魔宴 3
『い、いやぁああああああ‼︎』
響き渡る少女の絶叫。落下するケーキに引かれた視線を巨大なメノーラーに戻せば、そこに座っていたはずのレオンの姿は無い。すぐにケーキの落下先を見やれば、ブリッジモニターのセイフティが、変わり果てたそれにフィルターをかける。
フォログラムの少女は、両腕で自分を抱きしめるようにして、全身の戦慄きに必死に抗う。
「……学校の研修で訪れた工場で、レオンは機械に巻き込まれて亡くなったらしい。一時、彼の姿が見えなくなった間に……当時、自殺も疑われたが、はっきりした結論は出なかったようだ……だが……」
モニターには、フィルターのかかった下方から、いくつもの記憶の残像が、蜃気楼のように立ち昇ってくる。
転がってきたサッカーボールを追って、駆け寄ってくるレオン。カミラが、膝の擦り傷に絆創膏を貼って手当てすると、爽やかな笑顔で去ってゆく。
勇気を出して、話しかけた時、声を出して笑うレオン、それに釣られて吹き出すカミラ……
シルヴィアの部屋から、慌てて駆け出してゆく背中……その後……ひざまづいて涙を流しながら謝る彼に、戸惑いながら差し伸べた手を固く握り返すレオン。
カミラの誕生日……レオンは手を叩きながらバースデーソングを歌い、心から祝福してくれていた。
そして、二人で聞いてしまう……入院したレオンの母、ダニエラの病室のドア越しに、彼女とカミラの父、ロベルトの、あの禁断の睦み合う声を……
『殺した……レオンを……あなた……ニコラス……あ、あなたが……あなたがぁああああ‼︎』
錯乱するままに、フォログラムの少女は叫んでいる。ニコラスは、メノーラーの枝に腰掛けたまま、肩をすくめ、やれやれとばかりに微笑を浮かべる。
『違うよ、カミラ。真実が、彼を突き動かしただけさ。真実の重みにヒトは脆い……だから』
すると、モニターには、また新たな文言が浮かび上がり、併せて変換された音声が流れる。
『悪魔の子、不義の子! 魔女の子が死んだ‼︎ 神の制裁だ‼︎』『だが、悪魔はまだいる! 悪魔を探せ‼︎ 悪魔を殺せ‼︎』『悪魔を殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』
幾重にも重なり、繰り返される合成音声の無機質な声が<アマテラス>、そして<イシュタル>のインナーノーツの心を徐々に蝕む。
「くっそ、うるせぇぜ! 気狂いどもが‼︎ マリク、早くミュートしろ!」アディルは、自動変換された声音に負けじと怒鳴り散らす。
「やってるんだ! チッ! なんで消えねぇんだ⁉︎」
「ま、待ってください! ……そうか、これ! PSI-Linkシステムから直接、我々の心象に作用して、我々の心象で反響してるのです! なので、音声をいくらミュートしたところで、この反響は! そうか! これは一種のエコーチャンバー! 集団心理の増幅……ということは、カミラさんとの同調率を下げるしか」「わかった! わかったから、ヴィクラム! お前がごちゃごちゃ喋ると余計うるさい!」ヴィクラムの説明に、耳を塞ぐファリードがキレ気味に返す。
『悪魔!』『悪魔を殺せ!』
苛立ちに喚き散らす<イシュタル>クルーらの中で、心の中に反響する声に、タリアは得体の知れない何かが、インナースペースの深淵から、彼女の心に掴み掛かってくる感覚に言葉を失い、身動きを止める——
燃え盛る炎、泣き叫び、助けを求める少年の声。立ち昇る黒煙の隙間から覗く、物憂げな女の瞳——
……えっ⁉︎ 何⁉︎ ……
タリアは、その瞳を探すように顔をあげる。モニターの正面には、<イシュタル>に背面を向けた<アマテラス>の船尾が見えるだけだ。
……カミラ……お前……いったい……
「副長! も、もう! ど、同調率カットしましょ! これじゃ、こっちが保たない‼︎」サニが苦悶に顔を歪めて、具申する。メインモニターには、『PSI HAZARD』のアラートが立っていた。
「いや! このままだ! このまま……⁉︎」声を上げるアランの脳裏にも突然、黒煙を吹く焔が揺らめく——
業火に必死に手を伸ばすその先に、愛しさと悲しみを湛えた女の瞳。悪魔を殺せと叫ぶ声……
込み上げる悔恨、身が引き裂かれるばかりの痛みがアランを突き抜ける——
「お、俺は……」不意に目頭が熱を帯びてくるのを感じ、咄嗟に押さえれば、その指先はしっとりと濡れている。
「おい、あれ⁉︎」ティムが指をさして声を上げ、皆はモニターへ向き直り、アランも気を取り直し、また顔を上げた。いつのまにか、先程までレオンがいた、メノーラーの枝の上に現れたダニエラは、生気を失って、フィルターのかかった、その動かなくなったものを呆然と見下ろしている。ニコラスが、その彼女の隣にそっと立つ。
『魔女の子は死んだ! 魔女の子だ!』
『魔女!』『魔女!』
『魔女は死ね! 魔女を殺せ!』
怪文書と共に鳴り響く声は、エスカレートするばかり。ニコラスは、立ち尽くす彼女に行くべき先を示す。彼女の立つ、メノーラーの枝の一つ上の枝から、ベルト状のものが輪になって吊られていた。
薄笑いを浮かべるニコラスは、まるで淑女をエスコートする紳士のように、ダニエラをベルトの輪に導く。
フォログラムのカミラは、ガチガチと身体を戦慄かせるだけで、声はもう出ない。
ダニエラは、ニコラスに静かに微笑み、自ら首をベルトの輪に差し出す。そして、燭台の枝から中空へと身を踊らせた。インナーノーツは皆、顔を背け、眼を塞ぐ。亜夢は、ダニエラの身に起こったことをすぐに理解できず、あんぐりと口を開いていた。
中空に垂れ下がるダニエラには、モニターが自動的にフィルターをかける。
『ねっ、このとおり! っふふ……ふはははは!』
ニコラスの高笑いが、『魔女』のコールに重なって、<アマテラス>、<イシュタル>の両ブリッジに気持ちの悪い不協和音を響かせる。
一方、燃え盛るロビーの中央で、ムクッと人影が起き上がる。ダニエラの最期に勘付いたロベルトだ。ロビー中央両階段の踊り場の上に、宙吊りになっているダニエラを見上げ、ロベルトは彼女の名を口にしながら、ふらふらと歩み出す。
ニコラスは燭台から踊り場に降り立つと、そのロベルトを包み込むような笑顔で招く。
『ダニ……エラ……ダニエ……ラ……』
フィルターで隠された、レオンの亡骸を踏みつけるのも厭わず、ロベルトはそのまま階段へ向かう。ニコラスは、吹き出しそうになる口元に手を当て、笑いを堪えている。
フォログラムの少女は啜り泣き、懇願する。
『もう……やめて……お願い……お父さん……お父さんだけは……』その声に、ロベルトは肩をぴくりと動かし、立ち止まって、ゆっくりと振り返った。




