魔宴 4
火がついた白衣を翻し、ゆっくりと振り返るロベルトの姿が、徐々に変わってゆく。白衣から覗く脚は、靴を貫いて水掻きのついたガチョウの脚を露わにし、首元が瘤のように膨れ上がって、ロベルト自身の頭を挟んで左は山羊の頭、は右は牛の頭を形造り、同時に膨れ上がる体は、焼け爛れてボロボロになった衣服を破り、毛むくじゃらの雄牛とも山羊ともつかない上体をむき出しにする。
「アスモ……デウス……」その『大悪魔』がいったい何者なのか、アランはすぐに悟った——
アスモデウス。激怒と情欲の魔人であり、七つの大罪の一つ、『色欲』を司ると言われる悪魔である。
——この数年、アランは、カミラと共に『悪魔』の正体を追ってきたが、彼女は『悪魔学』検証作業の最中、このアスモデウスに対しては、強い拒絶反応を示したのを思い返す。
『お……父さん……どうして……』
フォログラムの少女が、これまでにないくらい激しく身体を戦慄かせ、その振動は、船の振動に置き換わる。
アスモデウスの人であった顔は、その間、ずっと口をぱくつかせている。求めてやまない女の名を吐き出し続けているようだ。すると、牛と山羊の顔が、気色の悪い咆哮をあげ、三つの頭が、揃ってこちらを睨みつける。
「カミラ‼︎」矢も盾もたまらず、アランはPSI-Linkモジュールに左手を押し当て、一気にダイレクト接続レベルまで意識を変性させる。
「来るぞ‼︎」ティムが声を張り上げるのと、正面からアスモデウスが突進してくるのは同時だ。ニコラスが立つ、踊り場の壁から突き出したメノーラーの柱が、ますます太く、高く隆起し、両腕を振り上げたアスモデウスが襲い来る。
『出力いっぱい! シェルター最大‼︎』アディルの命令と同時に、<アマテラス>、<イシュタル>両船は地震のような衝撃に見舞われる。
『シールドも出し惜しみするな! そっちは大丈夫か、アラン⁉︎ ん、アラン⁉︎』アディルが呼びかけている。
「っぐっぅう‼︎」「副長⁉︎」
皆の視線がアランに注がれる。アランは苦悶に顔を歪めていた。フォログラムを見やれば、それは、アランであろうか? カミラを庇って、彼女の正面に仁王立ちに立ち塞がる少年が、全身に悪魔の突進を受け止めていた。
キャプテンシートの上で食いしばったアランの口元から、血が漏れる。
「ダイレクト接続⁉︎」アランの様子に真っ先に気づいたサニが口走る。
「無茶だ! 副長! そんなことしたら、身体にもダメージがフィードバックされて……」「いいんだ‼︎」直人の言葉をアランは、一喝して遮る。
「あの時……俺は……あいつからカミラを……今度こそ守りきる!」
『あぁあぁ〜! なんだい、君は? ……ほう、君はあの時の少年……困るんだよね、シナリオどおりに動いてもらわないと!』ニコラスがそう言うと、アスモデウスは<イシュタル>のシェルターに掴み掛かった腕に憤怒を激らせ、力任せに剥ぎ取りにかかった。
『シェルターダメージ三〇パーセント突破! このペースでやられたら五分と保たない!』『ガタガタ抜かすな! 保たせんだよ‼︎』叫ぶマリクに、アディルは怒鳴り返す。
『いや、いや‼︎ やめて……お父さん!』
フォログラムの中で、アランが全身でダメージを受け止めながらも、シェルターにダメージが加わるたび、少女の姿をしたカミラのブラウスが、スカートが引き裂かれる。
「カミラ! こんな記憶! 思い出さなくていい‼︎ 俺が……うっ! ……受け止めてやる!」
ダイレクト接続の代償が、アランの肉体にダメージを蓄積し、アランはさながら打たれっぱなしのボクサーだ。血反吐を口から漏らし、目周りに大きな痣が浮かぶ。
『全く……無意味なことを』ニコラスは、メノーラーから静かに踊り場に降り立ち、左右の階段に向かって、両の手を高く持ち上げる。
すると、左右の階段にふと人影が現れ、踊り場の方へゆっくりと降りてくる。向かって、左手はカタジナ、そして、右手はシルヴィアだ。二人は、ニコラスの元まで来ると、彼の首に、胴に絡みつき、妖艶に体をくねらせ、彼にキスを求める。
これが本物の愛だ、とでも言うのか。ニコラスは、余裕と勝利の確信に満ちた笑みを二人の女の間に浮かべている。
『シェ、シェルターが‼︎』ヴィクラムの悲痛な声と共に、モニターいっぱいに、金の粒子を撒き散らし、シェルターが砕け散る。
「ぐぁっ‼︎」「副長‼︎」同時に、アランはアッパーカットのクリーンヒットを受けたかのように、シートに後頭部を打ち付けていた。
フォログラムからアランの姿は立ち消え、少女姿のカミラの首元には野獣の腕が伸び、いとも簡単に押し倒されてしまった。
「くぅ……カ、カミラ……俺は……また……」アランは、目の前で押し倒されたカミラのフォログラムに、手を伸ばし、体を起こそうとするも、すぐには動けない。
一方、シェルターが失わたことで、再びミシミシと船体が軋み出す。心象空間の『圧力』は、かなり減少し、シェルターが無くとも船体にダメージを被るレベルではないが、代わりにアスモデウスに抑えつけられ、<アマテラス>は身動きできない。
『手こずらせてくれたけど、僕のシナリオは変えられない……』
するとニコラスは、魔法のように取り出した、銀色に輝くリボルバー式の拳銃をそっとカタジナに握らせた。
『ふふ。さぁ、カタジナ。化け物退治だ。この舞台、一世一代のハイライト! 魅せてくれ‼︎』
カタジナは微笑を浮かべ、階段をゆっくりと降りてくる。ニコラスは、絡みつくシルヴィアを片手で抱き寄せ、踊り場から高みの見物を決め込む。
カタジナは、燃え盛るロビーの中央を、降りかかる火の粉を気に留めることもなく、猛獣の悪魔となって、見境なく娘に襲いかかっている夫の背後に忍び寄り、拳銃をその悪魔の、人間のままの頭部に押し当てた。




