私だって出来る
誰もいない街道を駆け抜ける。時々勢い余って石畳を踏み砕き転びかけるが、必死で持ち直す。転んで倒れこむ時間などない。
銃声はまだはっきり聞こえている。ナオとガラは抵抗を続けているようだ。この調子で持ってくれれば良いのだが。
拠点の箱型建造物の前に辿り着いた。そのままの勢いで建物を飛び越し、ヒクイドリが開けた休憩室の穴へと駆け込む。
「テンコ! カオスへクスが……」
誰もいない。破壊されたテーブルが転がったままである。疑問に眉根を寄せたその瞬間、景色が変わった。
狭く薄暗い部屋。暗い赤色の絨毯が敷かれ、両側の本棚には大量の書籍が並び、部屋の奥には簡素なつくりの机と椅子。そこに座っているのは……。
「も、モルトヴァ?」
冷たい目で私を睨むモルトヴァだった。眼鏡を掛け直し、彼は一つ溜息を吐く。
「お前のスキルの調査任務は一旦中止とする。ここで待機しろ。外はお前には危険過ぎる」
「はい!?」
エージェントを差し向けておきながら、今の危機的状況を知らないのか。カオスへクスが姿を現したんだぞ。エージェント二人が必死に戦ってるんだぞ。余裕かまして椅子に座っている場合では断じてない。
突然部屋が変化したことについてはとりあえず置いておいて、私はあからさまに憤慨してみせる。
「今、ナオさんとガラさんが命がけでカオスへクスと戦ってるんです! 早く加勢してあげないと!」
「知ってる。未知の潜伏型カオスヘクスの存在も確認済みだ。ナオとガラ、二人には時間を稼いでもらい、敵の十分なデータを集めてもらう。その後、有効な機動部隊を編成する」
「な……」
この男。他人だけでなく、自身が生み出したエージェントすら道具扱いするというのか。杖を握る手に力がこもる。
私の苛立つ感情を察したか、モルトヴァは私を強く睨みつけた。ガラス奥の氷の瞳に火が灯る。
「エージェントなど幾らでも生み出せる存在だ。お前が気にする必要は全くない。それでも尚彼らを助けようと思うのであれば、それはお前の浅ましい思い上がりだ」
「おかしいですよ、そんなの! 身体を張って戦う人々を助けようと思って、それのいったい何が悪いんですか!?」
「それは彼らのためではない。何もできない、役に立たない、お前自身のエゴのためだ!」
そうだ、その通り。何を今更言うのか。私はとっくにそれを自覚し、悩む段階は通り過ぎた。私自身のためであることなど承知の上なんだ。その意思をモルトヴァにぶつける。
「ええ、そうですよ! 誰かを助けるのは、私自身の為です! 助ける力があるのに助けないなんて、私が嫌な思いするだけですからね!」
「開き直るとは。呆れた女だ」
モルトヴァは深く、深く溜息を吐く。
「断言しよう。お前のやりたいように立ち回れば、必ず死者が出る。お前のエゴの為にな」
「だって、このままだと皆死んで……」
「エージェントやウツロの人間ではない。召喚され師に死者が出ると言っているんだ。それが分からないのか?」
手にした箱を操作するモルトヴァ。向かって右に大きな魔光紙のようなものが現れる。そこに表示されたのは、箱内で座っているイダテンコの姿だ。余程疲れているのか、壁を背にして肩で息をしている。
「イダテンコは当方の要請を無視し、先ほどまで暴れに暴れていた。お前が心配だなんだと言ってな。このような先人に学ばぬ無鉄砲なガジンがイゴンまで生き残る確率は非常に、非常に低い」
そう語るモルトヴァの横顔は、苦味に苛まれるような難しい表情をしている。反論のために吐き出そうとした暴言が、その表情を見て引っ込んだ。
「そしてリエル=トルフ。無数に存在するウツロ世界の、更に無数に存在するウツロの人間にも慈悲をかけようというのであれば、百回目の召喚も迎えることなくお前は死ぬ。確実に」
違う。そうじゃない。私はそんな大それたことは考えていない。
ログとエリ、地下室の人々。そして二人のエージェント。そんな、今死につつある、見知った人間を助けたいと考えているだけだ。
あの仕事以外興味のないクローディアスですら、ウツロの人間に過ぎない私やガーネを守ろうと立ち回ったじゃないか。それといったい何が違うというのだろう。
そうだ、そのことを言ってやれ。
「私はクローディアスという召喚され師を知っています。彼は私たちを守りながら戦いました! その身に怪我を負いながら、必死で戦っていたんです!」
「なに?」
一瞬目を見開くモルトヴァ。クローディアスのことを知っているという素振りだったが、すぐに平常のしかめっ面に戻る。
「彼のような狂人を参考にするのは愚かな行為だ。当方はイゴンの、先を行く正常な召喚され師の一人として助言しているのだ。ここで当方の作戦を待て、リエル=トルフ!」
「嫌ですっ! ここから出してくださいっ!」
絶交の宣言だった。私とモルトヴァで分かり合える日が来ることはないだろう。そう確信させられる言い争いとなってしまった。
モルトヴァは舌打ちし、そして言った。
「ならばその身をもって無力さを噛み締めろ」
再び変化する部屋。私が立っていたのは再びあの休憩室だった。大穴が目の前にある。
「リエルーッ!」
歓喜の声。直後、後ろから抱きつかれた。それが誰かは見なくても分かる。
「テンコ。良かった、元気いっぱいだね」
「そんな訳ないじゃん! ずうーっと閉じ込められてたんだよーっ! 全然出られなくって、不安で、お姉ちゃんが心配で心配でっ!」
涙で顔をぐしょぐしょにしながら、全力で抱きしめてくるイダテンコ。これ以上この状態を維持されると背骨をへし折られかねないので、次なる目標を提示した。
「じゃ、じゃあテンコ、折角会えたところで悪いんだけどね、新しい敵が出てきたみたいなの」
「え?」
「カオスへクスみたいなんだけど」
その顔から弱った様子は消え、真面目な表情に変わる。
「ほんと?」
「そう言ってた」
イダテンコは床に転がっていた槍を拾い上げ、こちらへ駆け戻る。左手が私の右腕を掴んだ。
「行こう! 何処にいるの?」
「え、召喚されたところ──」
「《超重雷走》!」
私の説明もろくに聞かず、イダテンコはスキルで駆け出す。当然のことながら、次の瞬間、私の目の前には戦場が現れた。
獣のように飛びかかる神官。武器を投げつけようとする兵士。彼らの数は一切減っていない。致命傷の概念はなく、無尽蔵の回復力を持っているようだ。
一方のナオとガラは、まだなんとか戦えていた。しかし、怪我の状態がかなりひどい。
ナオの方は左腕を落とされ、胴体に警棒が二本突き刺さっている。その状態でも尚、血と一緒に罵詈雑言を吐き出していた。
ガラの方は右足を引きずっており、全身切り傷だらけだ。スーツはボロボロで、上着の方は既に瓦礫の仲間となっている。
じき、負けるだろう。加勢しなくては。そう思った瞬間、イダテンコが駆けた。一本の残像が敵の集団をかすめ、同時に破裂させる。そのまま戻ってきて、私の前で得意げに一笑。さすがの速度だ。
「うぇ!? リエル=トルフ様にイダテンコ様!? 何故ここにおるんです!?」
ナオが面食らった表情で叫ぶ。右目が無くなっていた。
「モルトヴァ管理官は待機を命じたはずですが。反発したんで?」
「え、ええ、まあ」
挨拶もそこそこに、私は《過剰治癒》を唱えた。
まずは目の前のガラ。スキルで生み出された存在とはいえ、体内の構造は完全に人間だった。それほど大きな傷は負っていないが、一部の深い切り傷で動脈を切断されている。早急に全て治療してみせた。
「わ、私を治療したので? なぜそんなことを」
「私がやりたいからです」
次にナオの元へ向かう。彼女は右手で手を振って拒否を示す。
「別にそこまでしなくても良いですよう! 私らスキルで生み出されただけの生命体ですしい!」
「いいから、静かにしてください!」
ナオの場合は先に警棒を引き抜かねばならない。私は背中から警棒を掴み、力任せに無理やり引き抜いた。
「ぐげっへえ! いっででで! ゆっくり! もっとゆっくりお願いしますぅ! んぎゃーっ!」
泣き喚くナオは気にせず、更に一本。また大声で叫ばれた。
その声に誘われたという訳ではないだろうが、再生した神官や兵士たちが再び立ち上がり始めた。だが、次の瞬間イダテンコの攻撃が全ての敵に炸裂する。あっけなく吹き飛ぶ再生しかけの肉体たち。
「リエルお姉ちゃん、今のうちだよ! 早く!」
「うん!」
再び《過剰治癒》を使用する。ナオの怪我の方がかなり重いものの、私にとってはガラと大差ない。素早く傷を塞ぎ、失われた左腕を再生する。右目も再生成だ。流石に衣服までは治らないので、左側だけノースリーブのヘンテコなスーツ姿になったが、ナオは大喜びではしゃいだ。
「うっひょー! ありがとう、リエル=トルフ様ァ! ハイパーウルトラアンブレイカブルハイパーエージェントの復活ですわーっ!」
「ふざけてる場合か、備えろ」
ガラは銃を、イダテンコは槍を構えており、次の動きを待っている。ナオも遅れて構えた。
先ほどから、どういう訳か神官たちが再生しない。兵士たちも同様に血肉となって瓦礫の山に広がっている。今まではあっという間に再生したというのに。これはもしかして力尽きたのだろうか。
「ひょっとして──」
私が意見を述べる前に、突如辺りを突き上げるような地震が襲った。崩れかけの住居が潰れ、無事なものも窓ガラスが破壊される。ごごご、という地鳴りがどこからか響く。
私は派手に転倒し、周囲を見回した。転んだのは私だけで、他の三人はしっかり地に足をつけている。
「な、なんなんでしょう」
誰にともなく私は疑問を投げかけたが、答えに近いものは既に自身の中にあった。
前にも経験したのだ。こういった地震の後には、巨大な敵が出てくるって。
果たして。
「本体が動き出したか」
ガラの呟きと、神殿の上層で何かが膨れ上がったのは同時だった。
肌色の爆炎。最初の印象はそれだった。私の視覚はそれを生物として見ていなかったのである。
その正体は、急激に膨張する肉の塊。無秩序なようでいて、何らかの方向性があった。神殿の外壁に沿って広がり、何かを形作っていく。
「うげー、なにあれ」
イダテンコが吐きそうな声色で呟く。私には見覚えのある形だった。
「ヴリード……?」
肉の表面に、あの悪徳神官の顔が浮かび上がっていた。
その肉に閉ざされた目が開く。向かって右は黒く、もう片方は赤い。よく見れば、黒い方にはカオスへクスの頭が埋まっていた。
「ははは……見える、見えるぞ! 光が、闇が、音が、味が、感触が、因果が、全てが見えるうううう!」
大地を揺るがすような囁き声が街を満たす。異様に太く変化しているものの、その声色はヴリードのものに違いなかった。
「素晴らしひいいいい」
土煙を上げながら神殿が持ち上がっていく。青い外壁が縦横均等に割れ、分裂する。いったい何が起ころうというのか。ロクでもないことになるだろうということは予想できた。
「全員下がろう! この距離は十分じゃないんで!」
ガラの一声で私たちは大きく後退した。その距離、住宅五、六軒分。その間にもカオスへクスは神殿を激しく作り変えていく。その形状はなんとも奇妙なものへと収束していった。
外観は、鳥の翼を目一杯開き、板に貼り付けたような形状。青い翼が僅かな陽光でギラギラと輝いている。
胴体部分はほぼ肉。どくん、どくんと脈打っている様子がこの距離からでも確認できる。肉は翼の隙間にも入り込み、形状を保っているようだ。
そして、その顔は当然ヴリードのもの。奇妙な人面鳥の完成である。気持ち悪い。ぎょろぎょろと目が動き回っており、その動きは醜悪そのものだ。
その時、ヴリードの目線が私たちを向いた。いや、これは私を見ている。私を直視しているように見える。
「おおお! そこに居るのはリエル=トルフさん! どうですか、この姿を見て考え直してくれましたか!」
なんで私に執着しているんだ。気持ち悪い。吐き気がこみ上げ、歯が軋むくらい噛みしめる。
「おおお、その表情! 恐れているのですね! しかし、恐れる必要はないのです、儂が手本をお見せいたしましょううううう!」
ヴリードが翼を開く。瞬間、肉の塊が乱雑に発射された。人体と同程度の大きさのそれらはまっすぐ私たちへ向けて飛んでくる。
「うっお! やっべ! 殺す気か!」
ナオが手にした銃を乱射した。僅かに遅れてガラも的確に射撃を行う。殺到する肉の塊は弾け、砕け、小さな肉片となって瓦礫へと付着していく。
「リエルお姉ちゃん!」
イダテンコの声。直後、私が気づく前に、私の目の前に接近していた肉塊が粉々に吹っ飛んだ。イダテンコが目の前で槍を構える。
「ボーッとしてると当たっちゃうよ! 注意して!」
「ご、ごめんね、テンコ」
私も取り敢えず杖を構え、頼りない迎撃の姿勢をとる。
乱射された肉の塊で、私たちの近くに飛んできたものは全て撃ち落とされていく。だが、ヴリードの狙い方はかなりアバウトだ。背後の住宅地を吹き飛ばしたり、街道を吹っ飛ばしたり、荒野の方へ飛んで行ったりとメチャクチャである。
異変に気がついたのは、その数拍後。背後で崩落した建造物が突如吹っ飛んだ。驚いて振り向くと、ちょうど神官らしき姿の何かが瓦礫の下から顔を見せたところだった。ただし、その表皮や衣服の一部は肌色の肉に置き換わっている。顔には目も鼻も口もない。
「どうやら増殖も行うようで。群体型のカオスへクスに近いものかと!」
「分析してねーで対策しろや、ガラ!」
飛びかかってきた神官に裏拳を食らわせ、追撃の銃撃で吹き飛ばすナオ。更に薙ぎ払うように連射し、瓦礫ごと神官たちを粉々に吹き飛ばす。
ガラの銃撃が正確に敵の急所を射抜く。
イダテンコが加速し、何十体もまとめて貫く。
肉塊から生成された神官たちに再生能力はないようだ。だが、ヴリードの射出は止まらず、神官たちの動きは素早い。油断すれば一瞬で体を引き裂かれるだろう。
実際、その時は意外に早く訪れた。全員の視界外から現れた増殖神官がナオの背後から掴みかかったのである。
「うぎゃー! どこから来たコイツ!」
背中側に居る神官に撃とうとするナオだったが、うまく手が回っていない。そうこうする内に爪が顔面に食い込み、両側へと引き裂かれる。飛び散る鮮血。歯の隙間から漏れる呻きと悲鳴。
「ナオさん!」
私はようやく駆け寄り、杖の一撃で神官を吹っ飛ばした。だが、私の力では満足なダメージを入れられず、本当に吹っ飛ばしただけで終わってしまう。まあいい、私の本業は治癒だから。
「《過剰治癒》!」
即座に傷を治癒し、破裂した眼球を補う。これで全速力だ。体勢を取り戻して再び接近してきた神官は、健康体となったナオの銃撃で粉砕される。
「ごめんごめん、また貸し作っちゃった! なんもあげれないけどありがと!」
「気にしないでください、仕事なので!」
現状、私たちは肉塊の対処に追われ、ヴリードに攻撃できないでいた。俊足を誇るイダテンコでさえもヴリードの元へ移動する余裕がない。エージェント二人の殲滅力では押し寄せる肉塊にすぐ負けてしまうからだ。
三人が三人とも全力で戦わないと押し切られる。しかし、こちらから押し切るには戦力が足りない。
「ジリ貧って奴ですよ、こいつはあ! やっぱとっとこ撤退した方が良いんじゃないすかあ!?」
「その通りで! リエル=トルフ様! イダテンコ様! お二方は管理官の拠点へ早く撤退を!」
エージェント二人は私たちのことを心配していくれている。だが、私も彼ら二人のことを心配して駆けつけたのだ。おめおめと逃げ帰れはしない。素早く近寄ってきた神官に杖の殴打を食らわせながら、私はどうにかその場で留まっていた。
「はああああはははは! あはあはあは!」
ヴリードはもう言葉らしい言葉を発していない。顔が引き裂かれんばかりの凄まじい笑顔で嬌声を上げ続けている。頭が割れそうだ。さっさと止まってくれ。
急に笑い声が止まった。
神官たちの動きも止まった。飛びかかろうとした体勢のまま地面に倒れ、空中にいたものは速度を保ったまま瓦礫に衝突する。
神に願いが通じたのだろうか。いやいや、そんなはずがない。願いを聞き届ける神などいないのだ。
私も、他の三人も、何かを理解する。巨大なヴリードの顔を見上げた。
真顔。一切の感情のない、完全な無表情。ぴくぴくと痙攣している。
震える囁き声が響く。
「我々はカオスヘクス。あるいは混沌の使者。あるいは崩壊の象徴」
ああ。ヴリードの存在が消えた。そんな気がした。




