一休み
「あっ、晴れてきた」
嵌め込まれた窓の外をたまたま見ていた私は、曇天の空から差し込んだ陽光を見つけて呟いた。簡易ベッドに寝転んでいたイダテンコが起き上がる。
「ほんと? あ! ほんとだー!」
イダテンコは私の隣に来て笑った。輝くような笑みを湛える横顔を見て、思わず微笑む私。
いつも明るく笑ってくれる、小さいながら優しく頼りになる。それがこの子、イダテンコ。
彼女のことを救えて本当に良かった。もしも死なせていたら、きっと私は深い後悔で二度と立ち直れなかっただろう。ログとエリたちのことも忘れて放浪していたかもしれない。或いはヒクイドリに自分から食い殺されに行っていた、とか……。
おっと、またネガティブな思考に陥っている。私は杖で自身の頭をこつこつ叩き、意識的にその考えを振り払った。杖の飾りがしゃりしゃりと音を立てる。
折角イダテンコがこんなに明るく振舞っているんだから、私が暗い考えに支配されちゃだめだ。明るく振舞わなきゃ。
「それじゃ、私はログたちの様子を見てくるよ」
「ね、リエルお姉ちゃん! 外行ってもいいかな!」
「駄目だよ。しっかり休んでからにしようね」
えー、と落胆の声を上げるイダテンコだったが、特段抵抗することもなくおとなしくベッドに体を預けた。
彼女の頭を軽く撫でてから、私は個室を出る。広々とした黒塗りの廊下が私を待っていた。穏やかな静寂が辺りを包んでいる。
「えーと、大広間はどこだっけ、と……」
ギルドリングを前方にかざす。すると、頭の中に今探している部屋への行き方がなんとなく浮かんでくる。これはギルドリングの効果ではなく、この建物自体の効果である、とはイダテンコの談だ。
「ああそうだ、十階のど真ん中だった。四つ上だなあ」
四階も移動するとなると大変そうだが、この建物には上下階へ移動する部屋がある。階数の違いはそう問題にはならない。
さて、十階の広間の戸を開けると、そこにはログたちがいた。部屋に多く備え付けられた椅子へ思い思いに腰掛け、手の平大の紙箱に詰められた棒状の食べ物を一心不乱に貪っている。テーブルの上には空き箱が山と積まれていた。
あれらはこの部屋の隣にある小さな倉庫で保管されていた食料だ。収められていた箱には緊急用と書かれていたが、実際彼らは飢えに飢えていたのだから、ほとんど緊急事態みたいなものだろう。
「あ、姉ちゃんだ!」
最も近くに居たエリが私に気づき歓喜の声を上げた。人々が一斉に顔を向ける。彼らの顔色は心なしか健康的なそれを取り戻していた。
「姉ちゃん、これありがとな! 久々に食えるもん食えたぜ!」
ログはシャクシャクと水っぽい音を立てながら棒を齧り、少し黄色みがかった歯を見せて笑った。お腹が膨れた以上、もう人を襲うことはないだろう。
「これからは人の物を取ったりしちゃ駄目だからね」
「は? やる訳ねーじゃん! なあ、エリ!」
「う、うん。どうしようもないくらい困ってたからやっただけだし……」
二人は顔を見合わせて頷く。
とはいえ私は、二人の息のあった襲撃をこの身で体験している。兄妹の強い絆があれ程の動きをさせたのかもしれないが、今後似たような状況に陥ったらまた同じことをやるかもしれない。折角世界の危機を退けた以上、彼らが再び犯罪に手を染めるようなことは絶対にさせなくなかった。
その為には、あの老人にしっかり導いて貰わねばならないだろう。どうせ私はしばらくしたらこの世界を去るのだから。
ところが、今この場にあの老人の姿はなかった。
「ログ、エリ。お爺様はどこにいるのかな」
「えっ」
エリは辺りをきょろきょろ見回す。彼女は知らなかったらしい。だが、ログはある一方を指し示した。
「爺様なら部屋の外に行ったぞ」
それは入ってきた時とは反対側にある扉だ。この部屋を取り囲む廊下に出る為のものだったはず。廊下のどこかに居るのかもしれない。
私はおもむろに立ち上がり、人々の控えめな視線を受けながら扉を押し開ける。探索のために廊下を見渡そうと視線を動かした瞬間、左手側の窓の前で外を眺めている老人を発見した。視線は眼下の瓦礫に向いている。
「お爺様、どうされたのですか?」
「ん……おお、あなたは……」
私の名前が思い出せないのか、髭をこするような仕草を続ける老人。イダテンコを個室に連れて行く際にちょっとだけ自己紹介したのだが、一回ぐらいでは忘れることもあるか。
「召喚され師のリエル=トルフです」
「お、おお、そうでしたな。申し訳ない」
苦笑いを浮かべながら詫びるように頭を下げる老人。
「ちょっと街のことが気になりましてな。こうして眺めとったんじゃ」
その視線は再び外の瓦礫の海に向く。遠くにはカオスヘクスの死骸が青く光っていた。その鋭い輝きはまるで大きな宝石のようである。
「儂が神官としてこの街に来たのは、もう三十年も前の事じゃった。その頃から北西側の一角は貧しい者が多くてのお。あの辺りなんか家無しが寄り集まって小さな村のようになっとったんじゃ」
彼の目は懐かしさに細まる。
「それをなんとか改善しようと上に働きかけてなあ。ここ十年ちょっとは、本当にどうしようもない連中以外は仕事を持てたりしたもんじゃが……全く、魔物というのは忌々しいのお」
再び私を見たその顔には、なんとも力の無い笑みが浮かんでいた。
「冒険者も寄り付かんこの街じゃ、遅かれ早かれこういう事態は起こっていたのかもしれんなあ。人々の生活の質向上だけでなく、人々を守るための力にも目を配るべきじゃった」
いや、カオスヘクスはウツロの人だけではどうしようもない存在ですから、貴方のような素晴らしい考えを持つ方が責任を感じる必要はないんですよ……ということをどうやって説明しようか考えているうちに、老人の話題は別のものに変わってしまっていた。
「今そこにおる連中は、皆家も家族も持たない者たちじゃ。だからあの地下室で保護しとったんじゃが、そのお陰で生き残るとは皮肉なもんじゃのう。これからの生活、どう面倒を見ていったら良いものやら」
この老人は先行きに不安を抱えているようだ。これまでの日常が完全に破壊されてしまったのだから、当然の感覚といえる。
「お爺様。私に協力できることがあったら言ってください。出来る限り協力したいと思っています」
「そ、そうですか? しかし、なんでもかんでも召喚されし者に頼る訳には……」
「大丈夫です! 私たち、とっても頑丈ですから!」
ん? いい返答になっているのかな? まあ、いいか。少なくとも、この街の人々の助けになりたいという思いは本物だ。
老人はしばらく考え込むような唸り声を上げた後、恐る恐るといった言葉がぴったりの態度で私に問いかけた。
「では……まず、南側の人々を導いてはくれませんかな。きっと混乱しておることでしょう」
なんのことだろう、と一瞬考える。
まあ、つまりは、いきなり魔物が北の市街地を滅ぼして、いきなり魔物との激戦が市街地で繰り広げられた挙句、いきなり神殿の跡地に黒い建物が建った。
そんないきなり尽くしの日々に市民は混乱していることだろうから、彼らに説明して納得してもらい、再建に協力して欲しい。
老人の発言を補足すると、だいたいそんな感じだ。
「任せてください!」
私は二つ返事で承認した。自分が口下手であること、即興で文章を考えるのが苦手であることを認識したのは、移動する部屋で下っている最中のこと。
額から垂れる、後悔によって押し出された汗を拭うので私は精一杯だった。




