女神の愛 4
空いていたティムの隣席にどかっと座り、頬を膨らませ、そっぽを向く亜夢。
「コーヒー、どうぞ」と真世は、淹れたてのコーヒーを皆に配る。ティム、直人、サニの三人は、気まずそうな顔をしながら、ありがとうと、真世の運んできたコーヒーを受け取った。
「はい、亜夢ちゃん」亜夢には、ミルク多めのカフェオレにした。その香りに亜夢の顔は一瞬綻ぶが……心配そうに窺う直人と目が合うと、またぷいと横を向く。
「……もぅ……センパイが、『ワンジナ』とかいうから……」「えっ、いや、それ……サニも……」「そうじゃないでしょ、鈍感」
サニと直人が小声で言い合ってる間に、真世とアイリーンも席に着く。微妙な空気になってしまったが、カミラは仕切り直しとばかりに立ち上がり、明るい声で集まってくれたことへの謝意を述べ、簡単に挨拶する。
「……それじゃ、頂きましょう!」というカミラに応じて、ティムが大げさに「頂きま〜す」と言うので、皆も釣られて「頂きます」を口にして、ワイワイとお茶会がスタートした。
さっそくピエルニキを口に運んだ子供達が、旨い、美味しい、と声を上げ、アイリーン、齋藤、入居者やスタッフらも舌鼓を打つ。カミラは、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「亜夢、そ、それじゃ頂くね……」と、直人。ハッとなって亜夢は、直人の顔を窺い見て、小さく頷く。
皿の三分の一ほどを占める大きな顔。苦悶に歪んだワンジナ、もとい『猫』。その窪んだ両目は、まるで食されることを恨めしく見つめる、狩られた獲物の瞳のようだ。亜夢は、不貞腐れた顔にも関わらず、両目は見開いて直人を見つめる。
……ああ、そうだ。オレが鈍感だから。亜夢が一生懸命作ったコイツを……猫と気付けなかったばっかりに……
……ああ、ね、猫……猫と呼ばれしものよ……そんな目でオレを見ないでくれ……そ、そうだよな……亜夢の悲しみ……悔しさ……オレが……もう全部食べて供養するしか……
もはや、覚悟を固める他ない——直人は、大きく息と唾を飲み込み、その、どうにも食欲を減衰させんばかりの、亜夢が『猫』と呼ぶ物体を口に押し込む。
亜夢は上目遣い気味に、直人を見つめている。
「あ……」一口かじれば、優しい甘みに、ほのかなジンジャーの香り(子供も食べるということで、スパイスは量を控えめにしてある)がアクセントを効かせ、舌の上で絶妙なハーモニーを奏でる。
「旨い……美味しいよ、亜夢」直人は、素直に言った。亜夢の顔は、快晴の秋空のように、途端にぱあっと明るくなる。
「……ま〜〜、そりゃ生地は一緒だもんね。うん……いける!」十字架のピエルニキを頬張りながら、サニは言う。
「生地も亜夢が一生懸命、練ったのよ」っと、カミラ。「そっかぁ! 亜夢、お菓子作り、うまいんじゃね?」っと、ティムは続けた。亜夢は、自分の皿の、『もう一つの猫』をとって、口に入れると、顔を満面の笑みに急変させる。
甘さに満たされれば、自ずとコーヒーに手が伸びる。コーヒーカップを手にとる直人。彼の対角の位置に座った真世が、その様子を静かに見守っていることに、直人は気づきもしない。
直人につられるように、サニとティムも、コーヒーカップをとり、一口飲む。
「うっわ⁉︎」「かなり……苦いな、コレ」
二人の反応に、アイリーンはクスクスっと笑う一方で、真世は、顔を白くする。
「……でも」カップからゆっくり口を離した直人は、慈しむような瞳でカップの中を覗いている。
「苦いけど……だんだん、甘みも広がってきて……コクも深い……なんか、こう……苦味の中に、大事なものがたくさん詰まっている感じ……好きだな、こういうの」
「ふふ。このコーヒー豆、真世のセレクトよ」と、アイリーン。ティムとサニは、えっ、とバツの悪そうな顔を浮かべ、直人は、真世の方を向くと、真世と視線が合ってしまう。二人ははそそくさと目を逸らし、直人はコーヒーをもう一口含み、真世は、ほっとため息を漏らした。亜夢は、そんな二人を不思議そうに見ているうちに、胸の奥で何かがきゅっとなった気がして、カフェオレのカップに手を伸ばす。
「スマトラ・マンデリン。まぁコレ、所長からのお裾分け、だけどね」と、アイリーンは、入手の経緯を説明する。
スマトラマンデリンは、その名のとおり、インドネシア、スマトラ島北部の限られた高原地域で生産されるアラビカ種のコーヒーだ。温暖化が進んだ二十二世紀には、コーヒーの生産が難しくなる地域も増え、このスマトラマンデリンも例外ではなかったが、IN-PSIDオセアニアで開発したPSI情報場農法で数年前にコーヒー農園を復活させ少量生産ではあるが、天然のスマトラマンデリンの栽培が可能になった。その技術提供が縁で、IN-PSIDにスマトラマンデリンを贈答してくれるらしい。オセアニアから本部や各支部にも毎年お届けがあるらしいのだが、特に今回の豆は、スマトラ島近くに建設された、軌道エレベーターの開所記念限定品という、レア物だそうだ。
所長らは会議が入り、お茶会に参加できなくなってしまったが、代わりにアイリーンにこのコーヒー豆を持たせてくれたという。
「苦いけど、旨いぞって、所長言ってたけど……」
アイリーンも、一口飲んでみる。
「ほんと……これはかなりね」アイリーンも少し眉を顰める。
「でも……これ、私も好きよ」とカミラは、ピエルニキと合わせながら、スマトラマンデリンの味わいを愉しんでいる。
「ん、亜夢は大丈夫なん? カフェオレではあるけど……」と、ティムは隣で美味しそうにカップを傾ける亜夢に気づいて言った。
「亜夢のはこっち。私のオススメ」と、アイリーンは、コーヒー豆の袋を見せて言う。先ほど真世にバランスの良い豆と説明したものだ。苦いのはちょっとと言う齋藤と、入居者らに配ったのも同じらしい。
「はは、オレたちは、ビター系ってかぃ? 真世?」と、ティムは苦笑気味に言った。
「えっ……あ、うん……なんとなく……」真世は一瞬、チラリと直人を見てカップに視線を戻す。
「やっぱり苦かったかな……」と真世は苦笑しつつも、直人が美味しいというので静かに微笑みながら、自分もその苦いコーヒーをブラックで試してみる。苦いながらに深い味わい。これまでのミッションで、オペレーターとして直人を見守ってきた真世は、その彼のミッションに臨む姿勢をコーヒーに重ね、風間くんみたい……と心の中で呟いていた。




