女神の愛 3
「わぁ〜〜、いい匂い〜〜」「ホットケーキだ‼︎」「えー、ドーナツがいい〜〜」療養棟に長期入居している十名ほどの子供達、それに続いて、中年から年配と、年齢もまばらな入居者の男女数名、そしてカミラがここで世話になっているスタッフらが数名、食堂に入ってくる。インフォメーションボードに簡単な案内を出した程度だから、そんなものだろうと、カミラは少し安心した。ピエルニキ作りなど久しぶり、それに限られた時間と材料で作れる量もそう多くはない。なにせ、お茶会なんて催しを、自分で企画したことなど、人生で初めてだ。
「亜夢姐ちゃん! 何作ってんのー⁉︎」腕白そうな小学生くらいの男の子が、亜夢の姿を見つけ駆け寄って声をかける。
「えーとぉ……ピ……ん? ……ピエ〜〜……」亜夢は頭を捻る。「ピエ?」後から周りに集まってきた子供達も、亜夢と一緒に首を傾げる。
「わかった! ピエロ‼︎」男の子が得意げに言う。「あんたバカぁ⁉︎」「うっせぇ、じゃ、お前わかんのかよ!」「匂いでわかるじゃん! ドーナツ! 絶対ドーナツ‼︎」「ホットケーキ! ピエロの絵が描いてあんだよ!」わいわいと盛り上がる子供達にカミラは近寄って、子供たちの目線の高さに腰を落とす。
「ピエルニキっていう、私の大好きなお菓子よ。気に入ってもらえるといいのだけど……」子ども達の目を見て優しく言うカミラ。
「う……うん……俺、好きだ、それ! ……たぶん」男の子は頬を少し赤らめ、カミラに真顔で答える。
「よかった……」微笑んで、カミラは腰を上げた。
顔を真っ赤にして後ろを向く男の子。「ほんと、バーカ」女の子はそんな彼をジトーッとした横目で見ている。
「やっぱ……雰囲気、変わったよね」アイリーンは、真世に耳打ちする。うん、と小さく頷く真世。カミラは、ふと振り返り、二人の視線に気づく。
「……何よ?」「べっつにぃ〜〜」
クスッと笑みをこぼすアイリーンと真世。カミラは、小さくため息をこぼし、もうすぐ焼き上がりの時間だと、亜夢に声をかけようとした。亜夢は子供達に囲まれながら、入り口の方を気にしている。
そうしていると、間も無くティムと直人が、食堂へと入ってきた。もちろん、カミラが招待したのだったが……。亜夢が、直人の姿を認め、ハッと息を飲んだのと、キッチンタイマーが、定められた時間の報せを発するのは同時だった。
直人が亜夢に気づいて、声をかけようとした途端、亜夢はプイッと振り返り、厨房の方へ駆け出し、オーブンに向かう。
「カ、カミラ! 焼けたよ! 早く‼︎」「ハイハイ。二人とも、そこのテーブルにどうぞ」とティムと直人に告げ、カミラはパタパタと厨房へ向かう。面白がって厨房の方へ行こうとする子供達を齋藤がうまいこと誘導して、テーブルにつかせた。
「なんだか……」「新鮮だな……隊長のエプロン姿」「う……うん……」直人とティムは、キツネに摘まれたような顔で、キッチンで作業するカミラを見つめる。
「亜夢、さっき冷やしておいた方はどうかしら?」
亜夢は冷蔵庫を覗いてみる。一回目に焼いたピエルニキは、しっとりと固まり、ほのかにジンジャーと蜂蜜の香りが立ち、亜夢の食欲をかき立てる。型抜きで作ったものが大半だが、亜夢が一生懸命作った、色々な形のモノもある。
「よし‼︎」と、亜夢は満足げに満面の笑顔を浮かべ、固まったピエルニキ四〇個ほどずつ乗せたトレイ二枚を、順に冷蔵庫から慎重に取り出す。
カミラはオーブンから焼き上がったばかりのピエルニキのトレイを作業台に移すと、亜夢が冷蔵庫から出した方のトレイを覗き込んだ。
「いい感じね。さ、お皿に分けて配りましょう」「うん!」
せっせと手を動かす亜夢。時折、顔をあげ、カウンター越しに、席についた直人をチラチラと見ている。直人には全く気づかれなかったが、準備のできた皿から運ぶ真世と、ふと目が合ってしまう。亜夢は、咄嗟に目を逸らし、真世は、ふと直人の方を向いた。直人がふと視線を上げたので、今度は真世と直人の目が合ってしまい、二人はとっさに視線を外す。
そんな三人の様子を、カミラがぼんやりと見つめていると、アイリーンがコーヒー豆を手に、真世に声をかけた。
「お茶会っだっていうから、特別に良いの、持ってきたの。カミラも、直人達もコーヒー党でしょ? 真世、選んでちょうだい。皆に合いそうなのを」そう言うとアイリーンは、三種のコーヒー豆の袋をテーブルに並べる。酸味の強い豆、苦味の強い深煎りの豆、そしてバランスの良い豆だと、アイリーンは簡単に説明を加えた。
真世は皆を見渡し、そして最後に直人をちらりと見て、しばし考える。
「じゃ……これで」「オッケー。淹れるの、手伝って」「うん」
真世とアイリーンも厨房へ向かい、コーヒーミルやサーバーの準備にかかる。
「遅くなってごめ〜ん!」と、食堂に入ってきたのは、サニだった。サニは、ジムでベリーダンスの特別レッスンに参加してて遅くなった、などと言いながら、端に座った直人の隣の席に着く。
「お前、ま〜だやってたん? 腹踊り」と、ティムが腹を突き出し、両手をヒラヒラさせて、おどけて茶化す。
「また蹴り、入れられたいんか、ワレ〜〜!」とサニがイキリ立つ。まあまあ、と正面のティムと隣のサニの間に挟まれる形になってしまった直人が宥める。サニはベーっとティムに舌を出して見せ、そうそう、と持ってきた紙袋をテーブルに出す。
「お土産よ」「あら、いいわね。どこか行ってきたの?」カウンター向こうから、コーヒー豆を挽きながら、アイリーンが訊ねる。
「青森よ。あんまり遠く、行けないし。有名どころは行き尽くしちゃったから。東北で、まだ行ったことないところ行こって話になって〜」と、サニは、買ってきたお土産を配って回る。乾燥りんごをチョコレートでコーティングした、前世紀から続く人気商品だ。
「え、青森? お婆ちゃん、確か、青森出身よ」コーヒーサーバーを準備しながら、真世が言う。
「え、貴美子先生? そうなん?」とティム。
「うん。なんでも、お婆ちゃんの祖先、恐山のイタコなんだとか……」真世は、コーヒーサーバーに、ドリッパーとペーパーフィルターをセットして、アイリーンが挽き終えたコーヒー粉を入れている。
「じゃ、案外、先生も真世も、霊感とかあったりしてね?」アイリーンは、ドリンクサーバーからケトルにお湯を注ぎいれながら、クスッと笑う。
「こ……怖いこと、言わないでよ」真世は、眉を顰めた。ガラスのコーヒーサーバーに映り込む自分の顔。そこに、最近よく現れる幻覚の、『あの白い顔』が重なっていたように見えて、ブルブルと身体を震わせ、顔を青ざめさせた。
「ちょ……冗談よ。随分、苦手なのね?」と真世の隣に戻ったアイリーンが、少し驚いて言う。
「う……うん……」こくりと頷く真世は、自分の胸の裡で何かが、嘲笑うような声を聞いた気がした。
「じゃ、ほら。蒸気で少しはあったまるんじゃない」と、アイリーンは汲みたてのお湯をたっぷり入れたケトルを真世に持たせる。
「わ、私、あんまりやったことないんだけど……」ドリンクサーバーが充実しているIN-PSID施設内や、この療養棟で、ハンドドリップでコーヒーを入れることは滅多にない。躊躇する真世に、教えてあげるから、とアイリーン。真世は直人の方をチラッと見る。
テーブルでは、子供達、入居者のテーブルに、ピエルニキを配り終えた亜夢とカミラが、直人らのテーブルにも配り始めたところだった。
「これ……蛇?」「これは、うーん、魚だ! きっと!」子供達が、亜夢の配ったピエルニキを持ち上げながら、その形を『推測』する。
「ち、違うもん! それは恐竜! そっちは……んーなんだっけ?」と亜夢。「えー、自分で作ってて、わからないのぉ? 変な亜夢姐ちゃん」子供達がどっと笑う。
「これはわかる! 十字架ね」「俺のは薔薇だろ? こっちは上手くできてんじゃん、亜夢!」サニとティムが、配られたピエルニキを眺めて言った。
「あ、それは……私の作」とカミラ。「あ……」「そ、そうかぁ……」フォローのつもりが、かえって気まずくなった二人は、亜夢の顔色を窺う。
頬を真っ赤に膨らませた亜夢は、配膳トレイに乗った最後の一皿を、直人の前に、荒っぽく置く。
「あ……ありがとう……亜夢」直人は、少しばかり口元を引き攣らせて言った。亜夢はトレイで顔を隠すようにして直人を窺い見る。
「こ……これは……」
なんでしょう……? と、その皿を覗き込む皆の心の声が、インナースペースで一つになって響き渡る。他のに比べ、殊更大きい円盤に、窪みが三つ。並んだ二つの窪みには縦に溝が引かれ、円盤には三角状のものが二つくっついていた。
「か、顔……だよね」サニが恐る恐る言う。「ム……ムンク……」ティムが両耳に手を当てて『叫び』の顔を作ってみせる。不揃いな目のような窪みに、縦長に伸びた窪み……確かに、あの有名な絵画のそれを思い起こさせるが……。
「いや、違う……オレたちは、これを知っている……あの、オーストラリアのミッションで……」
直人に言葉にハッとなるサニ、ティム、そしてカミラ。
「間違いない……」「これは……」ティムとサニは顔を見合わせる。亜夢は、期待するように大きく目を見開いた。
「ワンジナ!」ティム、サニ、直人の自信たっぷりの一言が、完全にシンクロした。皆の視線が亜夢に注がれる。トレイの後ろから覗く、亜夢の顔がどんどん紅潮し、合わせてメラメラと燃えたつ赤いオーラが、ぼんやりと彼女の身体の周囲に湧き立つ。
「え……」「ち……違った……」
亜夢の持つトレイがプルプルと震えている。サニ、ティム、そして直人は、体をのけぞらせ、顔を引き攣らせるしかない。亜夢は大きく息を吸い込み、トレイを下げて渾身のエネルギーを言葉に乗せて放つ。
「ねぇこぉおおおおおおお‼︎」




