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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第四章 ノヴス・ドミヌス

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変わりゆく世界 2

「ママァ‼︎」


 勢いよく開いた引き戸の入り口から転がり込んでくる嬉々とした声に、実世は、ベッドから身を起こした。


「亜夢ちゃん」実世がそう言う間に、ベッドの傍まで駆け寄った亜夢は、バスケットから透明の菓子袋にラッピングされたピエルニキを一袋取り出してにっこりと微笑む。


「あら、素敵。亜夢ちゃんが作ったの?」「うん!」亜夢は満面の笑みで答えた。


「ちょっと、亜夢! ごめんね、突然。具合……大丈夫?」亜夢に続いて入ってきた真世は、心配気に眉を顰め実世()の顔を覗き込む。


「ええ……」


「ちょうど今、目が覚めたところよ」そう言いながら、洗面室から出てきたのは貴美子だ。


「あ、お婆ちゃん。きてたんだ」


 祖母は、真世に優しく微笑みで答え、洗面所から持ってきた、絞ったタオルを実世に渡す。蒸し暑さがまだ残る季節。寝汗で濡れた首筋や顔に冷たいタオルを当て、実世はほっとため息を漏らした。


「真世、私の分は?」と貴美子。


「あ、うん。亜夢、お婆ちゃんにも」「うん」


 真世は、バスケットの中からもう一袋取り出して、貴美子に手渡した。


「ありがとう。へぇ、よくできてるわ。カミラにこんな特技があったなんてね」貴美子は、マジマジとピエルニキを眺め、あとでコウ(藤川弘蔵。藤川所長)と頂くわ、と白衣のポケットに入れた。


「ね、ママ! 食べて、食べて‼︎」ベッドの端に腰掛けて、亜夢は実世に顔を寄せて、ピエルニキを勧める。


「もう、亜夢!」真世の眉が吊り上がる。


「いいのよ、真世……」そう言いながら、亜夢の頭を軽く撫でてやり、ピエルニキの袋を開け、不恰好な猫を一枚、取り出す。思わず、くすりと笑いが溢れる実世。


「可愛いわね。えっとぉ……」「猫だよ‼︎」「そう……猫。それじゃ、頂くわね」実世がピエルニキを口に運び、小さくひと噛みするのを、亜夢は笑顔のまま、まん丸の瞳で、じっと見つめていた。実世はゆっくりと咀嚼して、飲み込むと亜夢に微笑みかける。わぁぁ、と亜夢の顔に笑顔の大輪が咲いた。


「……うん……美味し……」実世が言いかけた、その時——


 ドクン、と全身に響き渡る鼓動に、実世は両目を見開き、激しく咳き込む。


「ママ‼︎」「実世!」真世は、顔を青ざめさせて母の元へ駆け寄り、貴美子は、すぐに実世を補助してベッドに寝かせる。


「熱い……熱⁉︎」実世の身体に触れた貴美子は、彼女の身体の火照りを感じとり、額や首筋に手を当て触診する。


「真世、タオル! 冷やしてきて!」「う、うん」


「どうしたの⁉︎ ママ⁉︎」「だ……大丈夫……よ、うっ!」


「ママ⁉︎」さらに呼びかけようとする亜夢は、突然、全身を凍り付かせるような悪寒を覚え、ベッドから退く。


 ……下がりなさい‼︎ ……


 胸の裡から湧き上がる、冷徹な声。


「えっ?」


 ……いいから、早く! ……


「う、うん……」声に言われるまま、部屋の隅の方へと後ずさる亜夢。入れ替わるように、真世が冷やし直したタオルを持ってくる。貴美子は、すぐにナースコールを鳴らし、応援を呼ぶ。


「……だ、大丈夫……よ。ごめん……ね、亜夢ちゃん……せっかくの……お菓子……ゴホッ! ……ゴホッ!」「ママ!」身体をさすりながら、呼びかける真世。そうしているうちに、看護師が二人、駆け込んできた。


「あとは、私たちが。二人は部屋に戻りなさい」貴美子は、厳しい口調で真世と亜夢に告げる。


「で、でも!」真世は、その場を離れようとしない。看護師らは、割って入って実世のバイタルチェックを始める。


「……行って……真世……亜夢ちゃんを……」苦しそうに呼吸しながら実世は目を閉じ、貴美子は無言で真世を見つめる。


「……行くわよ……亜夢……」真世は、母に背を向けて言う。


「え、で、でも!」「ここにいても! ……邪魔になるだけ……早く、おいで」そう言って、真世は静かに部屋を出ていった。亜夢は、その後ろ姿と、実世、貴美子の顔を見比べ、小走りで真世を追う。


 ドアの閉まる音がして、実世は薄く両目を開け、貴美子を見つめた。


「……強く、言いすぎたかしら……真世(あの子)には……」貴美子は顔を顰めて、実世を見る。


「いいのよ。強くなってもらわないと……私はもう……ゴホッ……」「そんなこと、言わないで! 実世!」


「わかってるのよ、お母さん……ごめんね……」


 手に残った亜夢の残した不恰好なネコのピエルニキを震える手で持ち上げ、実世は力なく微笑んだ。


「ふふ……かわいい……」


 ゆっくり休んで、と貴美子が酸素マスクを実世に当てると、実世はゆっくりと目を閉じた。


 窓から差し込む夕陽は、刻一刻と藍色の空を引き連れてくる。



 ****


 十八時を過ぎる頃、拠点間会議は終了し、各支部代表のホログラムは、一人、また一人と消えてゆく。


『……藤川本部長、最近、話題になっているヴァーチャルネットの『神の声』騒動はご存知で?』


 まだ残っていたバビロニアの(ほう)が、問いかけてくる。


「うむ……」「そういえば、この拠点間会議には、出ませんでしたね」と、東はやや冗談めかして言った。


『IN-PSIDの通信には、独自のセキュリティが組み込まれていますから、入り込むのは難しいのかもしれませんが……ですが、目撃情報には、『黄金の女神』をみた……というものも』


「『黄金の女神』!?……この間のミッションにも現れたのも……まさか、あれと同じだと⁉︎」真顔に戻った東は、方と藤川の顔を見比べた。


『そこまでは、まだ……ですが……』


「……『黄金の女神』か……関係がないとは、いや、むしろ関連性があると見るべきか。方君、バビロニアの方では?」『はい、すでに調査チームを編成して、ヴァーチャルネットの情報収集と、<イシュタル>のミッションデータの検証を始めています』


「そうか……引き続き、頼む」『はい。では、失礼します』方のホログラムは、両手で軽く拱手礼の形を作り、静かに姿を消した。


『ヴァーチャルネットも、何やら不穏ね……』最後まで残っていたEU支部代表のハンナが言う。藤川、東が頷き返していると、会議は終わったのかね? と、野太い男の声が、通信に入ってくる。すると、ハンナの隣に、恰幅の良い大柄な男性のホログラムが現れた。


『ウォーロック顧問。遅かったですわね』とハンナ。


『国連の方も、まだ非公式だが、ガイアソウル問題を本格的に議論するようになってきていてな。質問責めで、まいったよ』と、太い声で笑う。


 ウォーロックは、会議の議事録を受け取り、サッと目を通すと、グッと身を乗り出して藤川に問いかける。


『オセアニアからも、ガイアソウルの情報が上がってきているな。これとEUに残された、『ユグドラシル』。あれの『クリティカルパス』との同期シミュレーションが、これで進みそうだな』


「ええ。今、それをハンナと話そうと思っていたところです。どうかな、ハンナ?」


『オセアニアからの情報をリアルタイムでユグドラシルに取り込むアルゴリズムは、ほぼ出来上がってます。今週中にも演算結果を出せるかと』


 ハンナは、ユグドラシルの全景をホログラムに出しながら言った。


 運命の木、ユグドラシル——そのいく通りもの枝は、数ある世界の可能性。通常の樹木とは異なり、枝分かれした後に合流している箇所もある。あの、『アランの戻った世界』のように。


 幹から一つの太い枝へ、そしていくつか分岐を分岐を経ながら伸びる、白金に輝く『道筋』が描かれている。クリティカルパスと呼ぶ、ソフィアが見出した、人類と地球の辿る運命の最適解。


 その道筋の上に、明滅する光が見える。光点は今、大きく二つに枝分かれする、その一歩手前にあった。


『この光点は、地球全域の現時現象界の位置を次元観測モデリングしたもの。つまり私たちの世界が、このユグドラシルが示す多世界モデルのどこにいるかを示しているわ。ここに、<クナピピ>のガイアソウルの観測データを同期させれば、その精度はさらに上がる。つまり、私たちの立ち位置とクリティカルパスの同調度合いをより精密に割り出せるということよ』ハンナは、愛おしげに運命の木を見上げながら、説明した。


『今、この時点から、この先、枝が大きく二つに分かれている。世界の、最初の大きな選択が目前に迫っている、ということだな』ウォーロックもユグドラシルを見上げて言う。


 藤川、そして東もその分岐を見上げ、頷いた。


『選択を誤れば、取り返しがつかなくなる可能性もある。このユグドラシルを知るIN-PSIDこそ、世界の命運の鍵を握るだろう。皆、心して最善を尽くしてくれ』


 ウォーロックは、よく通るしっかりとした声で告げると、ハンナ、東、そして藤川、三人の瞳をしっかりと見渡した。

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