魔宴 1
「サニ、シェルター外圧は? まだ、出られないか?」問いかけるアランの顔にも焦りが見える。シェルターを展開してから、船内時間ですでに二十分が過ぎていた。
「少しずつ下がってきてはいる……でも、まだ」サニは計測データを見ながら答えた。
「残り、四十分……耐えきれんのか?」ティムはそう言って奥歯を噛み締める。直人は、振り返りフォログラムの少女を窺い見る。
涙もない。身体の震えもない。瞬きも無くした両目をただ大きく見開き、口を半開きにしたまま、腕を垂れ下げ立ち尽くしているだけだ。
「隊長……」直人が、胸の裡に走る痛みを感じた時。
「今度はなんだ?」ティムのあげた声に直人は、前に向き直った。
暗闇の中に大きな美しい両階段が、ぼんやりと目の前に浮かび上がってくる。階段の各段の両端に、あのバースデーケーキのピースを燭台に、キャンドルがずらりと並び、順番に火を灯し始める。階段を昇っていったキャンドルの灯火が、踊り場を照らすと、その壁に掛けられた大きな十字架が浮かび上がった。
やがて、キャンドルのリレーは踊り場を抜け、左右に登る階段、そして、二階から四階まで昇ってゆく。吹き抜けになっているのであろう、その吹き抜けに面した回廊にも火が回る。
一方で、ロビーの中央にも、同じように並べられたキャンドルにも火が灯り始めた。その火は、ロビーの中央に円を形づくり、その中に逆さに配置された五芒星を描く。
キャンドルの燃え盛る灯りが、その空間の全景を暗闇の中に赤々と照らし出した。
床は病室の廊下と同じ、黄赤の花柄の絨毯が敷き詰められ、長椅子やソファ、受付らしいカウンターが見える。どうやら、件の病院のロビーのようだ。クラシカルな高級ホテルのような、特徴的な趣きのあるこの美しい心療内科病院のロビーは、カミラの祖父が心に不安を抱えた患者らのストレスや病院という場がもたらす緊張を幾らかでも和らげ、寛げる空間としたいとの想いから生まれた。だが——
目の前で、キャンドルの灯火にゆらゆらと描き出されるそのロビーは、明らかに創設者の想いとは真逆の、異様な気配に包まれている。
すると、突然、<アマテラス>のブリッジモニターにポーランド語の文章が浮かび上がる。その文章は、自動翻訳され、<アマテラス>のブリッジに合成された日本語の音声で出力される。
『悪魔! 悪魔を探せ‼︎』『キリストに背きし悪魔が潜んでいる!』『見つけ出して殺せ‼︎ 火炙りにせよ‼︎』
「な、何よ⁉︎ これぇ⁉︎」サニは、叫びながら、たまらず咄嗟に音声をミュートしようとする。
「まて! 切るな!」アランの指示にサニは、背筋をビクつかせ手を止めた。
『クソ! 悪魔、悪魔って! これだからキリスト教ってのは!』アディルが通信ウィンドウに顰め面を見せている。同じものが<イシュタル>のブリッジにも現れているようだ。
「これも……何か知ってるんすか? 副長?」ティムも不快に顔を歪めたまま、訊ねる。アランは、深く頷いた。
「怪メール騒ぎ。この騒ぎが発端となって、カミラの病院で不可解なことが頻発するようになった! それで俺の養父が呼ばれたんだ」
カミラの十三歳の誕生日後、程なくして、その騒ぎは起こった——
その怪メールは、突然、院内メールに流れ始めた。『悪魔を探せ』と。毎日、差出人不明のまま、繰り返し送られてくる。
システム管理の業者に調査を依頼したが、院内イントラではなく、ヴァーチャルネットから配信されたものだ、ということくらいしかわからない。まるで、ぽっと沸いたようだと。おそらく、悪質なハッカーによるイタズラではないかということだ。その後、特に何か起こるでもなく数週間過ぎ、警察への相談もできずじまいに終わる。
しかし、メールは止まることを知らない。
いつしか悪魔の噂は、患者らにも広まっていた。彼らの精神に与える影響を考慮し、口外は差し止めていたにも関わらず……
噂はどんどん広まり、次第に様子が変わってくる。PSIシンドローム患者らは、幻覚や自らのビジョンを現象化させやすい。そのため、彼らが抱く悪魔への猜疑心が、病院内で怪奇現象を作り出し始める。それらの多くは、PSIシンドロームによるものと判断され、その都度対処するが、ますますエスカレートし、悪魔への恐怖が蔓延する。皆、誰が悪魔なのか、自分のうちに潜む悪に、自分が悪魔呼ばわりされないか、疑いと恐怖は広まっていく。
敬虔なカトリックの信徒であったカミラの父、ロベルトは、通っていた教会にこの怪事件について相談する。
一方で、アランは二〇年前の世界同時多発地震による地中海大津波で家族を失い、その際に救援活動に来ていたマティウスというポーランド出身の神父に引き取られた。マティウスは、教会のエクソシストであり、当時、PSIシンドロームに対する有効な医療が発展途上の最中、いわゆる『霊障』を扱う彼らは俄かに注目を集めていた。
その頃、マティウスと共にポーランドに居留していたアランは、マティウスの反対を押し切り、エクソシストの仕事に同行して助手を務めていた。そして——
「……カミラの病院の怪事件の調査を教会から依頼され、義父は、俺を連れてこの病院に潜入調査する事となった……」
アランの話を再現するかのように、ブリッジモニターが映すロビーの、キャンドルの炎が揺れるたび、壁に、床に、天井に奇怪な蝙蝠のような羽や、山羊の角、三角形の尻尾をもつ典型的な悪魔の影、三角帽子に箒を持った魔女らしき影、怪物のような影……いくつもの禍々しい影が映り込む。炎が揺れる度、その影は、囁き合い、指さし合い、その度に悪魔の影を増やしていく。モニターに浮かぶ怪メールと、その音声も止まることはない。
『誰が悪魔かって? ふふふ……誰ってことないさ』
どこからともなく聞こえてくるニコラスの声と共に、悪魔達の狂乱の影の中、逃惑う少女の影が映る。少女は四方から伸びる、幾つもの黒々とした悪魔の腕の影にあっけなく囚われ、仰向けにされると、悪魔の腕がその胸に剣を突き立てる。一本、二本……声なき絶叫を上げる少女。そして三本目の剣が勢いよく突き立てられ、少女は絶命する。
「カミラ!」思わず声を上げた、アランの声に一同の視線が、フォログラムの少女に集まる。影とシンクロして、少女は、胸を抑えて蹲っていた。
高笑いする悪魔達の影。するとその悪魔らの首が、横一列に何かに払われ、すっ飛んでいく。悪魔の首を払った大鎌を持つ髑髏の影は『死神』か? 死神は、剣を突き立てられた少女を拐うと廊下の暗がりの影の中へとゆっくり消えていった。
『ごらん……これが人の本性さ』
フォログラムの少女は、ニコラスの声に誘われるまま、頭を上げる。皆もその視線に引かれて、前に向き直った。
すると、ブリッジのモニターを何かが覆う。白衣を着た男性の、背中のようだ。男は、絨毯に描かれた、逆さ五芒星の真ん中で、止むことのない『悪魔を探せ』の声に両手で耳を塞ぎ、頭を抱えたまま、踊り場に掲げられた十字架を見上げている。
『お父……さん……お父さん‼︎』
カミラの叫びは、またしても届かない。
『さあ、よぉく見て! カミラ! 人の、醜い獣の本能を‼︎ それこそが悪魔なのさ……』
カミラの父、ロベルトはふらつく足を階段に向かって進めてゆく。
ゴリっと何かが砕ける鈍い音がして、ロベルトはふと立ち止まる。ロベルトは、足元をしばし眺め、足を退けると、何かを拾い上げた。
ロベルトの手元を、モニターが自動フォーカスする。
「あれは……」直人は口を戦慄かせ、亜夢は、息を飲み口を手で覆う。
それは、あのカタジナが残したカミラを象った砂糖菓子人形。右半身が粉々に砕けている。
タリアは、舌を打ちながら、思わず自らの義肢化した右半身を庇うように左手で固く抱きしめていた。
『お父さん……』フォログラムのカミラは、身を固くしてロベルトを見守る。
怪訝げに人形を眺め、ロベルトは、その人形を白衣のポケットに無造作に突っ込むと、再びふらふらと足を進め、階段を登り始めた。




