私は何もできない
ヴリードの意識の消失。その口から発せられるカオスへクスの台詞。それが何を意味するかは分からないが、私たちに不利な変化が始まっているのは明らかだ。
ほんの僅かな間辺りに満ちた不気味な静寂。
それを破ったのは肉塊神官たちの筋肉が弾ける音である。腱が外れる音、筋肉がちぎれる音、関節が砕ける音。その動きは以前の、獣のような動きとは明らかに異なっていた。
「気をつけろ!」
ガラが声を張り上げる。
全身を余すところなく使い、全速力で駆け出す神官たち。明らかに関節を無視している。柔らかい物体が坂を転がり落ちるような、異常極まる動作だ。その証拠に、無理な力が加えられたことで骨がへし折れ、折れた骨が肌を引き裂いている。四肢も頭も訳のわからない方向へ回転し続けていた。
「このバカヤロッ……!」
ナオが銃を乱射する。だが、神官たちは自らの身体を筋肉で切り開くことで避けた。予想不可能の、あまりに異常な動き。先を読んで当てる、という人間がやって当然の技術が通用しない。
僅かに残っていたローブが崩れ、ほぼ肉塊そのものと化したそれらは、自ら切り開いた部分でナオの体を挟み込む。
直後、急激に収縮し、ナオの身体を上下真っ二つに切断した。
「がひゅっ」
「ナオさんっ!」
「ナオ!」
ガラが即座に援護射撃を行う。しかし、自在に細分化する肉塊どもには一発たりとも当たらない。全て回避されてしまう。
群がる神官たちはナオの残った肉体を引っ掴み、力任せにびりびりと引き裂いた。驚愕の表情を張り付かせたナオの頭が落ち、無慈悲に踏み潰される。
ほんの一瞬の内にナオの身体はそこら中に飛び散った。スキルを使う暇もない。行き場を無くした杖先が震えている。
「早く撤退を!」
ガラが私の前で盾になるように立ち、当たらぬ銃を連射する。
「このーっ! 《超重雷走》!」
イダテンコがスキルで駆けた。しかし、目では捉えられない凄まじい速度の攻撃すら、神官たちは肉体を細分化させることで回避してみせる。あまりに的が小さ過ぎて槍の穂先が当たっていないようだ。
「リエル=トル……」
再び呼びかけようとしたガラの喉が突如切り裂かれる。私が狼狽えている内に切り刻まれていくガラの肉体。視界の端々に黒い線のようなものが見えた。
「が、ガラさ……」
駆け寄ろうとした瞬間、イダテンコの姿が私の前に現れる。次の瞬間、風景が溶け、私たちは拠点の前に立っていた。ナオとガラはもう居ない。
「あ……あ、あああ! 私って……!」
全身が震えている。汗に濡れた杖が滑り落ちかける。半開きになった口内が急速に乾いていく。
結局私、助けられてないじゃないか。
「リエルお姉ちゃん? 大丈夫?」
イダテンコの声。だけど、私の意識はまだあの戦場にある。
「わ、私、ガラさんもナオさんも、助けられなかった。た、助けに、行ったのに。助けるって言ったのに」
「え、でもあの人たち、モルトヴァのスキルで出てきた人たちでしょ? リエルお姉ちゃんが気にすることないよ」
私は耳を疑った。今の言葉を発したのはイダテンコか? 本当に?
「テンコ、今なんて?」
「え……ど、どうしたのリエルお姉ちゃん、顔が怖いよ……?」
「なんて言ったの!」
杖を捨て、イダテンコの小さな肩に摑みかかる。指が彼女の柔らかい肌に食い込んだ。
「い、いや、あの……あの二人のことは気にしなくても……」
「二度とそんなこと言わないで!」
理不尽な怒りだ。
そんなことは分かってる。分かってるが、それでも他者の命を粗末に扱うような発言は許せなかった。それが今頼れるただ一人の友人だったとしても。
困惑した表情のイダテンコを乱暴に突き飛ばし、杖を拾い上げて自動開閉扉に入った。イダテンコが着いてくる足音が小さく聞こえるものの、その音は心なしか元気がない。
悪かった。ごめんなさい。
謝罪の一言は思うばかりで、声にして発せられることはなかった。他者を癒すことしか能がないのに、一時の感情に流され他人を思いやれなくなる。そんな自分が嫌になる。
「無力さを理解したか?」
右方の扉からモルトヴァが現れた。部下二人が死んだというのに、その表情は氷のように冷たいままだ。
ふつふつと湧き出す怒りと憎しみと悔しさ。それらの感情を混ぜこぜにした目で睨みつけていると、イダテンコがモルトヴァに駆け寄った。
「ね、ねえモルトヴァ! あの二人はまた作り出せるんだよね? 大丈夫だよね?」
「当たり前だろう。替えの効かない者を使い捨てになどするものか」
「ほ、ほら! 大丈夫だって、リエルお姉ちゃん!」
「知ってるよそんなこと!」
私の恫喝に、一瞬笑いかけたイダテンコの表情がまた曇る。その顔を見て罪悪感がにわかに膨らむが、それ以上に大きな憎悪をモルトヴァに抱いているせいで素直になれない。
「モルトヴァさん。私は貴方の命を使い捨てるような戦い方に納得できません。理解もできません」
「その必要はない。当方の戦い方とお前の理想は決して分かり合えない」
そう言ってモルトヴァは私の横をすり抜け、外へ出る自動扉の前に立つ。ひゅう、という空気の流れるような音がした。
「イダテンコ、お前は来い。当方のカオスヘクス殲滅作戦に必要だ」
沈黙。
「り、リエルお姉ちゃん……」
か細いイダテンコの声。心配するような声色のそれは僅かに震えていた。私は手にした杖を無意味に擦り、荒立つ心を抑えようと努力していた。
「リエル=トルフは必要ない。安全な場所で待機せよ」
その瞬間、景色が変わる。
私はモルトヴァの部屋に居た。嫌がらせか。
「頭にくるなあ、もう」
強がって吐き出した言葉は、自分でも分かるくらい涙に震えていた。周りに人が居なくなった途端、堰を切ったように後から後から涙が溢れ出す。嗚咽が喉を突き上げる。
壁際にあった金属製の丸椅子に腰掛け、私は泣いた。杖を放り捨て、右手で顔を何度も拭いながら、ひたすら泣いた。言葉にならない声が零れ落ちる。
私は無能だ。
エージェント二人の断末魔の表情が瞼の裏に焼き付いている。イダテンコの怯えた声が私の心を削りとる。モルトヴァの言葉が私の僅かな誇りを磨り潰す。
私は無能だった。
魔女の頃からそうだった。魔王天暁と対峙した時もそうだった。ヴリードたちと接触した時もそうだった。
私は怪我人病人がいないと何もできない。治癒することしかできない自分一人では、決して何もできない。
私は、やっぱり、無能なんだ。
居場所を無くした私の、喉を裂くような泣き声が小部屋に満ちた。
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鉄色の箱型拠点の前。薄茶色の石畳の通りに、モルトヴァとイダテンコの姿があった。エージェント・セラフは離れた位置で二人を見ている。
モルトヴァは一つ咳払いした。
「これから作戦を説明する」
「え、ええ、ここで?」
イダテンコはきょろきょろと辺りを見回してみせるが、モルトヴァは意に介さない。
遠くには青い鳥のような姿のカオスヘクスが見えている。召喚され師たちの姿はちょうど死角となっているためか、まだ動きは見せなかった。消えた召喚され師を探して怪しげな鉄色の建物を注視しているところである。
「お前には囮役を任せる。カオスヘクス周辺の敵をある程度倒した後、南側へ注意を引き付けろ。その後、当方の部隊による攻撃でなるべく本体へのダメージを稼ぐ。十分な距離を取るよう注意せよ」
「う、うん……え?」
槍に縋って話を聞いていたものの、違和感を覚えて顔を上げるイダテンコ。
「どうした」
「いや、南側に誘うって……南にはまだ人が居るんじゃないのかなーって思って……」
「ああそうだな、その点に関しては調査済みだ。およそ千九百人。それだけの囮があればお前が死ぬことはない」
「お、囮!? 囮って、そんな……」
途端に弱気になったイダテンコをモルトヴァが睨みつける。その表情は厳しいものだ。
「割り切れ。カオスヘクスのような強大な敵と戦う以上、ウツロの民の無事を気にすれば足元をすくわれる。時には命さえ失うだろう。ウツロ世界そのものを守るために全力を振るえ」
非情ではない。冷酷でもない。彼は冷静な男である。これはイダテンコ自身の力を最大限に発揮しつつ、尚且つ彼女の命を守るための最良の作戦だった。
しかし、モルトヴァがそれを口に出すことはない。故に他者との軋轢が生まれていく。
「わ、私、それはちょっと良くないと思うんだけどなー」
「何故だ?」
「人が死ぬのは、やっぱり気分が悪いよ」
「人ではない。ウツロの民だ。彼らは無数の世界に存在する無数の虚像に過ぎない。その点に関しては創造神からも説明されただろう」
それでもイダテンコが納得することはない。視線を下げ、唇を噛んでいる。
「リエル……リエルお姉ちゃんは虚像じゃないよ。ちゃんと存在しているもん」
「ふむ……なるほどな。情に流されるな、冷静に対処しろ。召喚され師として生きていくなら常識だ」
答えないイダテンコに溜息一つ。そして、セラフに呼びかけた。
「もういい。当方のみでカオスヘクスを撃破する」
「よろしいのですか、管理官。単独でカオスヘクス対処は危険かと思われますが」
「案ずるな。あれは未だ成長途中の幼体に過ぎない。早急に叩けば勝機はある」
モルトヴァは初めて笑ってみせた。
「これより事態収容作戦を開始する。《区画収容》」
突如出現した五つの箱型建造物が向かいの住居を押し潰す。その上部が展開し、四つの回転翼が取り付けられた小型の地上攻撃用ヘリコプターが飛び上がる。迷彩色のそれは高速でカオスヘクスの元へと向かった。
モルトヴァの作戦は先ほどイダテンコに説明したものとほぼ変わりない。
まず、五機の攻撃ヘリによる範囲攻撃で地上の肉塊たちを掃討。そのまま南方市街地へと移動し、神殿と合体したカオスヘクス本体の視線を誘導。その後、無防備な背面へ向けて対カオスヘクス用徹甲焼夷弾を叩き込む。最後に、本体たるカオスヘクスコアを集中砲火によって破壊する。
まず間違いなくこの都市の市民は全滅する。だが、それがカオスヘクス撃破と引き換えならば、モルトヴァにとっては十分すぎるリターンだった。
攻撃ヘリが一斉に箱型のミサイルを放つ。それらは神殿中腹辺りに高速で接近したものの、地上の肉塊たちが伸ばした長大な筋繊維の鞭にはたき落とされた。ミサイルは空中で爆発し、黄色の煙を吐き出す。
「生物以外の接近を感知し迎撃。データ通りの動きだ」
無論、その確認のためだけにヘリを攻撃させた訳ではない。地上にもうもうと落ちて行く煙は、皮膚から浸透し生物のあらゆる動きを麻痺させる猛毒のガスだった。
体をいくら細く変化させられようとも、立ち込めるガスを避けることはできない。見る見るうちに肉塊たちは動きを鈍らせ、倒れていく。
明らかな敵の登場に、本体たるカオスヘクスはヴリードの顔面をヘリに向ける。ヘリは十分な距離を保ちつつ、南方へと注意をそらしにかかる。
「《区画収容》!」
それを見計らい、モルトヴァは北側へと大量の箱型建造物を積み重ねた。壁のように積み上げられたそれは、側面を開いて砲台を露出させる。
「まず、二十四門で陽動を行う。直後、十六門でターゲットの頭部を集中的に焼き払い、肉体から離れたコアをエージェントの攻撃で破壊する。この作戦に異論はあるか、セラフ」
「ありません」
軽く頷き、イダテンコの方を見るモルトヴァ。
彼女はいなかった。
「セラフ。イダテンコは何処だ」
「カオスヘクスの方へ向かったものかと」
押し黙るモルトヴァ。イダテンコが何をしようとしているのか、これまでの彼女の行動から予想する。
「作戦に支障が出る恐れがある。ヘリを撤退させ……」
直後、カオスヘクスの周辺で爆発が起こった。ほぼ一瞬のうちに、五つ。
しばらく固まっていたモルトヴァは、目を閉じ大きく息を吸い、静かに吐き出した。そしてセラフに一言。
「仕方がない。砲撃を開始する。異論はないな」
「ありません」
右手を掲げるモルトヴァ。それを合図に、彼の設置した砲台が一斉に砲撃を開始した。
砲撃の爆音を耳にし、南の市街地の屋根に立っていたイダテンコが再び槍を構える。街道では数多の市民が恐怖に慄いていた。
「さっきから何が起こってるんだ!?」
「早く逃げましょう!」
「あのバケモンの横通らないと街から出て行けないだろ!」
「助けてくれえ!」
逃げも隠れも出来ず、おろおろと歩き回る市民。流石のイダテンコでも、街道にごった返す彼らを一度に逃すことは出来ない。ならば、どうするか。
「こっちに飛んできた分、全部叩き落としてやる!」
図らずも、カオスヘクスを挟んでガジンとイゴンの召喚され師が火蓋を切ろうとしていた。




