレはティム。自称、ナオの親友さ」ウィンクを投げかけ、白い前歯を輝かせるティムに、あからさまに辟易した顔を見せ、沙耶はため息を漏らす。
「欧米の男の人っていつもそうですね! 白い前歯でも見せれば、東洋女はイチコロ、とでも思ってるの⁉︎ おにーちゃーん、やっぱり、こんな人と付き合っちゃだめよ!」「さ、沙耶! ……ごめんティム!」ツンと顔を背ける沙耶。ティムは手を差し出したまま呆然と立ち尽くす。
「沙耶! ほら、ティムに謝っ……」「イイ……いいわ……最高だな、オマエの妹……」「はぁああ⁉︎」ポワンと顔を緩ませるティムと、顔を大きく背けたままの妹の横顔を見比べ、直人は言葉を失う。母はごめんなさいと、ぺこぺこと頭を二、三度下げる。
「ね、沙耶さん、そのくらいにした方がいいよ。コイツ……新たな性癖の扉を開きかけてるわ……」「えっ、は……はぁあ?」サニの言葉に沙耶が、反応した時。
「ティム兄ちゃん‼︎」その声に、緩んだティムの顔が一瞬で真顔に戻り、声の方へと振り返る。人ごみをすり抜けて、小さな男の子が駆け寄って来た。
「こ、航星!」ティムが気づいた時には、航星はティムの手を捕まえていた。
「だ、誰……? この子」きょとんとなる直人、対してサニは、ぷっと吹き出した。
「あ、いや、えーと、近所の……」ティムがそわそわしながらあたりを見回すより早く、航星が振り返って大きく手を振る。
「ママ〜〜‼︎ ティムいたよ‼︎ こっち、こっち‼︎」その声に反応した細身の、髪をポニーテールに結い上げた女性が、人の列の間を抜けてくる。
「ティム! ごめんね、結局、来ちゃった……」
「ほ、穂波……はは」穂波は、ティムと一緒にいた、直人らに気づく。
「あ、お、オレの仕事仲間……」穂波は、ハッとなって、慌てて皆の方へ会釈する。合わせて聖美が、また何度もぺこぺこするので、何とも奇妙な顔合わせに、サニは、腹を抱えて後ろを向く。
「もう、お父さん! ほんっと、わからずやで……航星とも、また大喧嘩! 勢いで飛び出しちゃって……」穂波は直人らを気にするふうもなく、溜まっていたらしいフラストレーションをティムに吐き出している。
「あ、ああ。大変だったな。とにかく向こうで話そう……じゃ、じゃあな!」そう言って、ティムは航星の手を引き、穂波の肩を押すようにしながら、足早にその場を離れる。
「ごめん、ホテル、やっぱり埋まっててさ……」「えっ……そ、そうよね……じゃ、やっぱり、私たちは天文台に……」「いや、大丈夫……何とかすっから。とりあえず……」ティムと穂波の会話は、次第に人混みの喧騒の中に消えていった。
「あれ、誰……」何か知ってそうに、小笑いするサニに、直人は問う。
「さぁ? ま、そのうち話してくれんじゃない」と返し、聖美と沙耶にバァイと軽く手を振って、サニもまたその場を立ち去った。
「で、お兄ちゃん」「あ、はい……」
「はい、じゃない。ホテルまで、エスコート、よろしくね」と、妹は大した荷物でもない手荷物を、持たせてくる。聖美は、にこにこと兄妹を見守っている。
「はい……」直人は小さく返事して、二人を連れて歩き出した。




