三ヶ月後。
「こんにちは」
「ああ、リエル=トルフさん! 早く来てくれて助かったよ!」
扉を開けて私の顔を確認した瞬間、大喜びで迎え入れる男。隣にいた妻と思われる女性も顔を輝かせる。
軽く頭を下げ、薄暗い屋内へと足を運んだ。
患者は五歳前後の男の子。高熱で顔を真っ赤にし、ベッドの中で苦しそうに唸っている。少し寒くなってきた事もあり、最近はこの手の病が多かった。
「《過剰治癒》」
杖を男の子の頭に軽く当て、神経を送り込む。
この病気の原因は非常に小さな微生物だ。健康な大人ならそう大きな問題にはならないようなのだが、このような小さな子供、或いは高齢の老人などは時に起き上がれない程の高熱を出してしまう。
治し方は簡単だ。全身の微生物を体外へ排出し、体調を健康体に整える。これで治療は終了。杖を上げて床に立てる。
「これでもう大丈夫ですよ。しっかり食べさせて体調を整えてください」
「ありがとうございます、リエル=トルフさん」
「いえいえー」
私は住宅を後にした。
この三ヶ月、私の仕事は専ら怪我人と病人の治療である。瓦礫撤去も少しだけ手伝ったのだが、休んで元気になったイダテンコが半日ほどで全部片付けてしまった。死体の埋葬を終えたら、私がやれそうな大きな仕事はもうない。
今、イダテンコは解体されたカオスヘクスの死体を運ぶ作業を手伝っている。高速移動スキルを存分に使い、あの宝石のような肉体をあちこちの街に運んでいる。芸術的な価値が高いそうで、相当の高値で売れているとか。カオスヘクスは死以外にも、意外な恩恵を齎してくれたようだ。
この街、ゾルドの北側はようやく半分ほど建物が再建された。指揮しているのはジルグ。私が演説した時に助け舟を出してくれたあの好青年である。大工組織の若きリーダーだったそうだ。あの素晴らしいリーダーシップぶりはつまり、そういうことだったという訳である。
「あ、リエル!」
神殿まで戻ってくると、見慣れた少年が声をかけてきた。ログだ。三ヶ月前に比べると、身なりは他の市民と変わらない服装に整えられ、顔つきも年齢相応の健康的なものになっている。彼の細い手には工具箱が二つ下げられていた。
「こんにちはログ。今日はジルグさんのお手伝いだっけ?」
「おう! 今日は新しい家の壁塗り作業だ。エリも一緒だぜ」
彼の背後に隠れていたエリが顔を覗かせる。綺麗な金髪がだいぶ伸び、以前より随分可愛らしい少女になった。前の姿と並べたら同一人物とは思えないだろう。
「エリもお手伝いなの?」
「う、うん」
顔を赤らめて恥ずかしげに目を伏せるエリ。余裕のある生活を手に入れた結果、元々の気弱な性格が顔を出した……とのことらしい。以前も多少の片鱗は見えていたが、ここまで恥ずかしがりやだったとは予想外だった。
「気をつけてね」
「大丈夫だってリエル、俺が付いてっからな! さ、行こうぜ、エリ!」
「うん……ばいばい、お姉ちゃん」
ログは重そうな工具箱をガシャガシャ振り回し、エリを連れて仕事場へと向かっていた。
あの調子ならいずれ大工として雇って貰えるだろう。孤児として地下暮らししていた頃に比べると随分躍進したのものだ。
私は神殿に足を踏み入れる。一階の広間には五、六人ほどの冒険者と呼ばれる職業の人々が集まっていた。なんでも、彼らは魔物の退治や危険区域の調査を生業としているとか。今後は魔物に備え、彼ら冒険者たちの誘致も積極的に行っていく方針らしい。
というわけで現在、この建物は街の中枢部分としてしっかり機能している。きっとこれからもそのような施設として使われていくのだろう。外観はその内青く塗装されるらしいけど。
十階の広間に入る。ここは随分様変わりし、壁際には本棚が、中央部分には大きな机が並んでいた。街の外から送られてきた神官たちが席に着き、各々の作業を行なっている。
用があるのはその中の一人、元神官のあの老人だ。
「ゴルドーさーん。患者の治療依頼を三件、終わらせて来ました」
「おお、いつも苦労をかけるのう、リエル=トルフ殿」
髭面に笑みを浮かべる老人。
そうそう、彼はゴルドーという名前である。ずっとお爺様呼びで通していたものだから、彼の名を聞くタイミングはズレにズレ、それを知ったのは出会ってから一ヶ月以上経った頃だった。
「そういえば、冬が近くなってきたせいか、風邪を引く方が増えてきましたね」
「毎年この時期は強い北風が吹き込みますからなあ。今年はリエル=トルフ殿が居て、大いに助かっとります」
「あ、あはは、私はこれぐらいしか出来ませんから……」
気恥ずかしくなって杖をぐりぐり回す。杖先の飾りがシャラシャラ音を立て、宝石がキラキラ光った。
「とんでもない。ゾルドの街には一人しか医者がおりませんからな。貴女の存在は本当に大きい……もうすぐまた旅立ってしまうと思うと、寂しくなりますのう」
ゴルドーは髭を掻きながら眉をひそめた。
予定では今日の夜に旅立つということになっている。このことを知っているのは、当事者である私たちを除けば、ゴルドーら神官くらいだ。
「すみません。このゾルドにずっと居るのも悪くないかなあ、なんて最近は考えることもあったんですけど……」
「いやいや、無理はしなくてもよろしい。貴女がたには貴女がたの旅があるじゃろうて」
慌てて笑顔を浮かべて取り繕うゴルドー。しかし、揺らぐその目には微かに寂しさが宿っていた。本心ではずっと引き止めていたいと思っているのかも。
「で、では、私は一旦自分の部屋に戻ります。引き払う準備をしますから。また何かあれば呼んでください」
「おっと。引き止めて申し訳ない、リエル=トルフ殿」
私は広間を後にした。
自分の部屋というのは六階の個室群にある。イダテンコが使っている部屋の隣。簡易ベッドと机ぐらいしかないけど、一応後片付けくらいはしておかなくては。
室内で簡易ベッドを解体し、次に机の解体作業に取りかかっていると、扉を軽く叩く音がした。イダテンコが帰ってきたのだろうか。あ、いや、でもあの子の場合、扉を開ける前に確かめることなんてしないか……。
扉を開けると、そこには赤い瞳の青年が立っていた。彼の名は、えーと、ジルグだ。ゾルドの街の大工たちを率いるリーダー。
「こんにちは、リエル=トルフさん」
「じ、ジルグさん。どうしたんですか、急に」
「いえ、少し話したくなっただけです。少々お時間宜しいでしょうか」
特に断る理由も無いので彼を部屋に迎え入れる。まだ原形を保っている椅子を差し出し、私は壁に寄りかかった。
彼はにこにこしている。この三ヶ月で何度も会ったが、いつ見ても好青年だ。きっと街の女性にはモテているんだろうな。
「今日の夜、旅立つと聞きました」
「あ……知っていらしたんですね」
「神官の一人から聞いたんです。ほんの一週間ぐらい前に」
顔を若干伏せがちにしてジルグは話を続ける。
「しばらくの間、いつ会話したら良いものかと混乱しておりました。もっと前に知りたかったです。まだまだ長く居るものかと思っていましたから」
「い、いや、あの、すいませんでした。私たちみたいな旅人、そーっと居なくなった方が良いかな、なんて……素人考えでしたね」
ジルグは顔を上げ、私を見る。相変わらず笑っているが、その目はちょっと悲しそうだった。
うーん、彼には教えておけば良かったかな。
「これからもずっと旅を?」
「ええ、いや、はい。イダテンコと一緒に旅を続けるつもりです」
「そうですか……」
彼は鼻を指で摘むようにして擦る。
「……すみません。片付けの邪魔でしたね。私は仕事に戻ります」
ジルグは立ち上がって部屋を出て行こうとする。妙によそよそしいというか、そわそわしているというか、変な態度だ。
まさか本当に雑談しに来ただけということは無いだろう。何か隠しているんじゃないか? 気になった私は彼を引き止めることにした。
「ジルグさん。他に何か言いたいことがあるんじゃ……」
「いえ、お気になさらず」
私は彼の上着の裾部分を掴んだ。単に純粋な好奇心である。
「隠し事なんてしないで下さいよ。気になって出て行けないじゃないですか」
押し黙るジルグ。考えていることを言おうか迷っているような、そんな態度だ。堂々とした振る舞いが失せ、思春期の気弱な少年のようにオドオドしている。
「いや、あの、実は……」
「実は?」
長い沈黙。彼の顔が赤くなっているのが分かる。彼の額に汗が浮かんでいるのが見えた。
「実は……リエル=トルフさん。私は貴女のことが……」
「えっ」
それ以上は言えない様子。だが、その後に続く言葉は何となく分かった。
この青年、私のことが好きなんだ。
う、うーん、そうか、そう来たかあ……彼は助け舟を出してくれた恩人としてある程度意識はしていたが、正直今まで異性として考えたことは一度も無かった。予想外の事態に私も混乱する。
「申し訳ありません。今こんなことを言うべきでは無かった」
そう言ってジルグは、私の手を振り払って個室を後にした。
後に残った私は放心する。
「うむむ……」
別にこっちは恋心なんて微塵も抱いていないから良いのだが……彼の方はそうもいくまい。二度と現れぬ想い人に死ぬまで恋焦がれ続けたとしたら、それはそれで後味の悪い結末である。
「こ、恋の病は治せる、かなあ……?」
無理。そう、私の中のスキルが告げていた。




