立つ鳥跡を……
日が沈んだ。
冬前の冷え切った闇がゾルドの街を静かに包んでいく。六割ほど曇っている空には穴の空いた円形の月がぼんやり浮かんでいる。北側の家々には疎らに明かりが灯っていた。
「では道中お気をつけて、リエル=トルフ殿」
ゴルドーを先頭に神官たちが頭を下げる。私とイダテンコも軽く頭を下げ、神殿を後にした。
「寒くなってきたねー」
「そうだね。あと少ししたら雪も降りそう」
こんな会話を交わしているが、二人は特に厚着をすることもない。私はいつもの橙ローブ姿だし、イダテンコは上下とも関節が見えるくらいの短さだ。
召喚され師はとても頑丈で、許容範囲が広いのである。これくらいの気温変化であれば普段着でも平気だ。
「ところで、何処かに寄るんだっけ?」
「うん。ログとエリ、それからジルグさんのところに寄って、お別れを言っておかないと」
「あー、そっか」
納得して何度も頷くイダテンコ。頭の黄色い羽飾りがゆらゆら揺れ、月明かりで僅かに煌めいた。
「あはは、みんなに出ていく日を知らせておけば良かったのに」
「う、うん」
確かに、今言われてみるとイダテンコの言っていることは正論に思える。事前に言っておけば彼らも心の準備が出来ていただろう。いきなり消えたことに混乱する人だって居なくなる。私は己自身の考えの浅はかさに恥じ入った。
一応、考えなしに黙っていたわけではない。ある程度街の再建が進むまでは居るつもりだったから、その展望が見えるまでは言い出せなかったのだ。
それに、私が短期間で居なくなるということを考慮して、彼らが自分自身の仕事に集中できるよう、口に出すのを控えていたということもある。
とはいえ多分、昔からの癖で自分自身の立ち位置を過小評価し過ぎていたのだろうけど。
「今度からはそうするよ」
「そだねー」
イダテンコはヘンテコな形の月を眺めながら、ちょっとだけ笑い気味に返事をした。
ログとエリは北部側に新しく建てられた内の一軒に住んでいる。そこはゴルドーの家でもある。長く暮らしている内に本当の家族のような関係になっていた、というのは珍しくない話だ。
「こんばんは」
戸を叩いて中へ呼びかける。中で軽く物音はしたが、彼らは出てこない。二回目の呼びかけで、やっとログが外へ出てきた。上着を脱いだ軽装だ。
「お、リエルじゃん。それにイダテンコも。どうしたんだよ、こんな時間に」
「いえ、あの、私たちは今日でこの街を出るので、お別れを言いに」
「えーっ!」
頓狂な声を出したのは部屋の奥にいたエリ。口を手に当てて驚く様はやっぱり女の子である。
対してログはあまり驚いていないように見える。
「そうか。じゃあ気をつけて行けよ」
別れを告げにきた私たちが驚くほどドライな態度だ。
「あ……ご、ごめんね。こんな直前で言うことになっちゃって」
「別にいいさ。ま、アンタのでっけーおっぱい見れなくなると思うと、ちょっと寂しいけどな!」
「ふえっ」
ログの予想外の発言に困惑する私。いつも言葉遣いは粗暴だが、こんなことを言う少年だっただろうか?
「あはは、リエルお姉ちゃん照れてる」
「お兄ちゃん! リエルさん困ってるじゃん」
「じょ、冗談だよ! 別に良いだろ、最後なんだし……」
顔を赤らめて伏せるログ。単に別れ際だからつい羽目を外してしまった、といったところか。それともいきなり別れを告げにきた私への報復か。やっぱりイダテンコの言う通り、なるべく早く言っておくべきだったなあ。後悔は深まるばかりだ。
「そ、それじゃ、ジルグさんのところにも行ってくるから」
「おいちょっと待てよ! なんかお土産渡すから持ってけよ!」
「いいよそんな、気を使わなくって」
私の言葉には耳を貸さず、部屋の奥へとログは引っ込んで行った。残ったのは居心地の悪さにそわそわしているエリだけ。
「な、なんだろうね、お土産って」
「…………分かんないです」
エリはやっとそれだけの言葉を絞り出して目を伏せる。あの子の恥ずかしがりはまだまだ尾を引きそうだ。
その時、奥からログがやって来た。手には小さな青い宝石のようなものが輝いている。
「これ、魔物の親玉から削り出した置物だ。ボツの奴だけど持ってけよ」
「ぼ、ボツかあ」
「なんだよ、先に言ってくれればちゃんとした奴作ったっての!」
「ごめん! ごめんってば!」
慌てて失言を謝りつつ、手渡された置物を親指と杖で挟んで取る。それは何か動物を模しているようだった。かなり精巧に作られていて、記憶している動物の中では山脈熊に似ている。
「これ、ログが作ったの?」
「そうだぜ。ま、大工仕事の合間にちょっと作ったんだよ」
「うわー、凄いねー! ありがとう、ログ!」
満面の笑みで褒めちぎるイダテンコに、ログはちょっとだけ照れた。いくらボツでも作品を褒められるのは嬉しかったようである。
「じゃあねー、ログ、エリ! またいつか!」
「おう、じゃあな! エリも挨拶しろよー!」
「さ、さよなら、リエルさん、イダテンコさん」
二人は控えめに笑みを浮かべながら手を振った。
「あ、あはは……さようなら、二人とも」
私も手を振り返して彼らの家を後にする。冷えた空気に、石畳を蹴る靴音が甲高く響いた。
「なんだか良い物貰っちゃったねえ」
「うんうん、そうだねー」
置物をローブの前ポケットにしまい込み、二人で軽い雑談を交わしながら歩く。次の目的地はジルグの家だ。
彼の住まう家は町外れの簡易テント群の一つである。正確には南側の一軒家が彼の住処なのだが、ここ三ヶ月は建築計画に付きっきりなため、ずっとテントで暮らしているらしい。
ところが、彼のテントには誰も居なかった。周囲で休息していた大工たちにも聞いてみたが、ジルグの居場所を知る者はなかった。冗談めかしく私とジルグの関係を探るような輩は居たが。
「あれえ? 何処に行ったんだろう」
「家の方に帰ってるのかも! ちょっと見てくるねー!」
言うが早いかスキルで駆け出すイダテンコ。立ち上った土煙が地面に落ちきる前に彼女は戻って来た。
「居なかった!」
「そ、そうなんだ」
おかしい。彼は何処へ行ったのか。
私たちは手分けしてテント群を探し回ったが、結局ジルグの姿を見つけることはできなかった。
「ひょっとしたらさー、会いたくないのかも、ジルグ」
「うーん、そうかなあ……」
彼の真意を思うと納得いくようないかないような……しかし、居ないならしょうがない。
「街を出ようか、テンコ。ジルグさんは私たちが出て行くのを知ってるし」
「……そうだねー」
イダテンコもあまり納得いった表情では無かったが、諦めたように溜息をつく。
私たちは北の門へと歩き出した。
「どこら辺でハブに戻る?」
「そうだなあ……山の麓まで歩いてから戻ろうか。そんなに遠くはないはずだし」
「うん、分かった!」
イダテンコは張り切って私を先導し始めた。
見えてきた北門は青い。カオスヘクスの肉体を使って作られたからだ。輪のような月の明かりを反射し、それは美しく輝いている。
「なんか今日は綺麗だねー、北門」
「うん」
実際、今日はとても綺麗に輝いている。満月の日より、曇りがかった日の方が綺麗とは不思議な門だ。
「テンコはこの三ヶ月どうだった? 楽しかった?」
「うん!」
槍をぶん回し、肩に備えるイダテンコ。歯を見せて笑う様が眩しい。
「街の人たちは良い人ばっかだし、荷物運びで役に立てるのも嬉しかった! それにリエルお姉ちゃんと一緒だったもん! 今までで多分一番楽しかったよー!」
「そ、そう。なら良かった」
緊張を息に変えて吐き出す。
私もこの三ヶ月はなかなか楽しかった。きっとこのゾルドの街で過ごした日々は忘れないだろう。
後は、ジルグのことさえ解決していれば良かったのだが。
北門を潜る。青い光が辺りを照らす。透明度の高いカオスヘクスの肉体は、こうして陽光や月光を通して複雑怪奇な文様を地上に落とす。
きっとここはゾルドの名所の一つになって行くのだろう。そのように変わっていく様がこの目で見られないのは寂しく残念だが、これも世界を渡り歩く召喚され師の定めというものだ。仕方がない。
「リエルさん」
ぞくっ。
左方からの声に心臓が跳ね上がった。鳥肌が全身の表皮を駆け巡る。ゆっくり、ゆっくりと視線を声のした方へと向ける。
「旅立たれるのですね。待っていました」
一人の青年が門に寄りかかって立っていた。
燃え盛る炎のような赤い目と、門を通して青く染まった月光が混ざり合い、紫色になった瞳が光っている。
ジルグはとても寂しそうな笑みを浮かべていた。




