墓標を超えて 8
巨大なキャンドルの灯りの揺めきに、細やかな宝石のような砂糖の煌めきを散りばめた箱庭の病院——カミラの母、カタジナは、舐めるように全景を見渡し、その輝きを瞳に映しとる。
いつままにかポコポコと現れてきた、美しい庭園に憩い集う砂糖菓子の人形は、病院の患者やスタッフらを表しているのか。そして、豪邸の玄関先には、カミラのバースデーケーキに置かれていた、あの家族四人を表す天使の砂糖菓子が佇む。
満面の笑みを浮かべたカタジナの口元から、涎が滴る。いつの間にか、彼女の背後に現れたニコラスは、カタジナの腰に手を回し、もう一方の手に持ったバースデーケーキのメッセージプレートの破片で、シュガークラフトの庭を作るクリームをほんの少し、掻き取って、カタジナに勧めた。
潤んだ瞳で、ニコラスを見つめるカタジナ。ニコラスが静かに微笑むと、カタジナはニコラスの差し出した菓子片にぱくついた。カタジナの顔はだらしなくニヤけ、ニコラスに懇願の眼差しを向けている。ニコラスは、彼女の腰に回した手を腕に移し、その腕を庭で憩い集う患者の姿をした砂糖菓子へと導く。カタジナは、恐る恐る手を近づけ、その指先が菓子に触れた瞬間。カタジナは両目を見開き、その菓子人形を鷲掴みにして口に運び、頭から齧り付く。
ニコラスがゆっくりと離れると、堰を切ったように、カタジナのもう一方の腕が伸び、病院のスタッフ、庭のベンチ、照明灯……手につくものから、どんどん手を伸ばし、にぎり掴んでは口に運ぶ。
母親の手は庭だけでなく、病院の壁を剥ぎ取り、屋根をむしり取り、食べれるものは皆、口に詰め込む。
『お母……さん……』唖然となって見つめるカミラの声は届かない。
手で掴み取るのも煩わしくなったのか、カタジナは、とうとう顔を突っ込んで直接、箱庭の建物に食らいつく。まるで獲物にありついた肉食獣のように貪る彼女の白衣は、みるみるうちに、チョコやクリーム、色取り取りの菓子の色素に染まっていった。
箱庭は、カタジナの狼藉に耐えきれず、砂糖の煌めきを中空に散らしながら、破片を撒き散らし、ぐしゃぐしゃに食い荒らされていく。まるで、怪獣映画そのものだ。病院は半壊し、カミラの暮らした美しい邸宅にも、ついに怪獣の手が伸びる。少女カミラの頬を伝う涙も、その手を、口を止めることはできない。怪獣は、笑いと奇声の咆哮を上げながら、邸宅の屋根を叩き割り頭を突っ込む。
その目の前に、四体の天使を模した、家族の砂糖人形が転がる。怪訝気な表情を浮かべ、その人形たちをしばし眺めている。
カタジナは、ゆっくりとその人形たちに向かって手を伸ばす。
『……だめ……だめだよ……お母さん……それは……』
カミラの声にカタジナは、身体をビクつかせたかと思うと、そのうちの二体を両の手に取る。左手には、髪を結いあげた白衣の女性、そして右手には、同じく白衣の頬髭の優しい笑顔を作る男性。カタジナ自身と、彼女の夫であろう。
二体をキッと睨みつけると、カタジナは、二体とも頭から口に突っ込みゴリゴリと噛み砕いていった。そして、空いた手で、今度は白いローブに波打った髪で表現された少女の人形を摘み上げる。
『お姉ちゃん……』
カタジナは、先ほどの二体を飲み込むと、舌なめずりし、その舌で愛おしそうにシルヴィアの人形を舐め上げ、そのまま口に頬張った。今度はじっくりと味わうように堪能している。
最後に残ったのは、短めのボブにシンプルなブラウス姿の人形。年相応に可愛らしく微笑んだ表情が描かれている。
船が振動している。まるで、カミラの鼓動が伝わってくるかのように。インナーノーツの皆は、身構え、カタジナの凶行に備える。
『……やめて……もう……やめて……お母さん……』
その声は届かず、カタジナは、最後の人形を摘み上げる。シルヴィアの人形を何度も咀嚼したまま、摘み上げた人形、カミラをまじまじと見つめていた。
するとカタジナは、眉を顰め、小さなため息をつくと、その人形をそっと、箱庭の縁のあたりに置き、スッと立ち上がった。
「く……喰わない……のか?」寒気に震えながらティムは呟く。決して、カミラの叫びに応えて、喰わなかったのではない。ただ、そこに置いたのだ……。
<アマテラス>の皆は、胸の裡を抉る蠢きに、言葉を失っている。それは<イシュタル>の皆も同じだ。
「な……なんなんだ……アイツ……あれが……カミラの母親なの……」タリアは、生身の肉体として残った左手を固く握りしめ、身体の震えを抑え留める。
立ち上がったカタジナは、腹をさするような仕草をし、ぐちゃぐちゃに食い散らかされた箱庭をしばし呆然と見下ろすと、やがて顔を引き攣らせて狼狽と怒りの叫びをあげ悶絶しだす。再び彼女の背後にふわりと現れたニコラスは、彼女を包み込むように抱きしめる。ニコラスが撫でるように、崩れた箱庭に手を翳していくと、みるみるうちに箱庭は元の姿に戻っていく。
その光景に次第に落ち着き始めたカタジナは、魔法に魅了された乙女のように瞳を輝かせ、満面の笑みを取り戻すと、ニコラスと熱烈な抱擁を交わし始めた。
『お母さん……そんな……』
少女のフォログラムは、凍りついたように身動きを止めていた。カタジナと抱擁を交わすニコラスは、横目でこちらを窺い、にやりを口角を上げながら言う。
『いまさら、驚くことないだろ……カタジナも簡単に堕ちたよ……この僕に……くくく』
ニコラスとカタジナの唇が重なると同時に、カタジナもまた悪魔のような姿を晒しながらニコラスと交わりつつ、周辺の空間へと溶け込んでゆく。その時、カタジナの腰に伸びた長い尻尾のようなものが、箱庭を祓い、またしても箱庭は崩される。その衝撃で、残されていたカミラの砂糖人形は、箱庭の外へと転がっていった。




