墓標を超えて 5
鏡への流動に流される<アマテラス>、そして<イシュタル>。ティムとファリードは、それぞれ船に制動をかけ、流れに抗う。
「くそっ……ニコラスだって? なんなんっすか、あいつは?」船の制御がままならないのに苛立ちながら、ティムはアランに訊ねる。
「悪魔さ……カミラが追い求め……そして、倒すべき悪魔……」
アランは知っている限りのことを、かいつまんで話す。ニコラスは、カミラの実家の病院がPSIシンドローム指定病院となってまもなく、病院スタッフとして雇い入れた看護士の一人だった。有能で気立も良く、職場環境の改善や経営の手伝いまでこなし、一年もしないうちに、すっかりカミラの一家の信頼を得たらしい。
「だが……それだけじゃない……やつとの出会いは、カミラと、彼女の姉、シルヴィアにとっては、あまりにも衝撃的なものだった……」
「あの鏡……」直人は先程垣間見た、あのカミラ姉妹の秘密の遊びの光景を思い出す。
その鏡は、姉妹が『引き寄せ』の呪いに用いていた『ビジョンクリエイター』の鏡。
『……それなのに……それなのに……どうして⁉︎ ……ほんとうに……あいつが……ニコ……ラス……』インナーノーツの皆は、カミラの先程の叫びを思い返していた。
「二人の引き寄せが……現実となって現れた……それがあの、ニコラスなんだ!」
アランが言い切るのと同時に、船に急激な引力が働く。
『幸せ……幸せは……願えば……引き寄せられる? ……』
「船をキープしろ‼︎ ティム‼︎」『引き負けるな! ファリード‼︎』アランとアディルが叫ぶ。
「やってるって‼︎」両船のパイロットの応じる声が重なる。
鏡の中で、流体はチョコレートの渦となり、その渦は次第に円形の形を整えていく。チョコレート色の光沢を纏い、中空に浮かび上がったニコラスに導かれるまま、高く聳え上がってくるそれは……
「また、バースデーケーキ⁉︎」ヒステリックにサニは叫んだ。
廊下の照明が流れ込み、バースデーケーキに立ち上がるキャンドルの灯火へと変わっていく。
「このままじゃ、あのケーキにされちまうぞ‼︎」必死に制動をかけながらティムが叫ぶ。
「……いや、このまま……このままだ!」「正気っすか⁉︎ 副長⁉︎」
「あれが、カミラのトラウマの中核! なら、行くしかない! シェルターは⁉︎」
『なんとか保たせるが、保障はできねぇ!』
「シールドも展開してシェルターを支える! ナオ!」「はい!」『マリク! こっちもシールド併用だ!』『了解!』
シェルターの中で、<アマテラス>の水流状のシールドと<イシュタル>のガス状のシールドが混ざり合い、シェルター内の『気圧』を高めていく。二隻を包み込んだ、黄金色のシェルターは、風船のようになってチョコレートの濁流の流れに身を任せる。
『……幸せ……』少女の呟きが、ケーキの上に砂糖菓子の人形を作り出す。白衣の優しげな微笑みを見せる小さな翼のついた、頬髭のある男性風の天使。それに寄り添うよう、もう一体の天使は、同じく白衣姿の髪をまとめあげた女性。カミラの両親を現しているようだ。
『……幸せ……』長くウェーブのプラチナ色の髪で美しい顔に描かれた天使は、シルヴィアと呼ばれた姉であろう。
『……幸せ……』その三体に見守られるようにして、最後に現れたもう一体の天使——フォログラムに現れている少女によく似ている。そして——
“Wesołych urodzin, Kamila!”
(「誕生日おめでとう、カミラ!」)
これ見よがしに、何度も浮かび上がるメッセージプレートに、インナーノーツの皆は、不吉な気配を感じずにはいられない。
『ほぅら……ごらん、カミラ。これが、きみがずっと、求めていた幸せだろう? ……』
『……これが幸せ……わたしの……』
鏡が消え、暗闇の中にキャンドルの灯りが揺れる。浮かび上がる、父母らしき人物の人影、それに姉のシルヴィア。初恋の成就を願った、レオンの姿も見える。そして、正面の暗がりに立つのはニコラスか……
楽しげに聞こえてくるバースデーソング。父親の歌が調子を外れ、笑いが起こる。手拍子の音……その度に、<アマテラス>の船体が、鼓動を打つように小さく揺れる。
『そうさ……これが、きみの、本当の幸せ……』
ケーキを作るチョコレートの流れは、止まることはない。ケーキはどんどん膨れ上がり、<アマテラス>と<イシュタル>の目の前に、神話の塔のような形に聳え立つ。『ケーキの塔』が眼前に迫り、インナーノーツの皆は覚悟を決める。
『本当の……幸せ……』
『そうだ……もっと……もっと……きみは、もっと強く、もっと高く望めるはずだ……』
すると、頭上の方で、何かが、キャンドルの灯火を反射してギラリと煌めく。
『もっと……もっと……幸せに、なれるの……』
『ああ、そうさ』
いつのまにか、ケーキと共に巨大化している四人の人影が、その煌めくものを手にケーキを遥か高みから見下ろしている。そのさらに上空に、キャンドルの煙を巻き上げたモヤが、『逆さ山羊』を形作っていた。
「なにが……始まるんだ」直人は、上空を映すモニターを見上げ、睨みつけた。<アマテラス>、<イシュタル>の皆も息を呑み、身構えている。
『さあ、ケーキを取り分けよう!』
頭上から、まるで稲妻のように煌めく四本のナイフが落ちてくる。無造作に、荒々しく振り下ろされた刃が、容赦なくカミラのバースデーケーキに叩きつけられた。
『えっ⁉︎』
血潮か、肉片かのように飛び散る、コーティングのチョコレート、そして生地。
『どうして⁉︎』
次の刃は、無惨にも『誕生日おめでとう』のメッセージプレートを叩き割る。描かれた文字が、溶け出し、流れる様は血文字のようだ。
『やめて‼︎』
少女の叫びも虚しく、凶刃が何度も何度も、振り下ろされ、砂糖菓子の人形は、割れて飛び散り、メッセージプレートも、もはや原型を留めないほど、粉々に砕かれてしまった。
インナーノーツの皆は、まるで殺人現場でも目撃したかのように、皆、一様に凍りついている。
『お願い! もうやめて‼︎ レオン! お母さん! お父さん! お姉ちゃん‼︎』
カミラの絶叫が響く中、グシャリと鈍い響きをたて、潰れ落ちた。




